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2017年01月28日01:48

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更新された無期限滞在許可証を貰いに行ってきた



オランダ語でいう onbepaaldtijdverblijfsvergunning, on(不)bepaald(限定)tijd(時、期間)verblijf(滞在)vergunning(許可)、それは日本語にすると無期限滞在許可となるのだろうがそのプラスチック製のパス(許可証)を貰いに車で20分ほどの南ホランダ州移民・帰化局の事務所に行ってきた。 考えてみると自分に永久滞在許可が下りてから何年になるのだろうか。 大学教授の招聘でグロニンゲン大学に来たのが1980年でそのとき自分を呼んだアメリカ人教授が事務のできない救いがたく混乱した人で労働ヴィザを間に合わせることが出来なかったものだから単なる留学生としてオランダ語習得のために来たなどと安易な理由を付け就学ビザとなりそれでは正式には働けなかったものだから大学・国からではなく教授個人から給料らしいものは不定期に与えられていて、そうなると当然それにかかる納税はしておらず、それに正規に労働ヴィザで働いているなら自動的に将来の年金を積み立てるシステムに入っているものが結局数年後市民大学で日本語を教えたりオランダ国家公務員になる1986年まで約5年は不規則なものだった。 それでも5年住んでいたグロニンゲンでは毎年警察の移民担当部に出頭して局の印と担当のサインがされたちっぽけな紙切れのヴィザを更新をしていてたのだった。  それはパスポートと共にどんな時でも求められたら見せる義務があるのだがそういう機会は運転免許証の更新時でさえなく町で警官に呼び止められることもこの36年間未だかって経験をしていない。 

88年にオランダ人と結婚し、91年にライデンに引っ越してきたけれどそのあいだ毎年地元の警察に更新のスタンプを押してもらいに行くことを繰り返していた。 当然労働ヴィザ付きの滞在許可証だったが結婚してもしばらくは毎年でかけていたのだからオランダ人との結婚がすぐ永久滞在許可に繋がるということでもないのだろうと思っていた。 永久滞在許可が下りていたとしても暫く毎年それをチェックしていたのかもしれない。 それには頓着しなかった。 オランダの国家公務員として雇われているのだから労働ヴィザが下りているは当然のこととして、無期限滞在許可の条件がオランダ人との結婚、若しくは労働ヴィザの元で正しく10年納税したこと、なのだと誰かから聞いたことがある。 だからだろうか97年頃急にプラスチックのパスが自宅に送られてきてそれが無期限滞在許可証だという。 無期限だといいながらパスの有効期間は10年となっていた。 永久滞在許可はあっても更新しなければ許可は取り消しになるのだろうかとも思った。 例えばオランダ国内で何らかの犯罪行為を犯した場合その対象になるのかもしれない。 例えば納税期間が10年未満でオランダ人と離婚した場合はどうなのだろうか。 その時まだ働いていていればそのまま働き続けて納税期間が10年になったときに滞在許可は有効なものとなるのだろうが、例えば日本人女性によくあるケースで、オランダ人男性と結婚し家庭にいて職歴もなく老齢で死別したり離婚した場合どうなるのだろうか。 自分の場合はどれにも該当しないのでそのまま公務員を定年まで勤め国家に歯向かう罪も犯さず大きな瑕疵もなく能天気に過ごしてきており正確なことは知らないしそれを規定した文章があっても今更ながら取り立てて読む気にもならない。 

ここまで書いて来て大筋ではこうだっただろうと思うけれど、そうすると初めのパスの更新時の2007年には地元の警察か市役所でパスを貰っているはずだけれどそのことははっきり覚えていない。 それはただあるときに当局から更新をしに斯く斯くの書類を揃えて一度警察か市役所に出向けという手紙が入り自動的にそのまま言われるままにその手続きを済ませたらパスが家に郵送される、と言ったものだったようだように思う。 そのための特別の書類を揃えるとか写真を持ってこいといような面倒なものでもなかったようで、日本国発行のパスポートと期限が切れるパスを持って確認に出むくとその後パスが出来たから取りに来いと連絡があり新しいパスを取りに行ったのだったと思う。 別段特別なこともせず面倒でもなかったから記憶がはっきりしないのだろう。 それが2007年で、そのとき初めて手数料を10ユーロほど求められたのではなかったか。 それまでは無料だった。 だから面倒だとおもったけれどそれでももう何回もハーグの大使館・領事館で更新している10年ものの日本国パスポートの料金が1万を超すことに比べると何ということもないのだからパスポートの更新に行くたびに日本というのは金のかかる国だと家族からコメントを聞かされることになる。 二十歳を幾つか越えた時に子供たちは国籍をオランダに決めたのだがオランダなり日本以外の国の料金の低さには驚くとともに日本は世界並みではないのだと実感した。

この10年は世界の情勢が激動しそれに伴う人の移動が顕著になり特に戦時下の中東・アフリカからの避難民、移民、経済移民が激増した。 現在でもそれが日本以外、特に欧米では問題になっており押し寄せる避難民・移民をどのように処理するのかが緊急の問題でもある。 そんな時期での滞在許可、ヴィザ審査はその問題の最大の難所となる。 それをこの30年以上通過してきたのだけれど自分の置かれて通ってきた条件と30年前とこの10年の移民状況の変化による移民政策の変化には今思い出してみてもうんざりするほどのものがありそれはアジア諸国からの経済移民が多くはなった日本と比べてもその深刻さは比較にはならない。

