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2017年01月20日22:30

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’16秋、一か月の帰省 完(7) 遺骨・遺灰のこと




2016年の春に老母の様子が怪しくなったので急遽帰省した。 帰国の折最悪の事態を想定しその心準備をしていたのだけれど幸いなことにそうもならず少しは安心した。 10月に再度帰省した折には悪化の傾斜が緩くなり全快はすることがなくとも当分の間は急に悪くなることもなく緊急性もなくなり当分は老人性鬱をどのように治療するかが課題になるとそのように説明され様子をみることにして戻ってきたのだった。 そしてそのとき漠然と2017年には2月にはまた帰省することになるだろうと見越していた。 この2年で6回日本とオランダを往復しているが今回の一か月滞在が自分には一番堪えたように思う。 それは自分の体調のこともあるとしてもはっきりとは説明できないもののどこかで精神的に疲れていた。 

老母本人とは会話が殆どなくなった分だけほぼ毎日そばにいて観察し、それを看護の周りの人々と話し、とりわけ母とは一番近い叔父叔母と話す機会を何回も持った。 彼らにしてもそれぞれほぼ80歳の高齢であり各自が厄介な持病をもちながらもなにかにとよくしてくれ自分が頼りとしている肉親であり、彼らがいなければ自分は日本ではほぼ異邦人として様々な局面で勝手が違うことで呆然とするだけなのだが親身にものごとを処理してくれるからずっとそれに甘えている。 叔父は母とは一番気の合う姉と弟の関係でありその絆は兄弟のない自分には分からぬものだ。 

村の墓場には辿ると350年ほどはある母方の本家や親戚の他に祖父母、伯父が眠る自家の墓がありそのそばには叔父・叔母の墓地が確保されている。 その区画は80年代に母が自分のために購入したものだ。 けれど80年代終わりに自分がオランダで結婚し子供を作り家を購入すると日本には戻ってこないと見越した母はその土地を自分の弟に譲った。 事後承諾だった。 承諾も何も大事なことは全て自分で決めてこちらには何の相談もなかった。 尤もそれをされてもこちらには返事のしようもないので当然の結果である。 オランダに行くときには青い目の嫁は駄目だといわれたのを言葉も分からぬ女を連れてきたときには自分で全てお膳立てをして披露宴で親戚の前に弘めたのは母であるしこどもたちが大きくなるにつれ子供たちには好きなようにさせろといい、子供たちを連れて里帰りするたびに日本の教育システムの中でなく伸び伸びと育つオランダで育てて良かったと言った。

自分が親のことでほぼ独断で大事なことを決めたのは6年前に彼女を今の施設に入れることを決めた時だった。 認知症が俄かに進み物事が自分ではできなくなった時に大慌てでことを進めたのだった。 かなり怪しくなった母はこちらのいうことを受け入れた。 それ以後叔父叔母が後見人となってくれている。 入所から4年ほどは短い記憶は頼りにならないけれど普通の会話も出来古い記憶は完璧だった。 そのころには断片的ではありながら自分の死後のことを話している。 曰く、墓地を弟に譲ったのはお前はオランダで自分の墓をつくりそこに入り妻も息子もそこに入るだろう、自分は自分の村の寺にある納骨堂に入る、自分の墓があっても世話をするものがなければあっても仕方がない、そんな墓が墓地には多く、結局無縁仏となるのだから納骨堂がいい、というのだった。 それが10年ほど前のことだった。 

