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2018年02月25日03:57

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オリンピック雑感




今週月曜日のフィットネスの折だった。 韓国での冬季オリンピックがたけなわで自分が週2回通うジムではそれぞれの「患者」にトレーナーが一人づつついてトレーニングするのだがトレナーの一人がノートパソコンにオーバーヘッドプロジェクターを繋いで壁にテレビの画面を映してスピード・スケートの実況を見せていた。 自分は通常1時間でこなせる運動を順番に済ませていくべく機械を使ってボート漕ぎをしたり荷重を両腕で押し上げる筋肉トレーニングに励んでいたけれどオランダのコメンテーターががなり立てる実況は聞こえていた。 オランダはスケート王国で或る世界大会では賞を独占するのでそれを防ぐのにルールを変えようかという声まででているという噂もあったほどのスケートに強い国だ。 だからオリンピックがなくとも毎年冬になると、いや冬にならなくとも氷が張るようになるとスケートの話題が世間に蔓延り更にオリンピックなどがあるとそれに火が注がれたように熱狂する。 それが今オリンピックのためにこんなジムでも盛り上がっているのだ。

自分は暖かい大阪南部で育ち雪や氷にはあまり縁がない。 自然と冬季オリンピックの種目にも興味が湧かず誰が勝った、どの国が何個メダルを獲得したというようなことにはまるで興味がない。 それは夏季オリンピックについても同じことだ。 いつごろから興味がなくなったのか思い出してみるとオランダに越してきた1980年代ごろからだと思う。 例えば運動の世界大会なりそういう個人が表にでるものには興味がなくもない。 自分も少年のころ地元の陸上競技会に出て賞をとったこともあるのだ。 ボクシングやラグビーなどにも興味がある。 けれどサッカーには興味がない。 多分あからさまに個人、チーム、団体の成果が「国威発揚」なり「(健全な)愛国主義」的な性格に繋がりスポーツに別の色合いを見せるのがあからさまにみてとれて、それに嫌気がさすのだろうと思う。

テレビが好きな自分はあちこちの国の局を逍遥しては同じスポーツイベントを眺めていたことがある。 それぞれの国のコメンテーターがほぼ自国の選手のことだけを語り、期待感をまくしたて、自国の選手とその背景のみが絨毯爆撃的にばらまかれそれが延々と続くというのが普通だ。 それぞれがそれぞれの小部屋で自国の選手だけしか見ず自国の聴衆を扇動する。 冬季オリンピックは別としても夏季オリンピックでは自国の選手・選手団が優勢な種目のみがスポットライトを浴び延々とその映像が流される。 フランス・ベルギー・オランダ・ドイツ・イギリス・イタリア・トルコなどの局を巡ってみるとそれがはっきりする。 それぞれがそれぞれの関心事のみを語りここぞとばかり柔らかい愛国心を煽り立てるのだ。 そしてメダル獲得数を列挙してその中で自国を称揚し将来嘱望される選手たちを紹介し聴視者の興味を先につなげる。 健全な闘争心といいスポーツマンシップというけれどそこに自分はすんなり入りきれないものを感じるのだ。

壁にテレビ画面を持ち込んだトレーナーが自分のところに来て妙なお辞儀をしてオメデトウと言った。 なにが、と問い返すと日本のこれとこれがこれこれの記録で金メダルをとったから、というと自分はそれを知らなかったから、自分には関係がないし興味がないというと驚いた様子であんたは日本人だろ、うれしくないのか、というので別にと応えると、こんな日本人もいるのだなと呆れ気味だった。 日本人は群れて自国の旗を振り回すように思っているのだ。 それはここのオランダ人と同じである。 そのうち金をとった日本人女性がマイクの前で何やらオランダ語を話しているのが聞こえたが発音がはっきりせずインタビュワーが何回か同じ質問をしていたが諦めて自分の勝手な解釈にして、次に画面はその日本人メダリストがオランダ人でかつて長野で幾つか金を取ったマリアンナ・ティマーという女子選手とアイパッドの画面を通じて話すのが見られた。 日本人選手の何人かはオランダで訓練され、或る種目の日本チームのコーチはオランダ人だそうでその40代半ばに見えるオランダ人男性コーチもテレビの前で、オランダに比べて日本は個人プレーというよりチームワークを重んじそれが日本文化にもあったものだというような薄汚れたステレオタイプの発言をしているのに接してスポーツ界によくいる単細胞な男だと少々うんざりした気分になった。

別の世界選手権の試合ならとりたてていうこともないことがオリンピックとなると個人の成績が国の業績となって表に出てくる。 そして勝者は国を代表するものとなり自分を誇ることがそのまま国を誇ることにされ、ことにオランダや日本のような小国はここぞとばかりに一時の胸のすく思いを爆発させることになるのだ。  個人は勝つために練習を重ねるがだれも国のために勝つのだなどとは思ってはいまい。 それはいつ南北が統一できるのか確かではない精々北の参加者が考えることでしかないのかもしれない。 帝国主義のきな臭い時代に考え出されたオリンピックというものが今ではコマーシャリズムとナショナリズムが合わさってそれにドーピングが絡まってテレビ画面を通じて世界を煽る様な時代である。 個人がどれほど等身大の個人でいられるのか危い時代でもあるように思う。

自転車を漕ぐ機械に或る数値の荷重を設定して6分で2.5kmの仮想の距離に到達すべく汗を流していた。 自分には壁に映された競技より自分の競技の方が切実でどこの国がメダルをとったのかはどうでもいいことだ。 最後の30秒を必死で漕いだから自己新記録の3kmに到達し、息をゼーゼー切らしているとトレーナーから心拍数が160近くまで上っているのを指摘され、やり過ぎだと言われた。


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