永久滞在許可がおりてからは勿論この30年以上自分のこれに伴う自分の書類に関しては審査というものは無かった。 自動的に更新ということだけで担当局に出向き、5分もかからず手続きが済むというものだ。 一方東欧、中東、アジア、アフリカの国々からのヴィザの審査には厳しい眼が光りその審査には緊張も時間もかけられる。 30年前まだ避難民の問題が緊急のものとしてなかった時代でさえ経済移民の問題はすでに南北問題の表れとして人間の有史以来の人類のパターンを踏んでいて審査する方もされる方も疲れるものだったのだが自分は多くの人が番号を手に長時間待合室で待機するのを横目に見て通り過ぎ、言葉の問題も経済的障害もなく書類作成には面倒のないことから係り員にもにこやかに迎えられ冗談も二つ三つ交わし自動的に交付となっていたからもし自分が待合室の彼らと同じ状況にある場合の気の遠くなるような宙ぶらりんの状態を想うと堪らないと思ったのだが現在はある意味それよりもまだ深刻化しているのを肌で感じる。

前回5年前から顔写真がこのパスに必要でそれはこの局で作成したものでなければならないから今回も先週そのためにここに来た。 前回は写真を撮り、サインをしてそれがパスに載せられ写真を透かし模様にしたものがパスの背景に組み込まれていた。 今回からは別に両手の指紋も登録し写真も撮り今回はその写真がホログラフのように3D仕様になっている。 相変わらず写真の透かしがデザインされており、だからこれらの為にわざわざここに来なければならなかったわけだ。 そのとき一階のロビーに来てみればそこは子供も含めた移民のヴィザを求める人で一杯だった。 言葉も分からぬ人々には通訳がついており、問題があるとみられる事項に関して移民専門の弁護士もついている人々が多い。 一見してどのような人々かが分かる。 この場所が普通のオランダではないというのはこの待合室にはオランダ人がいない、ということだ。 アジア、アフリカ、東欧の人々で溢れている。 もしいるとしたらそれは通訳と弁護士ぐらいだ。 前回受付窓口の前に並び自分の番が来た時に意図を言うと警備員の横にある小さなエレベーターで階上に行くよう指図された。 待つものがだれもいない閑静な部署に廻され写真と指紋を撮り5分もかからず階下の混雑を抜けて役所を出た。 階上はこことは雰囲気がまるで別世界のものだった。 

今回は階下で人々に混ざって待たされた。 それはそこにあるカウンターで50ユーロを支払い自分のパスを貰うためだけだったのだが入口で番号を取らされ人々に混ざって自分の番まで待つのだった。 大抵は家族、連れ合い、子供たちを含めたそれぞれが小グループの単位で待っており皆それぞれ手に書類のフォールダー、パスポートなどを持ち様々な言葉で小さく囁いているような集団だった。 目の前にずらりと並んだ番号のついたしきりには審査官がオランダ語、英語、フランス語、ドイツ語などで話しヴィザを申請したものがそれが分からなければそれぞれが連れてきた通訳なり弁護士がついて審査となる。 言葉だけでも全てがすんなりと理解されるわけでもなく簡単なものではないのが分かる。 一組に30分以上かかることは稀ではなく待つ人の数は増えることはあっても減ることはない。 分厚い書類を抱えた中国人の中年女性が老婆と一緒に仕切りにはいっているときに2歳ほどの幼女が待合室に放置されていて審査官が注意して幼女を仕切りのところに呼び寄せるようなこともしていた。 女性にはヴィザのほうが幼女の方より大切だったのだろう、と誰かが言いたげにそんな眼差しを向けていた。 中東からの避難民はこんな混雑の中では子供は片時も自分から離さない。 自分は漫然と待ちただ金を払ってパスを貰い出ていくだけだけれどここの雰囲気はテレビでみる混乱した避難民のエピソードと同様に緊張したものだ。 

アメリカのトランプ新大統領は入国管理を厳しくして移民をいれない、メキシコとの国境に壁をつくり費用はメキシコからの産品に関税をかけてそれで賄うと言っている。 アメリカでの移民問題は今更でもないのだがそれはヨーロッパに流入する避難民ではなく経済移民の性格が強いものだ。 自分も37年前審査の折、経済移民ではないことを示す為この国で1年は過ごせるだけの預金残高を示すことを求められたものだ。 避難民、移民、経済移民も結局は経済移民的要素が基本的にありEUに大量に流入する移民をどのように対処するか人道上の理由だけでは扱えない難しいところまで来ているのは自分の日常のこんな中に現れた景色の中にも垣間見られ、そこに立ち会った時、彼らと比較して自分とは一体何なのかということを否応ながら考えさせられる経験をする。  誰かがそれならなぜオランダに帰化しないのか、と言うけれど自分はオランダ人にはなれない、という気がして日本人のままでいる。 ここでも自分は誰なのか、何なのか、というアイデンティーに関するややこしい想いが錯綜して宙ぶらりんの自分を今更ながら確認することになる。 


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