そんなことを今更ながら頭に想いながら天気のいい一日、一人でぶらぶら墓参りに出かけ、そのかえりに遺骨・遺灰の半分をオランダに持ち帰るのに必要な事項を確かめようと市役所に寄った。 遺骸の焼却、焼き場の関係は環境課だと入口で説明されその窓口に行った。 基本的には火葬はゴミの焼却と同じ扱いである。 こちらの意向を伝え空港での通関に必要な書類のことを訊ねた。 火葬場では市の焼却許可書が必要で、それはここで医者の死亡診断書に則って作成されたものでそれによって火葬場職員が執行することになっていると周知のことを繰り返し、それ以上のこちらの知りたい要点に対しては、前例がない、こちらの管轄ではない、と言い、それでそそくさと話を終えようとする。 前例がないというのは妙なもので人口10万以上もある市で欧米人は別としても中国人、韓国人、アジア人が随分住んでおり今までにそのような外国籍の人間が亡くなっているはずで市の火葬場で焼却されたことが無い筈はない、その時はどうしたのかと訊いても、前例がない、書式などない、の一点張りだ。 埒が開かないので上司を呼べというとその上司にしても名刺をこちらによこし同じことを繰り返すだけだ。 担当に確かめたいというと担当の上階とは係りが違うのでと頓珍漢なことをいうけれどそれを押し切って上階に行った。 火葬場担当はそのような例は幾つもあったけれど市では書類に関係するようなことはなく、出入国管理局の管轄だろう、各自当該大使館・領事館で処理していたのではないかと幾分か納得のいくような返事と共に入国管理局の住所・電話番号がプリントされた小片を手渡された。 外国人であれば入国記録がありそれに符合させる意味があって入国管理局に連絡する必要があるかもしれないが自分の場合は日本人の遺骨・遺灰であるからこれには該当しない。 だからオランダ大使館・領事館管轄だろうと想像し、民事手続きは普通領事館事項であるので後日大阪のオランダ領事館に電話を入れると大使館に廻された。 そこでの説明は、大使館も領事館も遺骨・遺灰の搬出・搬入には関与しない、搬出の際使用航空会社に問い合わせるよう言われて話を終えた。 これで概要は理解できたがそれにしても市の担当職員の木で鼻を括ったような対応、上司、係りの怠惰に腹がたった。 何とも想像力も適応性、自主性のない仕事ぶりだろうか。 これでは田舎の役所と言われても仕方のないことだが6年前介護関連ではそこから10mも離れていない福祉課で担当の親切、且つ迅速、適切な対応があったのを経験しているので今回の経験はこちらでいう「新鮮な果物籠に混ざった一個の腐ったリンゴ」を齧ってしまったのだと思った。

それから二日もしないで高校の同窓会があった。 自分は卒業以来ほぼ半世紀で初めてこのような会に出席し90人のうちの一人となったけれどその中に日本を代表する航空会社の東南アジア各国の支局を廻ってから停年した男がいてその男にこのことを訊ねてみた。  単刀直入足下に、なにも要らない、チェックインの時一言、遺骨、遺灰だと言っておけばそれだけだ、もし開けられて検査があった場合それが宗教上、習慣上問題だと言うならば事前にその旨を記した証明書をこちらが用意する、それだけのこと、遺骨・遺灰といっても普通のモノでなんのこともない、ただ遺体は何十体と扱ったけれど面倒だ、書類が各国違ったものがいくつもあって様々にチェックされそれには色々な経験をさせてもらった、というのを横目に聞いて、灰になればただのモノ、簡単だと納得して気が抜けたような気分だった。

もしものときにはドサクサで全てが忙しく動くのでその前に多少とも心の準備をと予めの問い合わせが結局、大山鳴動してネズミ一匹も出ず、で終わった。 そんなことを帰りの飛行機がシベリア上空10km外気マイナス45℃、時速約950kmで移動中、眼下に広がる川の蛇行を眺めながら想った。 そのとき自分の遺灰は大阪の故郷上空10kmとオランダ上空10kmのところから撒いもらうのも悪くないと思った。 妻は地元の墓地に土葬にしてほしいという。 子供たちは生まれた時彼らが母親の腹の中で育ったそれぞれの胞衣(胎盤)を庭の林檎の根元に埋めた。 彼らはまだ自分の死というものを考えたこともなく、まだこれから50年ほどはそんな機会もないだろう。 彼らは一体自分の灰なり遺体をどうしたいと思うのだろうか。 自分はこうしたい、というのと現実的にどうなる、ということの間には違いがあることは承知している。 それに電車・バスなどの交通機関で遺骨・遺灰の忘れ物があることもよく知られたことで、それらも果たしてうっかり「忘れた」からそうなったのか意図して忘れたからそうなったのか、どちらなのだろうか。 
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