mixiユーザー(id:58808945)

2018年08月19日00:09

188 view

ポタリストの記録・【多摩川上流渓谷と古戦場・その2】

■奥多摩橋へ■

 その先を渡り、地蔵院という、「青梅七福神」のひとつ(布袋尊)を通過する。

 このお寺は秋冬にまた訪れたいものだ。

 横井戸には湧き水がある。バナジウム天然水を飲んだ後、そのペットボトルで水を汲む。とてもおいしい。味にミネラルのトゲがなく、まろやかなのだ。

何しろ出発した方位は時盤で最大吉の甲がふたつの北西の双木成林だったからだ。寺社参拝には最上の方位だった。吉方位の神社の湧き水、温泉は飲泉すると確実に運気が上がるのだ。ただ、残念だったのは法要があったようだ。読経や御詠歌の声が聞こえる。弔問客と鉢合わせると決まりが悪いので、参拝は秋冬にしよう。

 ★旅行、出張の吉方位(無料なので道楽の範囲内ですが)、診断いたします。お気軽に!!★

 ▼凶方位で湧き水を飲むと、お腹を壊したり、冷えたりしますからご注意▼

 普段フロントギアをミドルに入れて出来るだけ脚力で・・・と思っていたが、今日はギアをフルに使う。まあ、流石にインナーローは出番が無いが(笑)。
 
 道なりに快走する。山なりに沿って走るため、北側(右手)が多摩川と分かっていても、方向が分かりにくい。

 それでも右手が多摩川だと分かっているので、進むと、広い道に出た。右手が橋・・・。

 これかな・・・?と思い、いざ橋を渡ってみると、それは和田橋だった。

 仕方なく戻り、再度多摩川沿いの道を進んだ。

多摩川沿いの道と言いつつ、せせらぎの音は聞こえて来るものの、林が右手にはあり、見えるほどではない。日陰に入ると意外と涼しい。このルートはそれまで平坦だったのが、カーブを切った途端に坂が出現することがある。

 右にも左にも坂だ。左に行くと吉野街道に誘導される気がしたので、右へ。右の坂道はどんどん狭くなっていく・・・。仕舞には「通り抜け出来ません」と書かれている。勿論クルマに対して書かれた看板だろうが、本当に狭い。生活道路というよりもむしろ民家の勝手口に出て来そうな気がしたので、諦めて、右に。進むとまた上る道と下る道に、上る道は高台から来る道と繋がっている。複雑な道である。ここで生活をされている方はきっと足腰が丈夫なのだろう、そんなことを想像したくなるほどの坂の連続・・・。

 我慢して上ると、青梅五小の裏手だった。流石に小学校の裏手の道は広い。果たして、その先に信号と右手には橋。橋から手を伸ばせば、樹木の先端に手が届きそうなほどの高さ・・・。見覚えのあるだだっ広い橋だ。

 渡ってみると、それは神内橋。橋の北は青梅街道、そしてその更に北の崖の上をJR青梅線が走っている。多分このあたりは日向和田駅だろう。

 ・・・まだ先か。

 その信号機を渡る。ここは五小周辺ほど複雑な地形ではなく、打って変わって住宅街だ。標識も出るようになった。「吉川英治記念館」、「奥多摩橋」、「軍畑大橋」の矢印が見える。流石にこのあたりだとハイカーや「山ガール」達も来るからだろう。有難いことである。吉川英治は青梅の文豪である。数多くの歴史小説を書いている。小学生の時に『三国志』、『太閤記』は良く読んだものだ。今日は出発時間も遅いのでちょっと行けないが。

 一先ず指示通り進むことに。

 進むと却って友田⇒地蔵堂と比べたら断然走りやすい。もし、奥多摩に行きたいけど、迷路のような道は御免だと仰せであれば、青梅街道を走り、神内橋から奥多摩橋を目指した方が良い。

