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2018年04月17日13:03

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週末に36km歩いてきた



週末の金、土、日とオランダ南部リンブルグに行った。 何か月も前から予定にあったものだが失念していて家人にそういわれてえっちら腰をあげたのだった。 家人が世話人の一人を務める地元ライデンのウォーキング同好会が春秋に行う定例週末合宿ウォーキング会が今回はリンブルグ州 Heerlen の自然友の会の宿舎をベースにして行われた。 そして金曜には家人が見たいと言う Tilburg の美術館 De Pont Muaseum へも寄ることになっていたので今回は車ではなく電車で行った。 美術館とそこでの展覧会には予想を上回る好印象を持った。 それに付いては別に記すことにする。

ティルブルグで夕食を済ませそこから1時間半ほど電車で南下すると Heerlen の町に着く。 ここは何年か前にこの辺りを歩いた時に泊まったことがありこの辺りを歩くときはこの同好会はここを常宿にしている。 自炊の大きなキッチン、集会場、食堂がありベッドが二つづつの部屋にトイレにシャワーは廊下の端にあってベッドのシーツ、枕カバーは持参でなければならない。 ユースホステルや自然友の会の宿舎には料金を払うと貸してくれるのが普通だけれどここは持ち込みでないといけないようだ。 それだけこだわりがあって旧式だということはある種軽薄な連中を排除するということでもあるようだ。 どちらかというとここに来る連中は何か地味で静か、真面目そうに見える連中が多い。 

それぞれどこかで夕食を済ませてきて午後9時集合、地元のパイ、コーヒー、ワインで恒例のミーテイングが始まった。 今回は自分も入れて25人が集まり、男が5人、一番下が50前、自分は真ん中ごろというところか。 自分の上は元ペンキ屋で労働党の地元活動家、元刑事で二人とももう70を越して大分経つ。 女性陣は二十歳台前半の娘が一人で後は殆ど孫がいるような年代、80代もチラホラいる。 女の情報網なのかこちらは向うのことを知らなくともこちらのことは知っていて大抵体のことを訊いてくれる。 もうルーティーンになっているので手短に説明することには慣れている。 お愛想に家族のことを訊ねると大抵孫の話になる。 

翌日の終日ウォークは Glupen という村までバスで行き、そこからベルギー国境を越えたりオランダに戻ったりして Michelen という村のカフェーで休憩して Glupen に戻る22kmのコースで、丘の上り下りがいくつもありそれがオランダの他の土地と違って魅力ある陰影を醸し出す。 だからここはオランダの中の異国でもある。 ドイツとの国境も通っていてドイツへ迷ってバスで戻ろうとすると路線がなくわざわざ遠回りするようなルートでなければ戻ってこれないようなこともある。 国境はあるけれど柵もなく国が違うからそういうこともあるのだ。 ヨーロッパというのは地続きで特にベネルクスからEUの主要国ではそういう風につながっている。

翌日は朝食を皆で摂って宿舎前のバス停から9時15分の便に乗り、30分ほど走って Glupen のバスセンターに着く。 そこで待っていた二人のガイドに合流して春の陽気の漂う丘陵地を一日歩いた。 暖かく半袖にリュックを背負って夏の服装と同じだ。 半ズボンで歩くものも多くいた。 ただ休憩の時には汗が冷えて体温が下がるから羽織るものが要る。 11時半に森の縁で倒れた木に腰を掛けて早い昼食にした。 弁当はそれぞれ朝食の際に余分にチーズやハムを挟んだサンドイッチを作り朝食に食べなかったゆで卵を持って来るものもいる。 水は各自水道水をペットボトルに入れているけれどバナナや蜜柑、リンゴの配給もあり小さなパックに入った各種ジュースも用意されている。 何日か前に世話人の一人である家人がスーパーに車で買い出しに行って別の世話人がそれをここまで運んできていた。 地元のパン屋とケーキ屋が宿に焼き立てのパンとケーキを配達してくれるから文句はでない。 この週末にはオランダでは人気のあるアムステルダム・ゴールド・レースという自転車競技がこの辺りであって2万とか4万という参加者がひしめき合うことになる。 ベルギーでも先週こういうものがあり、このあたりの出身者が去年ジロ・イタリアというレースに優勝して国民的英雄になっている。 実際 Epen という村のカフェーで休憩していた時絶えず前の道路をグループになったレーサーが走っていてその数は千を遙かに越している。 皆ゼッケンをつけてそこにはチップがはめ込まれていてそれぞれのポストで記録される。 参加者はマラソンのように何キロか選ぶことができてここでは60kmから240kmまで各種あるそうだ。 大抵 Valkenburg がゴールになりそこは終日混雑する。 だから自分たちのようなウオーカーはこういった人種を避けて歩くのだが何か所でこういう車の通る道を横切らねばならなく、なかなか途切れないバイカーの列を待つことになるからいっそのこと信号があれば2分かそれぐらい待てば渡れるのだがこんな田舎に信号などあるわけがないのでちょっと途切れたときに慌てて向う側に小走りで渡ることになる。 日が悪かったと思ってあきらめるしかない。 ここではこの土日が一年で一番賑わう時なのだ。

