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2017年08月18日06:45

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こういうゲテモノ映画を褒めるのは、いかがなものかと思う。本多猪四郎監督「マタンゴ」(1963)。

1963年のお盆映画です。今でもCSなどの放送ラインナップを見れば分かることですが、夏の夜には怪談映画というのが定番。暑い夏には、せめて肝だけでも冷やさなくては、という作戦です。そういう意味で、さほど暑くない昨夜、この映画を見たのは僕の失敗でしょう。

映画は、金持ちの道楽息子・笠井(土屋嘉男)のヨットで南海に繰り出した男5人と女性2人が全登場人物。笠井は金に物を言わせて、幼なじみの作田(小泉博)を船長にしているものの、全権は自分が握っている。クラブ歌手の麻美(水野久美)を誘い、下心ありありですが、麻美はお気に入りの小説家・吉田(太刀川寛)を連れてきた、という展開。

たまたま誘われた大学の先生・村井(久保明)が全容を語るという設定となっています。その村井の教え子・明子(八代美紀)が清純派代表、水野久美がお色気代表となっています。さらに船員役で佐原健二。セリフがある配役はこの7人だけという、低予算ホラーの常道をいく作品でした。

公開時には、“東宝特撮映画”が世界へ羽ばたこうという時代でした。そんなころにお盆の怪談映画を特撮で展開する。されなりに勝算があっての企画だったのでしょう、そしてそれが成功したわけです。現在は東宝特撮映画を語るとき、この作品を外したら画竜点睛を欠くという感じになっています。

僕は東宝特撮映画を語る気がないので、今の今まで見ませんでした。そもそも録画してDVD-Rにしてあるというのも忘れて、たまたま契約中のNECOで放送したので見たしだい。こんな映画を、毛色が変わっているというだけで褒めたらあきませんで。作る側も本気で作っていないんだから。

どこが“本気ではないか”というと、展開のご都合主義にあります。嵐が来るのに南海へ向かい、当然のように難破する。その途中で無線機が壊れるのも、ラジオの電池が切れるのも、学芸会の芝居だってそう都合よく進まんぜという、設定した難破へと一直線。狭いとはいえ、自分たちのヨットがあるのに、カビだらけの難破船に乗り組んでそっちで寝起きするって、ご都合主義以外のなにものでもないでしょ。

僕だったら、あのカビの難破船を掃除するという気にならないけどね。使えるものや食料だけを手に入れて、自分たちのヨットに戻りますわ。と、まあ、こんな映画にいちゃもんつけたって、1ミリだって世の中のためになるわけではありません。手を出した僕がバカなのでした。東宝の映画だから、水野久美の色気程度じゃ、1960年代の高校生だって喜ばんからね。

ふと思ったのは、こういうご都合主義の映画を、せいぜいこんなもんだろうと“消費”していた時代に、なぜ僕はその“消費”する側に回らなかったのかということです。今だから明言できますが、こういう“消費”に金を使う余裕がなかっただけ。日常的にガラクタを買うことが無理な環境だったわけです。

同時に、この映画が公開されたころ、「大脱走」がヒットしていました。春先には黒澤明の「天国と地獄」があった。そんな中で、こんなゲテモノホラーに手を出す余裕が、僕の家にはなかった。これが最大の原因です。逆に僕は、そんな“余裕”のある家が羨ましかった。だから僕は、そういう安手の怪奇映画を、とことん憎む側へと自分を置くしかなかったのです。

そうは言っても、「マタンゴ」程度の映画を“カルトの名作”みたいに褒める神経は、やはり納得できませんね。僕の場合、こういう作品を褒めると自分の評価基準が下がる気がして、とても褒める気にならない。水野久美に少しは色気を感じるけど、その色気は「月曜日のユカ」の加賀まりことは、天と地の差があります。まさにその差が、「天国と地獄」と「マタンゴ」の差だと言っていい。

それとオールシネマ・オンラインには、天本英世がマタンゴ役だとありますが、どの場面のマタンゴが天本英世なのか、きちんと指摘してくれないですかねぇ。どっかで聞いたトリビアを無責任に書いていたら、データベースとしての資質を疑われますよ。←と言いつつ、孫引きしてるけど。

原案が星新一と福島正実と出て、海外の原作者名も出ますが、このウィリアム・ホープ・ホジスンさんは第一次大戦で戦死しておられるようです。だから核の恐怖という「ゴジラ」の亜流に釣られちゃダメですよ。ということで、フレディ・フランシスのホラー作品とさえ、比べたくないゲテモノでした。
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