mixiユーザー(id:6486105)

2017年03月11日21:09

385 view

震災とワカメ拾い

 東日本大震災から6年が過ぎた。『春を恨んだりしない』ためにも日記を書き遺したくなった。背中を押したのは、夕方の散歩中、垣根越しにご近所さんと交わした短い立ち話だ。
「わたしもそろそろ出かけなきゃ。もんざ丸(材木座にある漁師の店)にワカメを注文しているから」
 
 今日、午前11時を過ぎたところで、自転車で由比ヶ浜に行った。そろそろ干潮の時間だ。
 会社を辞めてから年に1回、欠かすことなくワカメを拾いに行く。趣味なのか実益なのか、素っ頓狂なことをしたいためだけなのか。
 海岸に近づくにつれて、風が強くなってきた。南南西の風、風速10メートル近い。沖から流れてくるワカメを拾うわけだから最適な風だ。
 毎年訪ねるスポットに着いて波打ち際を見てみたら、ワカメがあちらこちらに漂っていた。が、砂浜には打ち上がっていなかった。こんなこともあろうかと、crocsを履いて出てきたので、躊躇なく靴下を脱いで、ジーンズを膝までまくり上げた。3メートル4メートルほど海に入って、次々にワカメを見分けてはつまんでスーパーのレジ袋に入れていった。いろんな海草が波に揺らいでいるのだが、何年も拾っていると馴れたもんだ。瞬時に区別がつく自分を頼もしく感じる私。
 レジ袋2枚にゆるゆるで溜まったところで終了。昨年、ビンボーな友人に少しだけ送ってみたところ、「このワカメだけで鎌倉は住む価値がある!」と妙な褒められ方をしたので、今年は2軒分の1年分を拾ってみた。
 震災の2011年をあらためて思い出す。日記を見たら、震災9日後の3月20日に拾っている。その際私は(今日あたりが放射能汚染から免れるぎりぎりの日だろう)と思ったし、ひとにもそんな話をした。以来、自分の中では、ワカメは東日本大震災と切っても切り離せない象徴になった。
 自宅に戻って、拾いワカメをさっと湯通しし、漁師を真似てワカメを干した。今日は偶然なのか、私が拾っていた海岸にある3軒の漁師小屋の前は、干したばかりと見られるワカメが強風に揺らいでいた。
 夜、まだ乾いてもいないワカメを味見するべく、少量をしゃぶしゃぶで食べてみた。歯応えがあると言えば聞こえはいいが、市販のワカメに較べると堅い。そして海の味が強い。めかぶもほんの少し拾ってきたので、こちらはわさびと醤油で食べてみた。海のエキスをたっぷりと含んでいるのは間違いない得体の知れない軟体動物の味だ。年に1回食べるだけで十分だ。

 午後2時、テレビをつけた。災害当日のドキュメントと現在を交互に紹介する特別番組を見てみた。徐々に2時46分が近づいてくる。
 私には死者を弔う気持ちがない。が、亡くなられた大勢のかたがたを前に、生きていることの大切さを噛みしめなければならぬ、という決意を強いられる。そして、死者なのか生者なのか方向は定まらないのだが、神に祈りたくなる。
 高校に入学した頃から、死にたくもないが生きたくもない、というような小さな魂が宿っていて、幸いなことにその球は大きくもならず小さくもならなかった。大きくならなかったひとつの要因は、不条理を軽視してはいけない、という理性だと思う。神の存在をはなから信じていないくせに祈る理由はこんなところにある。

 
 
7 14

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年03月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

最近の日記