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2018年10月05日08:17

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またライデンの10月3日の祭りが来た


去年は病後で何もできなかった。 表に行列を観に行くこともできずベッドで寝ていたようだ。 ようだ、というのは去年のことが思い出せなかったからだ。 つまりもう同じようなことを25年以上もやっていると分からなくなるからだ。 昨日玄関の上に赤地に白で鍵がクロスしたライデン市の旗を掲げて祭りの準備はできていた。 今朝朝7時半に市民に配られる鰊とパンを貰いに200m以上ある列の最後尾についていろいろなバンドが奏でる音楽を聴きながらこのあいだ引換券を作ってもらった建物に入り、新鮮なパンの匂いと生臭鰊を買い物バッグに放り込みそこを出たら並び始めてから50分経っていた。 次に建物の前で鰊を捌いてもらう。 何十人も並んだ魚屋のオバサン達の一人に我が家では4人だから8尾の鰊を捌いてもらうのだが、ここでまた列の後ろに着く。 そのオバサン達から3mほどしかないのに55分かかった。 数千人が2時間の間にここに押し寄せる。

混沌とした賑わいで列らしいものを探り、割り込まれないように横を見ながら和気藹々とどうでもいいことを話しながら時間を潰し7,8人待つ。 一人が例えば8匹から10匹捌いてもらうとするとそれに5分ほどかかる。 だから8人待つとして40分、けれど隣近所の分をまとめて貰ってくる人がいるから20匹、30匹とドカッとオバサンのまな板の上にぶっちゃげるものがいて、そうなると一人に15分ぐらいはかかるのだが、そうすると待っているのにイライラする者もでて、それなら家で捌くわと捨て台詞を放って列を離れるのもいる。 こういうことには辛抱が肝心である。 イギリス人は列を作るのが好きだ、それがナショナルスポーツだとも言われるが何のイギリスだけではない。 秩序と礼儀を守るところにはこういうことがある。 自分は40年以上前に大阪でサラリーマンをしていた時には例えば満員電車の乗り降りに並ぶことがあったが大阪は早いもん勝ち、すばしこいもの勝ちというところがあってそういうスポーツもやったのだがここではそれをやれば嫌われるし注意される。 だから皆無言で互いを見合い和気藹々を装い自然に列が形成される。 公平・平等精神なのだ。 そしてこれがオランダ流の空気を読む、でもある。 こんな列だが殺気立たないのは祭りだからであり、こんな混雑する列は日頃めったに見られず皆こんな押し合いへし合いを楽しんでいる風情もある。 巨大なオバサンの胸が背中の辺りに感じられるのもこんな時ぐらいだ。 もっともここには若い女性は来なく、オッサンオバサンに爺さんぐらいだ。

家に戻って3尾、片身6枚を甘酢で締めて1尾を玉葱のみじん切りにまぶしジンで喰った。 何のことはない毎週土曜のマーケットで立ち食いする昼飯である。 わざわざ人ごみの中を1時間半以上並んですることでもないのだがこれが我が家の祭りの始まりとなって自然にできた仕来りなのだ。 明け始めた空を眺めながら列について戻ってから生魚で一杯が朝食なのだから日常でないことは確かだ。 その後12時半まで寝た。

