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2018年02月18日19:44

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家族でコミック・サーカスを観に行った



2018年 2月 17日 (土)

久しぶりに土曜のマーケットに出かけ揚げたムール貝を昼飯代わりに喰い市立図書館でミント・ティーを飲みながら写真雑誌やジャズ雑誌を眺めて過ごした。 

その中で一枚の写真に注意が行った。 もう何年も前にオランダの年中行事、国王の日かに王家の一族が乗るオープンカーのバスにスズキ・スウィフトに乗った男が猛スピードで突っこもうとして見物人を何人も巻き込んで死傷者をだし自らも沿道の何かの記念碑に激突して死ぬ、という事件があった。 カラーの一枚には大きく運転席で仰向けになって頭から血を流す犯人の向うに小さく国王、王妃がこちら側を眺めて呆然としている姿がはっきりと見えるものだった。 ここではその事件を新たに思い出させることもさりながらこのような写真が大きく公衆に晒されることに驚いたのだった。 事件当時は様々な画像・映像がメディアに流れたがそこでは自己抑制があったのかこのようなものは見られなかった。 あれからもう9年も経って「ほとぼりがさめた」という思いがあるからなのか。 仮令ほとぼりがさめたと言っても死んだ犯人はともかく、犯人の家族の犯人に対するプライバシー権というものもあってそれが保護されるべきものではないのかという思いも湧いて来る。 それを敷衍して、もし写真の版権をもっているものが家族にいくばくかの金銭をはらって権利を買う、というようなことをしているとしたらこのような雑誌に現れることもある可能性もあるのだろうがそれはそれだけで済む問題なのだろうか。 名前も顔も分かっている犯人があからさまにこのような写真としてでるということにただ犯人だからという大雑把なくくりだけで出してもいいというのならこの場はセンセーショナルなことだけを煽る雑誌でもあるまいしちゃんとしたまともな写真雑誌にでるということに自分は少々驚いたのだった。 それで思い出すのは三島由紀夫が個人的な理由から自分のクーデターを起こそうとして自衛隊本部に突入、失敗し自決した時の一枚の写真のことだ。 割腹した後「小姓」とも見做されていた森田何某とともに落とした首を地面に置いたモノクロ写真だ。 事件当日か翌日かに一度だけ新聞で見た。 けれどそれはそのとき一度だけでその後はそのセンセーショナルな写真は二度と外に出ることはなかった。 センセーショナルなことは当然として当時ノーベル賞をも目指していると目されていた著名作家であることが生首写真を後退させることに関わっていてそれがプライバシーに関わる議論を覆い隠すことになっているのだろうとそのときは思った。 あれからもうそろそろ半世紀に手が届くところに来ている。

図書館で雑誌を眺めていてついつい時間を忘れてしまっていた。 今日は大阪で別れてから初めて子供たちと再会することになっていた。 娘の誕生日の祝いもかねて夜アムステルダムのコミック・サーカスの公演を観ることになっていた。 自分にはなにを観るかは知らされていなくてただ劇場公演とだけ知らされていて深刻なものを英語ならともかく、オランダ語で聴かされるのかと覚悟して行ったのだが結果は言葉は要らなかった。 その前に劇場近くのトルコ・レストランに集まることを示し合わせていてそこに落ち合った。 娘とボーイフレンドはナイメヘンから午後にアムステルダムのホテルに来ておりそこで自転車を借りで8km漕いでこのレストランで待っていた。 何年も前にイスタンブールで喰って以来のうまい料理だった。 アムステルダム西部のオスドルプと呼ばれるこのあたりはトルコやモロッコの移民が多く通りにしても異国だった。 自分が入院していたオランダ癌研病院もそこからはあまり遠くないところにあった。 大きなレストランはそんな移民の家族ではちきれそうだった。 食事を済ませてそこから歩いて劇場に向かった。

劇場のロビーは混雑していた。 2000人ほど収容の場内に入るとあちこちで道化が入場してくる客たちにちょっかいをかけていた。 指定された席に着くと列の端に坐っていた娘のボーイフレンドにちょっかいをかけ話しかけていた。 後で訊くと、アレルギーはないか、何かに対する恐怖症はないか、癲癇もちではないかなどだったらしい、どれにもない、と応えるとあとで呼び出すから待っていろ、といって離れて行ったという。 冗談だとしていたら公演が始まってしばらくした頃舞台上から名前を呼ばれ上がってこいと命令された。 汚れてもいいように赤いオーバーオールを着せられしばらく玩具にされ弄ばれたのち席に帰された。 公演も中頃を過ぎた頃にまた呼び出されメンバーの一員とされトリックも含めて弄ばれその頃にはほぼ2000人ほどの客の人気者になっていた。 公演が終わり我々がロビーで飲み物を片手に話していると何人かの客が、あのときはあれはどうなっていたの、だの、首を思いっきり振り回されていたけれどどうもなかったの、だとか訊ねながら微笑みながら帰っていくものがいた。 そしてそのうち出演者の一人が彼のところに美味いベルギービールをもってきて安い出演料だけどねといって手渡して帰って行った。 コミックやサーカス、コメディアン養成のアカデミーがあってそこを優秀な成績で卒業したものたちばかりだから芸は達者だった。 音楽にしてもジャズのスタンダードを上手にアレンジしてそれぞれが楽器を演奏したし全体的に大人のためのコミック・サーカスだったのだ。

10時を大分周って外に出れば星月夜で寒くはなかった。 レストランの近くに息子の車を駐車してあったけれどそこは珍しくメーターが要らないフリーパーキングの地区だった。 息子は、ここを有料駐車地区にすれば暴動が起こるだろうから、と冗談を言ったがあながちそれが冗談ではないような地区だった。

尚今日の写真で娘のボーイフレンドから写真をここに載せる承諾は取っていない。 首は胴体についているし舞台であれだけ翻弄されたのに死んではいないのだから生存写真としての証明にはなるだろう。 
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