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2016年10月04日23:34

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マルチン・サーリカンガスの言の葉

「コミュニケーションで大切なことは、コミュニケーションが成立していると勘違いしないことだ。」(マルチン・サーリカンガス、北欧の造船王)


  
 
 我々は相手が自分の話を聞いてくれていると、ついついコミュニケーションがうまくいっている、成立していると思いがちだ。しかしそれは早晩、勝手に創り出した幻想であることを思い知る。

 例えば上司が部下に

 「A4のコピー用紙はよく無くなるから、気が付いたら補充しておいてよ。」

 と言ったとしよう。

 A4の引き出しを暫くしてから開くと、残りが5分の1くらいしかないというのに、補充されていない。この上司は大抵苛々して怒る(笑)。


 「おい!補充しろと言っただろうが。いちいち同じ事を言わせるな!この馬鹿!」

 しかしながら、この上司は勝手な思い込みをしていることに気づかないで、自分から苛々している。


 気づいていながら、補充していないのであれば、責めても構わない。だがまだ空っぽになっていないのだから、この上司の言うとおりに従うならば、補充しないのが普通である。それを補充していないからといって怒って罵倒するのは言われる方からしたら、甚だ迷惑であり、見方を替えれば、相手に対する「察せよ」という甘ったれでしかない。こんなことが続けば、この部下も

 「何だ、このクソ上司!言われた通りにやって何が悪い!どっちが馬鹿か。」


 と口には出さなくても、不貞腐れて行くことは請け合いだ。

 最初からこの人は、

 「A4のコピー用紙は無くなることが多いから、コピー機に立った時は引き出しを見て、無くなりそうだったら、補充しておいてよ。」

 と言えば良かったのである。

 そうすれば苛々することもないし、部下もまた腹が立つ事も無い。

 サーカリンガスのこの言の葉からすると、相手はこちらが信じられないほど何も分かっていないことと腹を括るべきである。

 そうすれば勝手な期待(このコピーの例のような)を抱き、自分から勝手に苛々するような愚は避けられるはずなのだ。

 と同時にコミュニケーションを行なうにはアート(技術)も要るだろうと思う。個人的には人間関係にハウツーは好きではないが、そうすることで、互いに納得の上で物事に取り組めるのであれば、それも良い。

 皆さまの周囲にもこういう例は結構多いのではないだろうか。

 逆にこうした過度な「あ・うん」の呼吸を排して成功した人がいる。東レの佐々木常夫氏である。氏は奥さんが肝臓病、鬱病に自殺未遂も何度かし、子どもが自閉症、そんな家庭が苦難の中、どう自分の時間を確保するか、課長時代に知恵を絞った。それはコミュニケーションに時間を掛けることだった。そうすることで、ちゃんと事前にコミュニケーションしていれば不必要だったホウレンソウの回数を徹底的に減らし、部署全体が定時で帰れるようになり、彼も家庭の時間が取れたという。

 最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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