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2017年01月31日07:28

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隣人が健在なのを知って嬉しかった




オランダのジャズ雑誌を見ていて隣人が出ているので健在なことを知りそれを喜んだ。 オランダの隔月ジャズ雑誌、 Jazzism の2月・3月号の62・63頁に写真付きで去年のオランダジャズ大賞である Buma Boy Edgar賞の受賞者、ベース奏者の Wibert de Joode の受賞の模様がレポートされていた。 それは去年自分が日本に帰省していたときのことでその受賞コンサートにもその後の自分の地元のジャズ同好会が呼んだコンサートにも行けなかった。 もう10年以上彼の演奏をあちこちで聴いているので何を今更の受賞かとも思うけれどこの大賞はそんなもので中堅以上のオランダで活躍する創造的ジャズ演奏家に授与されることになっているので名前もその演奏も知らないということはないし今迄の受賞者たち何人かとはあちこちのコンサートの折などに立ち話をすることもある。 

それは別としてこの写真で受賞者と抱き合うようにしている老人を見て喜んだことだ。 まだ存命だったのだ、というのが第一印象で、この間スーパーで見かけたのは見間違いではなくこの爺さんだったのだと知ったからでもあった。 かなり混んだスーパーで向うにリュックを背に素早く動き去る老人の姿を一瞬観てジャック爺さんに似ているけれど違うと思った。 もう亡くなっているはずだと思っていたからだ。 

足繁く通っていたアムステルダムのジャズスポットに行かなくなってもう3年ぐらい経つ。 人気のある演奏家といっても350ほどある客席を一杯にすることは少ない。 ことにフリー、インプロヴィゼーションジャズなどはよく入っても100人未満で20人、30人というのは普通だ。 そんなフリー系ジャズのコンサートでは自分はいつも最前列中央に席をとっていて周りはガラガラだから詰め合うこともなく会場内は大抵どこも知らない人と隣り合って座るということはない。 けれど自分がそこに坐るといつも隣にいる老人がいた。 そして最後の曲が終わるころから時間を気にしてアンコールがあってもそれを聴かず帰る。 その時、アンコールが終わるまでいたら最終電車に間に合わないからと言ってそそくさと会場を後にするのがその人の常だった。 あるときどこに住んでいるのか尋ねるとライデンだという。 それなら自分と同じでライデンなら夜中中1時間に一本は電車があるのにというと、自分はそこからユトレヒト行の単線の初めの駅に車を停めてあってそれを運転して家に帰るのだ、その単線の最終電車に間に合わせるのに急ぐのだという。 その駅は家から歩いても10分ぐらいのところで町外れにあって自分はもう92歳だから町の中心は運転しない、そこから運河沿いに信号のない見通しのいいところを通ってバスももう通っていないところまで帰るというので自分の家もその運河沿いだといい住所を聞くと家から運河を隔てた向かい側で隣人になる。 石を投げると当たるところだ。 それで思い出した。 そのとき92だと聞いたのは6年前だったのだ。 別の写真のキャプションには今年98歳になる Jaque Waisvisz 氏と記されていたからだ。

それにそのとき思い出したことがある。 もう大方20年ほど前にフィールドホッケーを始めたばかりの娘が、チームのうちの一人の女子の子のおじいさんがパパみたいに(半ば偏執狂的に)ジャズが好きだそうだ、と言っていて、遠征試合が済んでから娘たちを送って行った時その家に行ったことがある。 そこが運河を隔てたその家だったのだ。 そしてその後大分してその小さいけれどすばしこい娘がどこの学校に行ったかコンサートの折に聞いたこともあった。 

それにもう一つ後ほど知ったことがある。 もう15年ほど前にライデンの旧公式計量所の建物でコンサートがあり、そこではアート・アンサンブル・オブ・シカゴのリード奏者ロスコ―・ミッチェルともう一人がワンステージづつ演奏したのだった。 70年代からフリーでは世界をリードするグループのリード奏者が自分の町で演奏するというのでワクワクしながら出かけ感動したのだがその後に出たオランダ人の奏者に一層感動したのだった。 全身に配線を施し、それはまるでSMで全身皮のマスクで緊縛されそれに蜘蛛の巣のように配線が施された形になっていて全身を動かすにつれて発信音が多分体のあちこちに沢山付けたセンサーがその移動によって三次元空間の中で位置で音が変わるように仕組まれた装置なのだとそのうち分かるようになったのはその手足の動きで音が変わり目と耳の不思議な経験をしたからだ。 それは単に音、ハーモニーだけではなく体の動き手足の作るフォームが音を造っているということでもあり70年代から様々な電子楽器を聴いて来たものには驚きと興奮を呼び起こす忘れられないパーフォーマンスだった。 それに驚いたのはそんな最上質のコンサートでも聴衆は20人ほどで、そのことを後年知り合いのジャズ批評家と話していてもう一度聴きたいものだというと、ああ、それはジャック爺さんの息子 Michiel Waisvisz であんたの一つ上だけど何年か前に急性の癌で亡くなったと聞かされて二重に驚き残念に思ったものだ。

記事には受賞者の de Joode は、世話になったジャックから賞品授与式でライデン在住だった作家・造形作家の故ヤン・ヴォルカーズ作の像を貰いスピーチをしてほしいと依頼したけれど耳が不自由になりコンサートにも行かなくなったジャックからスピーチを書面で渡されたからそれを読むと言い、舞台では思わず落涙して賞品授与者のジャックと抱き合う感動の場面もあった、と記されている。

耳は不自由になったもののまだ達者な隣人を雑誌で確かめられて嬉しかった。 つい目と鼻の先に住んでいながら会うのはアムステルダムのコンサートホールの隣り合った座席だけだと笑いあったのはもう何年も前だけれどそういうことももうないだろう。 98なのだ。 
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