mixiユーザー(id:58808945)

2018年10月17日23:10

150 view

ポタリストの記録・【西多摩中央周遊・その3】

■西多摩地区中部きっての「バケトン」■

 小作坂下を下ると多摩川橋である。左手には羽村堰が見える。水量は多い。今年は台風直撃が多かったから尚更のことだ。

 その先に吉野街道入り口の友田町の交差点がある。この信号は歩車分離式になっている。矢張り交通量も多く、平日はダンプも多いことから、こうなったのだろう。左折の矢印が出る前にひたすら走る。

 滝山街道は交通量も多く、トラックもそれなりに走る。何しろ沿道には採石場もある。が、今日はダンプカーに追いまくられることは無かった。幾らナビサインがあるから内側ならば大丈夫と言っても、大型車から見れば気休め程度の幅でしかないので、正直言って、路肩を走るのが怖い人は歩道を走った方が良いと思う。

 長いなだらかな坂が続く。この先は青梅市友田とあきる野市菅生の間にある満地峠(まんじ)である。その峠の中央に400mほどのトンネルがある。

 クルマで百回以上は走っている積りだが、相変わらずトンネルまで結構距離感がある。慣れたせいか、シマノのアルテグラ級のホイールも手伝って、今はフロントギアをインにせずとも友田町〜満地トンネル入り口までの平均時速は21kmを割り込むことなく辿りついた。

 トンネルは自転車の現在通行出来ず、旧道を進むことに。

 旧道入り口は嘗ての峠の街道の雰囲気そのもので良い感じだ。崖付近なので、左手はとても眺めが良く、風も爽やかである。

 そこを進むとトンネルが見えて来た。レンガ風の古いトンネルである。昭和33(1958)〜平成3(1991)年まで自動車も走っていたという。トンネルには「アレ」の噂はつきものだが、調べてみると矢張りあった。特にトンネル上部は崖になっていて、自殺が多かったという。青梅側の入り口には若い奥さんと子どもの姿が目撃されるらしい。

 私は知り合いの拝み屋に言わせると、山岳の神々と相性が良いと言われた。ここは山のトンネルである。だからだろうか、不思議とおどろおどろしい感じはしなかった。

 汗っかきのせいか全く「あちらの方」とはお会いせず、気持ち良かった。正直「アレ」よりもヤンキーのあんちゃん達の方が夕方から夜は怖いかもしれない(笑)。新道に比べ、長さは半分以下で150mほどでしかない。落書が多い。

 気持良いので、入り口で休んでいると、人影が見えて、こちらに近づいて来る。姿は小柄でショートヘア、色白、黒髪がつやつやとしていて、ほっそりしている。白いTシャツを着ている。最初は部活帰りの娘さんかなと思ったが、少年だった。最近の男の子はかわいらしい。ワイルドさや汗臭さが無い。見慣れない体育着を着た男子高校生だった。小作駅に行きたいらしい。聞くと府中から試合に来たそうな。何と徒歩で小作駅まで行くので、詳しく道を教えた次第。多分彼は東海大菅生高校で何らかの試合に来たのだろうが、確かに25分待ちで秋川駅までバスで行くならば、小作駅までいっそ歩いた方が良いかもしれない。秋川駅だと拝島駅で乗り換えを余儀なくされるからだ。

■三度目の正直■

 休憩も取ったことで、トンネルを抜けた。ここが峠の頂上だったようで、後は下り基調である。下りで時速41kmほど出たことで、ふっきれたのか、今まで以上に希望の速度を出しやすくなった。尤もアルテグラグレードならば、下りでは60kmでも受け付けるはずだ。本来ロードバイク用だが、クロスバイクの端くれのGIANT ESCAPEでも受け容れてくれる間口の広さは依然として魅力的だ。

 瀬戸岡交差点を二段階右折。日の出インターを通過し、イオンモールを横手に進む。どういう訳か、武蔵増戸駅付近でクルマ一台ほどしか通れなくなる。地元の人たちは睦橋通りを進む。

 私は農道を進み、都道に出る。

 ゴールである大悲願寺は近い。

 以前、前の愛車のトヨタ・ヴィッツのRSでこちらに来たことがある。車と比較して、何と疲労感の心地よいことか。流石に売店こそないが、ご丁寧に駐車場の傍にはトイレと自販機もある。そこで水分補給をした。大悲願寺は隣に幼稚園がある。昔、田舎町ではお寺が教育機関だったが、ここもそうなのだろう。伽藍を期待させる仁王門の前にある畑の単管パイプにチェーンロックを念入りに掛けて入ることにした。

 西多摩地区きっての名刹である。源頼朝が幕府を開く前年の1191年に日野の御家人、平山季重が建立したといわれるほどだから、歴史は古い。敷地面積も5千坪近い。ここのお寺の庭園は花が美しい。が、残念ながら、ホームページか、パンフレットでしか萩の花とミツバツツジは見たことが無い。

 実はこのお寺、東北の戦国武将・伊達政宗と萩の花を通じて関係がある。

 政宗が江戸を訪れた際、噂に聞き、この寺を訪れ、白い萩の花に感動したらしい。その場では分けて欲しいと思ったが、流石に厚かましくて言えなかった。しかし仙台に帰国しても、矢張り白い萩の花が頭から離れず、書状でお願いし、送った貰った経緯があるという。政宗がなぜこれほどまでに欲しがったのかといえば、当時東北地方の萩の花といえば赤が殆どだったため、さぞや珍しく見えたに違いない。今では東北でも白い萩の花を見ることは出来る。政宗が広めたのかもしれない。
 
 さて、今度はどうだろうか?

 何しろ2回空振りだったのだ。

 見てみると、満開とは言い難かったが、咲いていた。矢張り伊達政宗が所望した白い萩だ。可憐で地味だが、美しい。花に知識が無い人からすれば、目立たない花だが、このようなお花に目を向けた政宗という人はなかなか風雅な人だったと言えるのではないか。

 参拝客は私1人。そのため、たっぷりと見ることが出来た。

 今年は台風直撃が多かったことを考えると、見学する「難易度」は高かった気もするが、見ることが出来て良かったと思う。

 ★健脚の方で時間もあり、運動不足を感じている方は、裏手のハイキングに挑戦してください。名刹巡りだけでは勿体ないです★

 復路となる訳だが、もうひとつ行きたいところがある。

 それについては次回にしたい。
 
 最後までご覧頂き、ありがとうございました。

 (続く)

7 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する