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2017年04月08日06:47

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東京上空三十秒  (1944);観た映画、 March '17




邦題; 東京上空三十秒   (1944)

原題; Thirty Seconds Over Tokyo



138分

初公開 1944年(アメリカ)、 1957年(日本)

監督: マーヴィン・ルロイ
製作: サム・ジンバリスト
原作: テッド・T・ローソン
ロバート・コンシダイン
脚本: ダルトン・トランボ
撮影: ハロルド・ロッソン
ロバート・サーティース
音楽: ハーバート・ストサート
出演: スペンサー・トレイシー
ヴァン・ジョンソン
ロバート・ミッチャム
ロバート・ウォーカー
フィリス・サクスター
スコット・マッケイ
ドン・デフォー
スティーヴン・マクナリー
ルイス・ジーン・ヘイト
レオン・エイムズ
ポール・ラングトン
ジョン・デナー

第二次大戦を背景に、ドゥーリトル中佐に率いられた空爆部隊が極秘訓練を繰り返し、東京初空襲に至るまでを描いた戦記映画。日本公開は97分のカット版。 

上記が短い映画データベースの記述である。 アメリカアマゾンで注文したDVDで観た。  尚本作についてウィキ゚ペディアに次の記述がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E4%B8%8A%E7%A9%BA%E4%B8%89%E5%8D%81%E7%A7%92

本作は太平洋戦争終戦前年に制作・公開され日本では戦後12年経ってから公開されている。 本作を注文した動機はこの前にスペンサー・トレーシーの西部劇風サスペンスを観てその後トレーシー関連で「東京上空30秒」というタイトルの作があるのをみて東京大空襲のことを描いたのではないかと邪推しそれがどのように描かれているか観たかったからだ。 結果としては甚だ肩透かしを喰ったような感を持った。 東京大空襲については下に牽く。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2

上記に依ると大空襲は44年11月から翌年の5月まで100回以上の攻撃の結果、死者の数が10万を超すと言われるもので本作は大空襲作戦の導入部分となる先発隊というべき作戦の物語のようで実際の作戦とほぼ同時進行でスタジオ部分もあるのだろうが多くは実際の艦船、航空機をそのまま使って撮影されているようだ。 自分の親たちがまだ若い時に空襲を経験しておりそこではグラマン戦闘機やB29爆撃機というような名前が聞かれたが本作の舞台になるのはそれよりももっと小型のB24爆撃機でB29に比べると随分小さくその操作過程や内部の様子が旧式のように見えた。 けれどそれはアメリカの航空機だけで比べたもので国力の劣った日本製とはまるで比較にならないものだろう。 

B29爆撃機が東京大空襲の主戦機となりそれを迎え撃つ日本機が手も足も出なかったというのは家族たちからも聞いている。 大阪泉南で育っているので親たちから神戸や大阪、堺などの空襲に紀伊水道から上がってきたB29の銀色の姿を見て、迎撃する日本側の戦闘機は殆どなく、有っても10kmあたりの高空まで上がれず息が続かずスゴスゴと引き返しているのを何回も見ていたと聞いている。 親戚の田畑の近くに名前だけの陸軍の飛行場があり張りぼてのエンジンもついていない飛行機が並べてあったようでそこを爆撃したグラマン戦闘機が残った爆弾を自分の村に落とし機銃掃射をして去る際に飛行士の顔を一瞬二階の窓の隙間から見たというのも母親から聞いている。 それが自分の周りであった間接的な戦争体験だ。 そして村の墓場には会ったこともない親戚のおじたちのものを含め角張って尖った御影石の墓石が沢山観られた。 多くは大陸や南方へ輸送中に沈められた船と共に没した男たちのものだった。

1960年代になってテレビや漫画、映画を観るようになって戦争、チャンバラ、西部劇で育っている。 そこに見るのは勧善懲悪であるのは当然であるがアメリカのものが雪崩をうって入ってくれば子供の頭の中に生起するのは奇妙な捩じれた像となっている。 チャンバラは別としてアメリカ映画で悪人・敵はドイツ人、インディアン、日本人なのだ。 自分たちは戦後生まれであるので鬼畜米英はことばとして知ってはいるが親たちのように刷り込まれてはいない。  だから自然と画面の主人公たち、すなわち白人アメリカ人たちに肩入れをして観るようになるのは当然のことで子供の頭の中にはアメリカ兵、鞍馬天狗、ローンレーンジャーが同等に並ぶようになる。 そこでたまに見えてくる日本映画の特攻隊や南方海戦記ものに見る日本の軍隊とその兵士たちがアメリカものと比較されることになる。 

