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2016年10月08日11:21

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教育勅語的キリスト教信仰

  クリスチャンの人たちから聞いた話をまず紹介する。


  「日本人のキリスト教信仰は戦前生まれと戦後生まれでは大きく違っている。戦後生まれの人たちは聖書を読みながら色々考える人が多い。それに対して、戦前生まれは頭ごなしに聖書の言葉を脳裏に叩きこむ感じ。考える事を知らない。それ故,どの教会でも、両者は話も、信仰も合わず、分裂状態。戦前世代の人たちがそのような理由は、明らかに教育勅語の影響である。戦前は日本中の学校で、『天皇陛下の御言葉』として、教育勅語を頭ごなしに叩きこまれたが、教会でも聖書を頭ごなしに叩きこむように教える日本人牧師や、自らもそうする信徒が非常に多かった。でも、そのような事をしていては考える力は身に付かず、教えられたままの人になってしまう。第二次世界大戦が始まり、多くのクリスチャンはただ軍部に従い、中国や東南アジアで多くの人たちを命令されるままに殺した。あってはならない事だったし、戦前の教会も大間違いだった。戦後もクリスチャンの多くは資本家に従い続けた。イエスは果たして、頭ごなしに聖書を叩きこめと言ったのだろうか」。

  判りやすく述べると、以上です。1980年代に多くのクリスチャンの若者たちからそのように聞きました。内、教育勅語ですが、「兄弟仲良く」とか、中身はおかしくないにしろ、上の人の発言として、頭に叩き込む事がおかしかったと思います。それでは、考える力は付きませんね。だから、1930年前後に政治が乱れてもほとんどの人たちは問題にも思わず、「エロ・グロ・ナンセンス」と楽しさを求めるだけでした。その結果、政治腐敗は放置され、軍部が台頭し、軍国主義になりましたが、それでも、人々は考える事をしなかったため、絶望的な戦争の道を歩んだわけです。今、道徳教育の充実が論議されていますが、教育勅語のような「頭ごなしに叩きこむ」教育だけは止めてもらいたい。すれば、数十年後には再び日本は滅びますから。

  話を戻すと、特に戦前のクリスチャンたちは二重に「叩きこむ」。更に考える力が身に付かず、一般の人たち以上に戦争に加担したわけです。

  そして、昨日述べ伊藤まつさんの、「旅人をもてなせ」の件も今に思うと、明らかにその一つだったと。聖書が生まれた中東では大昔から行商人や戦争で負けて逃げてきた人たちが多く訪れ、そのような言葉ができたのかもしれない。もてなした種族は方々から信頼もされ、発展したとも考えられる。但し、伊藤まつさんの所を訪問していた時の僕は聖書はほとんど読んでおらず、その事も考えた事はないし、まつさんと聖書の話をした事もない。聖書の話をすれば、意見が合わなかったかもしれないと察する次第です。戦争の事でも判る通り、頭ごなしに聖書を叩きこんだクリスチャンたちの結果は非常に悪いものでしたが、伊藤まつさんのその結果については僕には判らないので、述べられません。判らない事は、正直に「判らない」と述べないといけません。但し、例のK氏の事を書いてから、「伊藤まつさんもハンセン氏病だけが問題でもない。もっと大きな問題もあった」と思い、信仰面にも想いが及んだ次第です。K氏は僕にとっては大事な友人です。

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