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2017年08月01日13:00

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ロジェ・ヴァディム試論、あるいは映画の美についての一考察。「獲物の分け前」(1966)を再見して。

かつて僕はある“映画評論家”とビデオ専門誌の対談を行なったとき、彼が「血とバラ」を見てもいないくせに、“僕はロジェ・ヴァディムにはカメラを持たせるな!と言いたい”と発言したので、“ヴァディムは監督だからカメラを持たない!”と声を荒げて反論しました。ま、その方は名前の通り「若大将」シリーズでも見ていればいい、“耽美”とか“映画の美とは何か”という命題とは無関係な方なんです。

それはともかく、某勉強会でのジェーン・フォンダ研究、最後は「獲物の分け前」でした。原作はエミール・ゾラだそうですが、僕は文学には疎いのでそのあたりは専門家にお任せします。ただ、ヴァディムはこの前に、ラクロの「危険な関係」を現代にアレンジして映画化しています。この勉強会の夜に、「危険な関係」の主要キャストだったジャンヌ・モローの訃報に接するとは思ってもみませんでしたけど。

1960年代半ばといえば、日本ではピンク映画が作られ始めたころです。しかしアメリカではヘイズコードが健在で、2万何千に及ぶ項目を挙げて映画の倫理を規定していました。ところがフランスでは1950年代末ごろからヌーベルバーグが登場し、正面から性愛を取り上げる映画も出てきました。

ということでロジェ・ヴァディムは、ブリジット・バルドーを世に出した男ですし、ヌーベルバーグとは別に、フランス映画の“良さ”を全世界にアピールしていたのでした。僕は1967年3月9日に「獲物の分け前」を見ています。その2日前には、若松孝二の「胎児が密猟する時」を、西成区の鶴見グランドで見ています。なんたる偶然。

若松孝二という監督はピンク映画を作ってセンセーショナルな話題を提供しましたが、今になって思い返すと話題以外に興味はなかったのではないか、と思われます。少なくとも、“陶酔できるような性愛の世界”をピンク映画でやろうとは思っていなかったはず。一方、ロジェ・ヴァディムは、映画で美しいもの(僕の印象では、主に女性)を描くことに命を懸けている雰囲気があり、当時の僕にはすこぶる好ましい監督さんでした。

この「獲物の分け前」、今回見直してまず音楽に興味を持ちました。ジャン・ピエール・ブルテールとジャン・ブシェティという名前については全く知りません。フランシス・レイのアルバム作りに関与しているみたいですけど。冒頭、揺らめく水面にゆらゆらとクレジットが続くのですが、その音楽がシタールに思えました。

ビートルズのジョージ・ハリスンがラヴィ・シャンカールに師事したのは「リボルバー」のころですから、ちょうどこのころインド音楽が注目されていました。ところが映画の中には中国人の先生が出てきて、生徒のサッカールの息子(ピーター・マッケナリー)が中国のマンドリンみたいな楽器を手にし、似た音色を奏でます。また別の場面に流れるテーマはギターのよう。

終盤に流れるテーマ曲は明確にシタールで、打楽器のタブラも加わってインド音楽らしくなります。ときにはハープが同じメロディーを奏でますが、それが僕には「血とバラ」を思い出させる。しかしそれは、あまりに個人的な印象すぎます。

基本的に、若い義母(ジェーン・フォンダ、当時29歳)とマッケナリー扮する義理の息子の不倫話です。ふたりが亭主(ミシェル・ピッコリ)の目を盗んで愛欲に走る。それを延々と(といっても100分未満)描くだけの映画です。1970年代以降の、社会における裸の氾濫を経た人たちには、“この程度で、何?”みたいな印象もやむをえませんが、僕にしてみれば当時のピンク映画の即物的な性の安売りとは違う、セックスってもっといいもんなんだよ、という大人(この場合はヴァディム)からのメッセージがうれしかった。

よくヴァディムは耽美主義の作家だと言われます。耽美という言葉は、美に耽って世の中をおろそかにするという印象を与えがちですが、僕は“それのどこが悪いねん”と居直りたい。そのためには、説得力のある作品が必要なんです。若松孝二のピンク映画では“美”を語るには、あまりにも寂しすぎる。

先日も引用しましたが、将棋の羽生三冠によると、次の一手の選択の決め手は“美学”だそうです。つまり“美しさは、安心につながる”と。つまり美に耽るのは、安心を得たいためでもあります。そういう意味では、とことん保守主義とも言える。←しかし最近将棋では、コンピューターが棋士たちの言う美学とは違う手を打ち始めていて、美の概念が変わるのではないかと心配です。とはいえ3八金という初手も、しばらくすると王の居場所が広くなって安心につながりますね。

ということで、今回「獲物の分け前」を見直して、エロチックな美しさとは何かをじっくり考えたくなりました。つまり僕だって、基本的にきれいなヌードを拝みたいわけですが、ときにはヌードではないほうがエロチックで、それが安心感につながることがある、ということです。映画を作っている方には、ぜひ安心・安定を実感させる性描写をお願いしたいと切に願います。
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