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2016年09月23日11:52

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意志疎通カルマ

 例の手話会の事。様子をはっきり思い出せた。その耳の聞えないKは教える事に、皆は覚える事にだけ一生懸命。Kには誰も話し掛けなかったし、K自身も皆に話し掛けなかった。それなら、彼は「先生」みたいになったと。判りやすく言えば、浮いたわけ。
 Kや僕も含め、構成員全員が意思疎通の面で葛藤を持ち、カルマみたいになっていったと。その現れの一つが、その大学の一学生で、福祉会の人が後年手紙で「伝える後輩がいなくて、寂しい」と述べていた。確かに、それでその福祉会は終わり、伝える後輩もいなくなったからね。
  先に話したI氏もその一人だった。後年、「Kに話せば良かった」と述べていた。耳の聞えない人に何か話し掛ける。思えば、「今日は雨が降っていますね」でも、ものすごい努力と工夫がいるね。手話・筆談のいずれにしろ。そのような事をしていけば、本当に意思疎通の力は向上する。間違いない。それをしなかった。手話の暗記ばかりして。意思疎通の力はI氏も付かなかった。自分が伝える事も、聞く力も氏は伸びなかった。その後の女性身障運動家のM子さんの結婚式差別の話を聞けなかったり、式差別に対応できない事につながったと。その挙式の件は、僕やM子さんも同様のカルマが出たと。僕だって、かつてはKとの意思疎通は頭になかったし、M子さんは別の場で意思疎通を無視してきたから。あの時期の障碍者運動も意思疎通の大切さは多くは判らなかったから。二人も式差別の件を助長していたわけ。I氏の事を言えたものではないと。また、K自身も何らかのカルマを背負ったと思う。具体的な記述はしないが、本当に意思疎通軽視から、構成員たちに問題が出ている。
 意志疎通という手話の目的を全員が理解できなかったため、遊び感覚で手話をする学生も出て、その後はKと大ゲンカしたそうです。僕は去った後だったから、詳しい様子は知りませんが。
 手話会は勉強会スタイルにしなくて良かった。Kとお茶を飲みながら語り合う会がベストでした。気候が良ければ、一緒に散策をしながら、町の様子を手話で語るとか。通行人にも手話を使うとか。
 思えば、今の僕はフェイスブックで簡単な英語や中国語で時々外国人に語り掛けているから、その延長で手話やKの件も見えてきた面もあるわけですが。やはり、「今日の東京は雨です」を英語や中国語で書く事はかなりの努力や工夫を要するし、頭脳も使いますからね。関係は大いにあるわけですね。
  しかし、その福祉会は非マルクス系の、反資本主義・反物質主義で価値観が一致していた。会員ではないが、以上のM子さんとか。それが「意思疎通」という基本的な事が判らずに挫折。非常に残念だと思う。その経験を世間に伝えたい。

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