 多摩川からこれだけ近いのに、畑、住宅が多いことに驚かされる。昔から街道沿いに集落があったのだろう。と同時に地盤が安定しているというのもあるはずだ。

 4メートル道路の橋が見える。奥多摩橋である。この看板を見て「奥多摩駅が近い?」と思うのは早計だ。奥多摩駅はまだまだ25km弱ある。とはいえ、景色が良く、歩道の窪みはスペースがあるので、小休憩する。幅こそ狭く、多分軽自動車すらすれ違いが難しいだろう。しかし欄干から少し顔を乗り出すと、朱色の鉄の橋脚が美しい橋である。

ちなみに北岸に渡り、左の坂を上がるとつき当たりが青梅街道。左折すると直ぐにJR青梅線の二俣尾駅である。

■軍畑の名の由来■

 次の橋が軍畑大橋である。奥多摩橋から軍畑大橋は道も少しずつ狭くなっていく。街道沿いの集落も減る。奥多摩に近づいているのが分かる。

 久しぶりに迷ったが、何とか辿り着くことが出来た。

 長閑で牧歌的なJR青梅線沿線の風景が目立つ中、ひと際異質な名、「軍畑」。

 この名は古戦場の名から来ている。

 滝山城(今の八王子市北部、滝山丘陵)の城主・北条氏照は青梅〜奥多摩に掛けて勢力を保っていた三田綱秀を傘下に入れようと考えていたが、心服しない。そこで永禄6(1563)年、綱秀を討つことにし、出陣。勝沼城(今の青梅市勝沼)に本拠地を構えていたが、平城ということで、要害の辛垣(からかい)城に移し、北条の大軍に激しく応戦。しかし北条軍は多摩川南岸から攻め、渡河し始める。衆寡敵せず、綱秀は敗北を悟り、岩槻(今のさいたま市岩槻区)に落ちのび、その地で没したという。

 これが辛垣の合戦という。

 綱秀は北条軍との決戦に備え、岩石を大量に運んだのだろう、軍畑大橋から下流と上流とでは風景が違い、川幅は勿論だが、巨大な岩石は下流になると減っている。

 この激戦で亡くなった戦死者を慰霊すべく、「鎧塚」が軍畑駅から徒歩で行ける。軍畑駅は軍畑大橋から16パーミルはあろうかと思うほどの激坂だ。

これが牧歌的なはずのJR青梅線でひと際異質な響きを持つ駅、軍畑駅の由来である。

■ひとつのジャンクション−軍畑■

 軍畑は確かに名所がある訳ではない。単に名所に行きたければ、もう少し先の御岳の方が良いだろう。しかし、軍畑は頑張ってヒルクライムを越えれば、小沢峠に、それをどんどん進むと、岩蔵温泉に行ける。

 またもう少し進み、御岳の手前の「梅の木峠」まで行き、ヒルクライムの連続を進むと、「つるつる温泉」の裏側に出られる。ここは自衛隊の電波塔らしきものが建っており、自衛隊の車両が乗りこむことが多々あるため、舗装されている。MTBで無くても、ヒルクライム仕様のワイドレイシオのロードバイクでも行ける。

 行動範囲が広がる拠点、それがサイクリング上のジャンクションである。

 ここは夏も悪くないが、晩秋と路面凍結が比較的ない初冬がよりお勧めだ。飲食店は青梅駅周辺を除くと、和食屋が多い。地蔵院から吉野街道に出て直ぐのことぶき、和田橋から吉野街道に出て直ぐのいなりや、和田橋周辺のへそまんなど、蕎麦屋さんや和菓子屋が多い。へそまんは蒸し立てが出て来る。ヒルクライムの発汗で冷えた身体にはとてもありがたい。何よりも紅葉が美しい。

 サイクルコンピュータのデータ

 総距離:58.5km

 平均時速:18.8km

 最高時速:41.6km

 走行時間:2時間31分(参考値)

 矢張りランダム走行ゆえこういう結果となったが、次回はもっとスムーズに総距離も52km程度に収まっているだろう。

6 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する