mixiユーザー(id:62587154)

2016年09月19日11:56

122 view

もののあわれ

何ヶ月ぶりに小雨の中、布団を干して、部屋掃除を始めた
あんまりにも生活しにくいほどに散らかってきたんで。
脱ぎ捨てた服類
読みかけの本、
読みもしないのに職場から持って帰るニッケイ、マイニチ、シミンタイムス。。

撮った写真のデータ整理もしとかにゃならん
CDにつっこんどくだけのことなんだが。。

そんななか、まだ片付け始めのとこで、チラと開いた本に気を取られ、
いちおう、ここにメモ書きを残しておく
この休憩は30分くらいに抑えとこう


      もののあわれ

この無常感は抽象化され「もののあわれ」という情緒になりました。
すなわち人間の儚さや、悠久の自然の中で移ろいゆくものに美を発見してしまう感性です。
これは日本人特有の感性だそうです。
儚く消えゆくものの中にすら、美的情緒を見いだしてしまう。
日本人は虫の音を音楽として聴き、そこにもののあわれさえ見いだしている。
この、欧米においては稀にみる詩人だけに限られた感性を、日本ではごく普通の庶民さえ、ごく当たり前に持っている。秋になって遠くから鈴虫の音が聞こえてくると、心を洗われ、秋の憂愁に心を静ませる。このようなことが古代から日常的に行われている。虫の音を楽しむというのは、欧米にはもちろん中国や韓国にもないことだそうです。
「もののあわれ」に対応する英語は存在しない。それに近い英語も存在しないそうです。


この日本人の感性の鋭さの一例が桜の花に対するものです。
桜の花は、本当に奇麗なのはたったの三、四日です。しかもその時をじっと狙っていたかのように、毎年、風や嵐が吹きまくる。それで「アアアー」と思っているうちに散ってしまう。
日本人はたった三、四日の美しさのために、あの木偶(でく)の坊のような木を日本中に植えているのです。



これは藤原正彦「国家の品格」の一章から抜き書きした文章である
10年前、この本を購入し、たったさっき、10年ぶりに読み返し始めたところ。
藤原正彦は数学者である
理系の人間が、イメージにおいて対極的ともいえるもののあわれについて、
このような文章を書いている
尚、藤原正彦とは、作家・新田次郎の次男。
新田次郎は、単独行の加藤文太郎をモデルにした「孤高の人」をはじめ、
多くの山岳小説をひとつのジャンルとして確立させた諏訪の人。
おれは中学のとき、その多くの著書を読み漁ったもんである。


さて、部屋片付けのつづき、始めるか

2 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する