1時にパレードが始まるのでそれに合わせて起きると5日ほど留守にしていた家人が帰ってきたところだった。 荷物を置いてそのまま二人でパレードを観に行った。 子供たちが通っていたうちの近所の中高一貫校がこれまでもう30年ほどパレ―ド参加者の準備・休憩場所で出発地点であったからそこにいれば混雑もせず全てゆったりと観られたのだが今年から順路が変わった。 だから出発地点まで歩いて行く。 日頃は自転車で走り廻って行くところを今日は徒歩で周らなくてはならない。 街中は全ての道路がブロックされ車も入れず市役所の辺り、メインストリートは朝から場所取りをして坐る人たちがいるほどだからパレードのときにはぎっしりであるからそんなところを人をかき分けて通り抜けるのは骨が折れる。 だから混雑を避けて尚且つゆったりしたところを考えるとライデン大学の中央図書館前が思い浮かび、そこは鉄柵も警備の強い規制もないので毎年そこに行く。 それにそこには知り合いが何人も家族で場所を取っていて食い物、飲み物を潤沢に用意して皆に振る舞うようなところでもあるので町内会のお祭り気分が味わえるのだ。 彼らも朝から並んでパンと鰊を貰ってきていた。 鰊を近所で纏めて40匹集めてここでジンと共に喰う。 自分は朝喰って来たのでジンだけもらって大晦日の名物オリボレを一つ喰った。 オリボレは穴のないドーナツのボールと考えればよい。 これを大晦日にはどこの家でも揚げるのだがライデンはこの祭りでも喰う。 去年は射撃クラブの同僚、アンドレがここに座っていたのだと言う。 その後癌が見つかって6週間で亡くなった。 自分は彼の葬儀に何とか立って歩けるようになったので何とか参列したが彼の癌が早かったのには驚きだ。 皆でアンドレの冥福を祈り乾杯した。 そうしていると444と書かれたプラカードを持ったパレードがあって学生たちが神妙な顔つきで歩いて来る。 そうなのだ、ライデン大学の444回目の誕生日なのだった。 444年前にライデンがスペインの圧制から解放されたときに国王からライデン市にプレゼントされたのがオランダで最初の大学となったのだった。 自分はそのうち29回教師として誕生日を祝っており25年ほど前に民族学博物館の収蔵物で大名の侍姿でこのパレードに出たことがある。 こういうパレードは見物するより参加して歩く方がよっぽど気持ちがいいことを経験している。

大混雑の市役所の前を抜けていると家人がオリボレが喰いたいと言った。 新鮮なものを揚げている屋台がどこかに出ているはずだからと探した。 やっと土曜のマーケットでチーズ屋が店を出しているところに屋台があり、そこで家人はレーズン入りのオリボレ、自分はリンゴ入りのものを喰った。 粉砂糖で口の周りを白くしている老婦人二人がいるので写真を撮らせてもらおうと頼むと恥ずかしいからと嫌がっていたものが撮らせてくれるというのでカメラを構えたら、ネットに出るといやだと断られた。 オリボレを揚げているオバサン達に頼んだらいいというので撮ったのだが露出が合わず暗くて駄目だった。 オートにすればいいのだが昔ながらのマニュアル設定で光は自分で測って撮ることに決めてからこんな失敗が多い。 これで自分でいいと思った写真を何枚没にしたことか。 オートにすれば平べったい画像はできるけれど没になるようにはならないから没になるよりはまだましなのだろうか。 それでも自分でフィルムを現像して紙に焼きつけていた時から比べるとデジタルは簡単になったものだと思う。 いまでもフィルムを使って自分で現像し、紙に焼いている人がいるのを承知しているけれどそのプロセスを想うと頭が下がる。 今日は町のあちこちで道行く人々にカメラを向けて撮らせてもらった。 祭り気分でほとんど断られることはなかった。

家に戻って作り置きのこの日の伝統的なライデンのフッツポットで夕食にした。 単純なぐらい簡単で簡素なものであるけれど400年以上前のライデン市民が食べていたものを追体験しスペインの圧制から解放されたこの日を祝うのだ。 これについては10年前に下のように記している。 

https://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/56220082.html

夕食を摂り8時のニュースを見ていると眠気が襲ってきた。 朝早く起きて1時間半以上並び、ぐるりと町を歩いて廻ってきたら6kmほどになっていた。 ところどころで立ち止まりパレードを眺め酒を飲み知人らとしゃべり結構運動になったから疲れが出たのだろう。 10時には就寝していた。 気分は若くとも老いというのはこういうところに出るものだと実感した。
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