mixiユーザー(id:125571)

2018年05月07日10:29

94 view

芸術展のオープニングにでかけた


2018年 5月 5日 (土)

5月5日は日本では「子供の日」だがオランダでは第二次世界大戦が終結した「解放記念日」だ。 五月晴れの上天気のもと土曜のマーケットにでかけ、いつものルーティーンで白身魚の揚げ物を歩きながら喰った後久しぶりに開いていた行きつけのカフェーでビールを飲んだ。 入口のそばに出したテーブルに着いてボヤーッと前を行きかう人を観ていると飽きることはない。 その後古レコード屋のペーターと駄弁った。 この3週間ほどギリシャの島にバカンスに行っていたのを彼の女友達に聞いていたので日向ぼっこをしながらギリシャ事情の講釈に耳をかたむけた。

そこから10mほどしか離れていない市立図書館で新聞をよみ、そのオランダ高級紙には50万年前のヨーロッパ原住民は褐色から黒色で眼は青が入っていたものの白人ではなく、肌が白くなったのは精々この5万年のことでヨーロッパ原住民は白人でない、と書いてあった。 だから一部の民族派なり右翼にこの調査結果は科学的といいながらデマだと言い張る様なものもいるとも添えられていた。 なんともこの白黒問題は奥深いものだ。 

そんなことを思っていると電話がかかってきて、どこにいるのこっちは駅で待っているのに、と言われた。 ハーグ芸術家協会(HKK)の会員がそれぞれ何点か持ち寄って一年に一度展覧会をするそのオープニングに行く約束をしていて家人がハーグまで自転車で行こうというのをいやだ、電車だと4時に駅で待ち合わせようと言って家を出てきたのだった。 もう4時をすこし周っていた。 駅までは10分もかからないはずで5時のオープニングには間に合うはずだと踏んで自転車を漕ぎ駅に急ぎプラットホームにくれば15分のハーグ行きが出たところでオレンジと濃紺の車体が鼻の先を掠めて向うに去った。 喉が渇いていたのでもと来た階段を下に降りてアイスクリームを買ってきて舐め舐め家人のところに戻って来ると知り合いの作家もいて彼女もこの展覧会に行くところだったので気まずい雰囲気を紛らわせるのに都合が良かった。 プラットホームには見るからに日本人の家族がいたので尋ねてみた。 60代半ばの夫婦にその息子夫婦、乳児は母親の胸に、乳離れしていない幼児はバギーの中、そこには幼児、乳児用の衣類、オシメにその他たくさんのものを山ほど入れたバッグ3つがバギーからぶら下がっている大所帯である。 多分おばあちゃんの妹と思しき中年女性もいて若夫婦を除いて老人たちは皆デイパックを背負っている。 東京からきているとおじいさんは言い、若夫婦はオランダのどこにお住みかと尋ねると皆日本から来たのだと言うので驚いた。 こんな小さな子供連れで日本からきて旅行するのは、とくに車を使わず旅行するのは大変であることは自分はもう25年ほど前に充分経験しているからそのことを思い出してため息をついたのだった。 そのとき電車が来たのでそのまま挨拶をして互いに別れたのだがそういう旅行の仕方もあるのだ。

我々はハーグの外れに5年ほど住んでいてそこで息子と娘が生まれ、娘が生後半年ほどで今のライデンの家に越してきた。 そして27年経つ。 そのハーグ時代に家人はHKKの会員になり、時に事務や雑用をすることがあった。 当時のHKKは年寄りの集まりで会員芸術家のためのカフェーやレストランが建物のなかにあった。 家人の作品を車でそこまで運ぶこともしたし展覧会の準備で夜遅くまで何やかやと手伝いもした。 だからそこの何人かとも親しくしていたのだが土地を離れてみると家人は別として自分との接触はなくなっていた。 それからほぼ30年である。 オープニングの途中で一人の小柄な男が我々のところに来て久ぶりだというけれど自分にはまったく見覚えがない。 家人は当然誰か知っているものの自分には見当がつかずそのことをいうとハーグの家で自分が彼に日本食を振る舞ったことがある、と言った。 彼が道楽でやっているオランダの民族舞踊のグループが長崎のオランダ村に出かけることになって家人が彼を家に招待して日本のことを話し、自分が日本食を振る舞ったらしい。 どんなものを喰ったか訊いても彼も覚えていない。 話しているうちにその男の面影がすこし蘇ってきたような気がしたけれどはっきりとは思い出すことはなかった。 

家人は大阪の古い呉服屋で買った100年ほどの古切れを加工して4点ほど出展していた。 娘がナイメヘンからサプライズで会場に来た。 会員すべてが出展しているわけではないけれど7,80人が出展しているから本人、その知人を含めて150人ほどがあまり大きく無い会場に溢れていた。 オープニングというのはじっくり作品を眺めるところではなく知り合いと駄弁り意見交換をする業界のパーティーでもあるのだ。 自分は部外者だからそこにいてそんな人々を眺めながら飲み物やつまみを楽しんでいればいいのでこういう場は嫌いではない。 ここにこの前来たのは何年前だったか思い出そうとしてもできない。 6,7年になるのかもしれない。 

出展者のリストを見ながら混雑する会場で作品を眺めていると入口付近で女性の叫び声がして、痛い、痛いとわめいている。 どうせこういうオープニングの余興で外郭団体の俳優が寸劇を始めたのだと思っていたら医者はいないか、救急処置のできるものは、というのが聞こえたので娘が人をかき分けてそこに行くと老婦人が急な階段から転げ落ちて倒れている。 だれかが動かそうと言うのを留め娘が階段にからだを持たれかせ患者を股の間に挟み仰向けにもたれかせ出血の有無、意識の程度を調べている間に役員が救急車を呼んでいた。 氷で後頭部を冷やし絶えず話しかけそのうち救急車がやってきて隊員に患者の様子を報告し老婦人は担架で車に収容され病院に運ばれた。 先ほどの男がこれがあの時の赤ん坊かというので家に来て食事をしたのは27年前だったと分かった。 150人ほどいて救急処置の訓練をうけているものが一人もいなかったのには少し驚いた。 400人ほどの飛行機の乗客にはほとんど一人は医者が乗っていると聞いたことがあるけれど150人ほどに一人は上出来の方に違いない。 そのあと娘には褒美に冷えた白ワインの入ったグラスが持って来られた。 後で訊くとこういうことは医者になって3年、2度目のことだと言った。 平均年齢が60に近そうな群れの中で小柄なアジア系の27歳はとても医者には見えずただの小娘だった。

今晩は家に泊まるという娘を連れて天気がいいので駅まで歩くことにした。 駅前の草地の大広場には解放記念日を祝う大舞台や移動遊園地が設えられていて何万人もの人出があった。 その会場の縁を行きかう多くの人に混じって市駅まで歩く途中空を見上げてまだ午後四時ごろの陽射しだなと感じているとその時には実際にはもう7時に近かった。 また夏日が戻ってきたと喜んだ。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年05月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031