Makkelijk Leven (苦労のない快適な生活)
Herman Koch 著
オランダ語 94頁
2017年
CPNB 出版
ISBN 978 90 5965 411 2
本書は2017年度のオランダ読書週間に書店で2000円以上の書籍を買うと付録につけられる掌編小説である。 本書につけられたバーコードを駅でスキャンすると4月2日(日)には1日オランダ国鉄を乗り放題というような恒例の特典も付けられており電車を乗り継いでオランダを1日周遊するあいだに読んでしまえる体裁にもなっている。
「時間は時として鳥のように飛び去り、また時には虫が這うように過ぎるが、人に関しては時の遅速に気付かないということが何事も上手く行っているということだ。」
ツルゲーネフ; 「父と息子たち」 より というような言葉が扉につけられている。
1. 問題があればそれについて考えることをせず無理に解決しようとはしない。 問題は考えなくとも屡々それ以前に解決しているものだ。
2. 他人を許すこと、自分を許すこと、自分を祝福せよ。
3. 時が解決してくれる。 一晩寝れば翌朝には既に幾分かは回復し、一週間後には何が問題だったか憶えていないほどになる。
4. 他人に干渉されそうなところを避ける事。 屡々文字通り問題が始まるときにそういう部分が現れる。
5. 問題のリストなど作るな。 リストに上がる様な重要なことなどはない。
6. 他人に影響し他人を変えようとするなかれ、それは自分自身についても同様である。
7. 自己の悪い性格が本当に悪いのかどうか問うてみよ。 その性格を抑えたときに自分の全人格が否定されるかどうか問うてみよ。
8. 何かが始まるまで待たないこと。 様々な可能性が全てかなたにあるという未来のことを考える事。
9. 満足した人であること。 満足できない者はとりわけ時間を無駄にする。
10.今日できることは明日までしないこと。 例えば、流しに洗い物を放っておいてもそれに罪悪感を感じることはない。
11.生きることは今から始まる。
上のリストは最終頁に載っている本作の主人公が出版した自己啓発本の目次でオランダでベストセラーになっただけではなくアメリカでも当たり世界中で4000万部売り上げたとされ、そのタイトルは「Easy Life」でありオランダ語の本書と同じタイトルである。 主人公はこのようなジャンルの作家ではあるけれど精神科医でもなく、自己啓発に関する何の学位ももっていない。 もう成人して結婚している二人の息子がおり長男夫婦はカナダに住んでいる。 主人公は長男の性格を退屈極まりない男だと断じ、次男を優柔不断で母親のいいなりであったけれど今は嫁のいいなりになっている凡庸な男だと思っている。次男がのちに結婚する彼女を初めてうちに連れてきた時には妻も自分もいい印象をもってはおらず、結婚してからも嫁は厳しく潔癖で何事も決めてかかり、こどもには色鉛筆は攻撃的な性格を育てると黒鉛筆しか与えず、テレビも見せず、喰い物は甘いものを与えず健康食品だけで育てるそんな嫁には諦め感をもっており、尻にひかれた次男を憐れみをもってみているけれど妻はそれ以上に嫁に敵愾心を抱いている。 だから孫が家に泊まりに来た時には色鉛筆とお菓子をふんだんに与えマクドナルドに連れて行き好きなものを腹一杯喰わせるようなこともする。
主人公は自分は自分の性格を、飽きやすい性格で印税で買った黒のジャガーFXを妻に眉を顰めさせてからはオランダで著名な弁護士が乗るベントレーに気を引かれるような性格でもあるという。 着るものは妻のいいなりでテレビでサッカーを観るのが趣味である。 人生は上手くいっており自分の著書どおりだと感じているところから話は始まる。 オランダの中年以上の夫婦のように全てが自動操縦のように生活が流れていきその中でも最低限度の社交として誕生日のパーティーは重要で主人公も仕方なく従来のやり方で見知った人々を招き変わり映えのない話で時をすごす。 そんな時に次男夫婦が来るはずが嫁だけが遅れてきて玄関で涙ぐみ居間に通すのは他の客たちにも当惑の基になるので別室に連れて行き話を聴く。
眼が腫れていて次男に殴られたのだという。 家庭内暴力で初めてのことではないと聞かされ当惑する。 暴力は絶対悪であって次男には何の言い訳もいい分もない、ただ嫁の言いなりになっていた次男が暴力をふるうまでの夫婦間の経緯をここで一方的に判断することもできず、話は話として取敢えず聴き、後日次男と話すことを約してその日は収める。 パーティーの後妻に仔細をはなして後日次男とはなすことを約するけれど妻は次男の肩を持つ。
どのようにことを収めようかと思案するときに参考になるのは自分の著書でありそれに従うと急いではことを仕損じる、時間に解決させよ、他人を影響するようなことをするな、などの条項があるけれどそれには納得できないようなこともあり結局は中途半端にカフェーで次男と酒を飲みながら取り留めもない話をするけれど話を始めることはできず再度嫁とバーで会うことになる。 嫁の性格を厭っていたけれど同情心もあり話す態度が柔らかくそれを嫁が邪な心をもっていると採る。 説得途中で思わず手を重ねるとそこで嫁は主人公の眼は初めから邪な心をもっていたのだと言い募りそこを去る。 翌日次男が玄関に現れ主人公は鼻から血を流して気絶する。 その後次男夫婦はオーストラリアに移民として去ることになり、妻はカナダの長男夫婦のところに出かけ戻ってこない。
以上が粗筋でありオランダ語で本書を読むような日本人は多分いないだろうし、また本書が日本語に翻訳されることも考えられないので話の筋を上のように述べた。 本書は性格上重厚な文学でもナンセンスな軽薄本でもなく、どこにでもだれにでもあるような普通の生活の中に潜むことごとを掌編小説にしたもので、本書を読むものは初めから隅々に「アルアル感」を共有するだろう。 ドラマはあるにはあるが天地を揺るがすものでもなく、ましてや人の生き死ににかかわるものでもない。 主人公の自足した快適な生活が些細なことから瓦解するのは気の毒なことではあるけれどそれがどうした、という種類のものでもある。 世間ではこういうことは始終起こっていてとりわけ話にも登らない種類のものかもしれない。 それが読書週間の「オマケ本」という性格に甚だあったものであるのはこのジャンルに精通した作者の僥倖でもある。
作者の Herman Koch は現在64歳の作家・俳優・コメディアンで、我々には90年から10年以上テレビのユーモア・ドタバタ番組の三人組の穏やかな性格を演じる一人として広く知られている。 このような著書も多く、実際2013年には彼の著作がアメリカでベストセラーになりオランダでは未だかつてそこまでアメリカでベストセラー・リストの上位に登った作家はいないほどだと言われている。
人生60年以上生きてきて多かれ少なかれその時々で自分の存在を危ぶませる気配や切っ掛けを感じることは誰にもあるだろう。 その一つの可能性が自分でものした自己啓発本でも救えないというようなシニカルなコメディーではあるが話の体裁としては何か月か経てば忘れてしまう種類のものではあり、電車で3時間もあれば楽しめる佳作とでも言えるものでもある。 尚、表紙のデザインもウイットに富んだものとして微笑ましいものといえるだろう。 一人取り残された主人公がどうなるのか、時が解決してくれるのかどうか、我々は自分たちの周り、自分の経験からしてどうなるのか幾通りにも想像でき、そこから自分で新たな話を紡いでいけるようでもある。
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