日本がアメリカと戦争をして負けたことは知っている。 なぜ負けたかも後年教育システムの中で知るようになる。 けれどなぜ負けたかということを親や大人たちから直接聞いたのは、あんな国と戦争をして勝てるわけがなかった、という「あんな」というところだろう。 親たちは、欲しがりません勝つまではといいながら銀色に光るB29に立ち向かえないですごすご引き返す蚊トンボのような日本機をみてすでにそのことを感じ始めていたのだろうし戦後は圧倒的な物量でなし崩しに押し寄せるアメリカのものに流れて日本精神は民主主義に取って代わられ遮二無二物の豊かさを追い求める。 そして日本精神の発揚の場は国際的に「戦う」根性もの・スポーツ専門になっていった。 戦争の捩じれたエネルギーを発散する場として東京オリンピックは新生日本を象徴したのかもしれないが戦争から戻ってきたものたちにはそんな遊びのようなものは関わりのない異物だったに違いない。 戦争に行ったことのないものには戦争は分からない、というのが皆の口癖だったし彼らも自分から経験を語ろうとせず自然と我々子供たちは戦後のアメリカものが溢れる映画やマンガで知るようになる。

本作は戦時中に制作され明らかに国威発揚の宣伝意図をもつものだ。 アメリカの勝利のために秘密の任務のために腕のいい飛行士たちをかれらの「自由意志」に頼み、集め、訓練をするのだがそれぞれに恋人や妻を基地に同伴させて出発まで一緒に過ごす様子はそれを同様に大日本帝国軍の状況に於いて実行されるとするとどのような形になるかは様々に観てきた映画の中での「志願」の悲壮さから「文化の違い」として想像できるものであって、本作でも見られるように訓練が済んでから週末のパーティーでの場面に見られる様子に対照するとそこには親たちが感じていた「あんな国」が浮かび上がってくるのだ。 国威発揚の意図を明らかに持つ作品ではあるが鬼畜日本はない。 日本人には怨みもないし日本がどんな国か知らないが我が国が戦っている国で自分は国のために出来ることをするのだ、という登場人物がいうところを戦時中に制作された同種の日本映画と比較すると面白いのではないか。 そこには明らかに戦後制作された日本映画と違ったトーンが見て取れるだろう。 あんな国とこんな国が戦っていたのだ。

本作以後70年経ってこの間に制作された戦争映画の中に本作を置くと特筆するものはない。 スペンサーは別としても期待したミッチヤムの出番が少なかったことに失望した。 それは44年当時のミッチャムはまだ主役を張られるほどになっていなかったということかもしれない。 現に自分が取り寄せたDVDの箱にはミッチャムがトレーシーに並んで写っているけれどオリジナルのポスターにはミッチャムの写真はおろか名前ですら太字にはなっておらずその他大勢の中にかろうじて名前がみてとれるぐらいだ。 

全体の構成、割合からして東京空襲の場面に緊張感を欠く。 それに日本の海岸沿いの風景は日本のものではなくカリフォルニアかどこかのように見える。 東京上空に来ればそのように見えるが高度がかなり低く数百メートルからの爆撃では地上からの砲撃で撃ち落とされる可能性もありそれは手に汗を握るものではある。 そういう意味ではB29とはスケールの違いが大きく搭乗員たちの緊張感がつたわるようだ。 日本では焼夷弾と呼ばれ後年ナパーム弾となって東京、ベトナムを焼き尽くす筒状の爆弾も本作のB24にも積まれているのが見られた。 日本公開ではオリジナルより40分ほど短くなっていると書かれている。 どの部分が短くなったのかに興味が行く。 もしそれが東京爆撃部分だとすると本作の題名からして何のことか分からなくなるのだろうけれど後半の中国を舞台とした蒋介石軍とのハネムーン部分なら切ってもどうということもない。
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