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2018年04月04日01:01

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イースターのディナーといっても



2018年 4月 2日 (月) Tweede paasdag、Paasmaandag ( 第二イースター日、イースター・マンデー )

イースターだけど今日や明日スーパー開いてるのかね、と家人に尋ねると、38年もオランダに住んでいるのに知らないの、とバカにされた。 当然昔のことであれば田舎は当然町でも日曜日は安息日であるのだからどこの店でも全く開いてはおらずここに来た当初は日曜に町を歩いてゴーストタウンのような景観を楽しんだりゆっくりウインドウショッピングをしたものだが、もう20年ほど前からは徐々に日曜にも店が開くようになり景気の後退を挽回させるのに宗教よりも金、というような社会にもなってもきているのだと思っているうちに宗教関係のいろいろある祝祭日やその関係日に店が開いているかいないかをいちいち覚えることもしなくなって久しく、だからそんなことを訊ねてバカにされるのだった。 青空マーケットは土曜に水曜日、スーパーは年中開いている、小さな商店は日曜は当然休みで月曜は全日休みや午後から開けるところがあり、、、、と何となく頭には入っているのだが今日イースター・マンデーがどうだったか知るわけもない。 公務員として働いている時はイースターの金曜から月曜まで自分は休みで、それはクリスマス休暇のようなもので、うちでブラブラしたり家族で特別な朝食、夕食と過ごしていたから店がどうなのか、どうせ世間もそんなもので閉っているにちがいないと大雑把に思ったまま定年したのだから大体が知る由もない。 イースターディナーにしても子供たちが家を出てそれぞれ好きなことをしているのだからこういう機会に家に来ることもなくそんな習慣も無くなっている。 実際この時期に自分の家族が今までどのように過ごしていたか記憶が殆どないのだ。 クリスマスと同じようなものだったのだろうと朧げに記憶しているだけだ。

日本から戻ってきて2か月、家族が4人揃うことも無かったので家人が子供たちに連絡して自分はディナーの支度をするのが大層になってきているから子供のところに行って、、、と皮算用をしていたようだ。 家でぶらぶらしている自分はどうでもいいから家人は外に出たかったのだろうと思う。 娘は女友達たちとハンブルグに遊びに行ってだめ、息子はハーグの自分の部屋でなにもしていない、というからそこにターゲットを絞って息子に、あなたが日本で買ってきた瀬戸物であなたの日本料理を食べたい、と言ったらしい。 四天王寺に老母の納骨を済ませたあと家族4人でミシュラン二つ星の日本の料亭で喰ったからといってそれを作れるわけがないのは分かっているけれどえらくハードルをあげて迫ったものだ。 ぼおっとしたところのある性格の息子は母親のいいつけは断れなく、いいよ、と言ったらしい。 だから息子のところでイースターのディナーとなったのだった。 そのことも忘れていた。

小雨が降る午後、息子の住むハーグに電車で出かけた。 バッグには家人が作った赤かぶと玉ねぎを煮たものが入っている。 息子が料理するものとばっかり思っていたものがクリスマスディナー形式だという。 そんなことは聞いていなかった、のだがぼーっとした耳から漏れていたのだと家人が言う。 仕方がないから癌が分かる前に日本の免税店で買ったウヰスキー、白州の18年物を土産にして何もしないですませようとした。 味見に一口しただけで胃を切りとり飲めなくなった。 フィットネス・トレーナーに50mlほど渡してまだ600mlは残っているものだ。 息子は飲める方ではないが好きで話の中でもなんやかやいうから仕事なかまに張ったりをかます意味でも味は知っておいた方がいいと思って残念の思いをもってプレゼントした。

ハーグ中央駅で降りブラブラと国会議事堂やマウリッツハウス美術館がある小路を歩いてオーストリアのザッハタルトを売る古い菓子屋でいつもの小さいものを買ってそれをデザートにするつもりらしかった。 ここも年寄り夫婦が引退して若い人たちが働いている。 小さくて垢抜けしない古い菓子屋はトレンディーからほど遠い人たちが来てお茶を飲みケーキを喰うところなのでいつ来ても安心する。 市役所の前からチャイナタウンの通りに入るとジャンキーや浮浪者があちこちに見え中国人に移民の子弟が中心になり異国情緒が漂うのだがその海牙中国人街、ここでは海牙をハーグと読ませるらしいけれど、その二つある中国風門のすぐ近くに息子は家を借りて友人とハウスシェアをして住んでいる。 3年前に小児科医をしているともだちと一緒に住み始めてそれがロンドンで職を得たのでオランダを出てからホッケーチームの友人とこの1年ほど一緒に住んでいるのだがそのスポーツ記者をしているのがこの半年ほど失職してブラブラしている。 それと一緒の4人のディナーだというのだ。チャイナタウンに入り掛けのところで中国食料品のスーパーからでてくる息子に出会った。 まだ入ったことがないと家人が言うので皆でそこに入った。 自分はこのチャイナタウンはもう30年ほど来ている。 気に入りのジャズ専門店があることと日本の食料が手に入ることから折に触れ来ているのだがまさか息子がそんなところに住むことになるだろうとは夢にも思ってはいなかった。

ことしのイースター・ディナーは焼き鳥、赤蕪、味噌汁、に白米、 白米には大葉を刻んだものを振り掛け、徳島の船着場で買ったすだち海苔のペーストで喰った。 息子は関空のアウトレットにあるたち吉で飯茶碗、小鉢、皿、湯飲み、箸置きをそれぞれ4つ、緑茶にもつかえるティーポットを買って機内の手荷物で持って帰ってきていた。 去年の5月には大阪の道具屋筋で堺の包丁を3本、丼物で使う一人用の鍋でもなく垂直に柄が立った柄杓のような調理具を2つ買っていた。 料理に興味があるようだがそれが味を保証するとは限らない。 この日は何もしなくてもいいと思っていたら突然味噌汁を作ってくれと言われた。 生シイタケ、エノキ、ネギ、増えるわかめ、麹みそ、かつおだしの粉は角の中国マーケットで買ってあったのでいつものようにでっち上げた。

窓の下を行ったり来たりする怪しい人たちを眺めながら息子のDJセットを使って久しぶりにLPをかけた。 自分には500枚ほどLPがあり殆どがジャズなのだが中学の時からDJを齧っている息子が自分で集めたセットだ。 自宅の今自分が寝起きしているスペースが息子が小学校の時から高校を卒業するまで使っていたもので、当時ほとんど入ったことのないスペースにこれがあったのだ。 自分はもうLPをかけることがないので好きなものはなんでも使えばいいといってあったから好き勝手に持って行ったものがここにある。 息子は当然ジャズなどは聴くこともなく息子の聴くものにはこちらは興味もないのだがそこにあるものを眺めていると自分が若かったときのものがいくつもある。 目の前にあったのでステイ―リー・ダンとクラプトンのレインボーコンサートのものをかけた。 100枚ほどがはいるLPバッグを捲っていると和田アキ子の若い時のLPがあった。 それは5月に娘が大阪のアメリカ村でかかとにワンポイントのタトゥーを入れてもらっている間に近くの古レコード屋で見つけたものらしかった。 なんで和田アキ子なのかその理由を聞き洩らした。
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