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2017年03月17日21:31

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ふたたび『木を植えた男』について

 お手製絵本作りの続編。
 絵本を投函した夜、寝る寸前にアマゾンで『木を植えた男』を買った。この本は少なくとも5人のかたが訳されている。私が最初に読んだのは原みち子さんの訳だった(こぐま社)。原著の平易さと内容の豊かさを等身大で伝える美文ならぬ美訳だと感じた。一昨日に注文したのは山本省氏訳で、発行元が『森の詩人』を出してくれた彩流社だったから、これも何かの縁だと思って注文した。
 今日の夕方、図書館から帰ったら届いていたので、早速読んでみた。
 書き出しの1行目で、よく言えば違和感、悪く言うと期待を裏切られた。
<ひとりの人間の人格が、自らのヴェールを取り除いて、まさしく例外的と言えるような長所を私たちに見せてくれるというようなことが起こるためには、私たちがその人物の行動を長年にわたり観察できるという幸運にめぐりあう必要がある>
 まるで文化人類学の理論書のような文体だ。フランス語が日本語の向こうに透けて見えるような重苦しささがある。これは、私の無教養に起因する印象なのかもしれないが、この掌編は論文ではなくて子どもから大人まで幅広く読める作品だ。優しい文学なのである。
 原みち子さんの訳文はこんな出だし。
<ある人が真になみはずれた文物であるかどうかは、好運にも長年にわたってその人の活動を見つづけることができたときに、初めてよくわかる>
 好き嫌いを言っていても始まらないので、届いた新訳で『木を植えた男』を読んでみた。山本氏の訳文をポジティブに添う、と言い聞かせて読み始めたら、数ページ目で受け容れることができた。読むたびに新たな発見がある。人と会話する必要がなくなるほどの孤独というのは、人間として許されて然るべきこと。そこまで人間は自由である、と思えたのだった。
 読後、テレビをつけたら、シリアの反体制組織に拘束された安田純平さん夫人の単独インタビューが映っていた。彼の救出にまったく無関心の政府、さらに「自己責任論」を蔓延させたネット民に対してわたくしはひどく立腹している。軽蔑もしている。
 はっきり言うと、外務省の役人やネットの書き込みしかできないような輩の人間的な実力は、安田さんの1割以下でしかない。ISへの接触はともかく、シリアに一歩でも入国できる人間がこの国にどれくらいいるだろう。ボランタリーな行動ひとつもできないような輩に限って、彼を嗤う。安田さんから「現代イスラムマップ」という売り込みでお会いした際、彼の物静かさに内心、圧倒された。ギョーカイには愉快なおしゃべり野郎が多くてうんざりなだけに、安田さんの存在感は際立った。
 どうか無事でいてくれ。安倍の命と引き替えでいいから、とせつに願う。昨日が43回目の誕生日だそうだ。
 
 昨日は上京して友人、さらに出版社の人たちと話をし、今日は今日で鎌倉在住の仲間と午前中、珈琲カップ片手に長々と会話を交わした。夜は夜で、山中湖の友人から電話を受けて、安田さんとは真逆の饒舌な人間になってしまった。
 孤独な夢想者でありたい、と思い続けながら、なかなかその域に達しない。
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