Jetcityが学生の頃は超絶不況
試験的な採用が行われた中での入社となったのは今から41年以上前
永かったような短かったような.....。
やるべき事はシッカリと熟してきたつもりだが.....。
結果がついて来たのか来なかったのか.....。
初めての転勤は九州の宮崎.....。
夜道で襲ったら責任を取らされて......。
それが今の妻
Jetcityが言うと「割れ鍋にとじ蓋」.....。
良い嫁である。
左の写真は全てが終って帰宅してきたJetcityを迎えてくれた画
妻.....作である。
職場での慰労会や贈り物は全て辞退させて頂いていたのだが.....。
記念品の盾とカフスボタン
.....そして花束も
カフスボタンはロータス!
ありがたく頂きました
ロータスヨーロッパにはなむけの花束を同乗させて走る日が来るとは考えた事も無く.....。
ロータスヨーロッパの心地よい唄を聞きながら「あぁ〜 終わったんだなぁ」.....と。
右の写真はいきなりステーキ
妻とササヤカな慰労会
えぇ〜っと.....
人手不足という事で再雇用と相成りました.....。
そう、職場も職種もそのままという事で(苦笑)
.....という事で仕事をしている間はヨーロッパライダーとして生き延びられる事になったJetcityなのでした(慶)
おしまい
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