一週間に二度ジムに通っていることの成果が出てきたのだろう。 20kmを越え、それも丘陵地の上がり下がりも含めてのことだったので初めは自信がなかった。 10kmと15kmのところにバス停があるのでそこから宿舎に戻る人もいたけれど自分は何とか全て全うできた。 宿舎に戻って熱いシャワーを浴びてベッドに少し横になったけれどまだ余力があった。 夕食は毎回の通りアグニ―ス婆さんが一日キッチンに籠り一人で25人分を賄ってくれた。 カボチャのスープはハーブが絶妙で舌の肥えた婆さんたちからどういう風に作るのか質問が殺到していた。 インドネシア風カレーに自家製チャツネ―、菜食4名の為のものも用意されていた。 アグニ―スはインドネシア生まれで独立後の引揚者なのだ。 前回の夕食はフランスの田舎料理ココヴァンでそれを喰ったものは今でもそれを思い出すことができるからアグニ―スの料理を楽しみに皆歩きにくるようなものだ。 自家製のジャムが出来合いのアイスクリームについて自宅の庭から摘んだミントの双葉が乗ったデザートのあと皆の感謝の拍手が続いた。 そのあと各自本や新聞を読んだりゲームやパズルをする者もいる。 何人かはアイパッドを眺めている。 そのうちコーヒーや紅茶にクッキー、赤白ワインにビール、各種摘みがテーブルに現れ爺さん婆さんの賑やかなパーティーとなる。 自分の隣に座っていたこの集団では圧倒的に低年齢の娘は高齢参加者の娘だったと分かった。 母親の腰が不安なので付き添いに来たのだが本人も野原を歩くのが好きなようだ。 あと一週間ほどで彼女の母親が腰骨の手術をして補強するからこれが自分の腰で歩く最後の会だと言った。 若い男が居なくて悪いな、というと他のところでは幾らでもいるし、年寄りの中にいるのも楽しいと言った。 自分はまだ続く談笑をあとに11時に自室に引揚げた。

日曜は朝食は9時半、食後各自荷物を整理し、部屋を掃除して車で来た者たちに分乗して Heerlen の北にある Brunssummerheide という自然公園を周遊しそのコースが約14kmになる。 衣料と余分な食糧を別の袋に入れてあったものをリュックから別にして仲間の車に収め月曜に自宅に届けてもらうよう手配してデイパックほどの最小荷物で一日歩いた。 森とヒースの原野が混ざった公園は日曜の散策に来たひとで賑わっていた。 そういう意味では昨日の村から村へ農道や林の間の路を抜けていくウオーキングのほうが楽しかった。 広大な土地ではあるけれどそこをぐるっと回った感想は自然を歩いたということはあるけれどあくまで公園であって田舎の自然を歩くというものではない。 こういう歩き方を何回もしているからそのうち記憶は他のものと混ざって同じように見えてくるから特長がなくなるようだ。 とはいっても田舎でも単調であれば同じように見えて来ることもなくはない。 歩き終わってから公園の中心にあるインフォーメーションセンターにあるカフェーで休憩して会の終了とした。 その後殆どが車で帰宅する中、我々は仲間の車で Heerlen の駅まで送ってもらい3時間後にライデン駅に着きバスで帰宅した。 6時を周った頃だった。 ラジオのニュースと音楽を聴きながら暗くした風呂に寝そべって長湯した。 簡単な夕食だったけれどちゃんと全て歩けた褒美のビールが効いたのかぐっすり眠れた。
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