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2016年08月31日23:08

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下駄日記【甲斐・信濃路・その2】  

■諏訪姫を娶った信玄の真意、サイキックウォーに敗れた武田家

 今回はちょっとシャーマニックな話。

 作家の井沢元彦は「日本の歴史学会は日本史の呪術的要素を軽視し過ぎている。」と批判的である。では、呪術的要素という点から見た武田信玄という人物はどういう人だったのか?彼は天台宗の奥儀を究めた人だと言われる。天台宗とは奈良時代に最澄が開祖した密教である。密教とはどういう宗教なのか?読んで字のごとく、秘密の教え、ということになる。以前別のSNSで知り合った天台宗のご住職にお聞きしたら、

 「そんなに知りたければ、頭を丸めるしかない。」

 と諭された。それほどの教えらしい。それでも食い下がって、台密には呪術的要素はあるか?と尋ねると、そういう要素はあると仰せだった。

 天台宗の呪術的な面について知ることは出来なかったが、信玄の行動から戦国時代の信仰がどういうものだったか肉迫することは可能だ。

 この時代の宗教は世が乱世だったこともあり、現世利益的な要素が強かった。信玄は出陣の前に筮竹(ぜいちく)による易も行なっていたという。自ら加持祈祷を執り行ったらしい。信仰心が篤いというだけではない。実践の「プロ」でもあったのだ。

 残念ながら、井沢氏の指摘のように、それが教科書で採りあげられることはないのだが。

 呪術に関わる人間は、自分が死んだ後、他人に魂魄を利用されないように、遺体、墓のありかをくらますことをやる。例えば安倍晴明の墓とされるところはあちこちにあるが、どれが本当だか分からない。信玄は甲陽軍鑑』によると、こう遺言している。

「『三年、喪を秘密にせよ。そして三年後、甲冑を着せて諏訪湖に沈めよ。』と伝えている。しかし結局しなかった。」

という記述がある。しかし、1980年代に、日本の民放が諏訪湖に「武田菱」と思しき石板を見つけたと報じている。尤もそれが信玄の柩の一部なのかどうかは確定出来なかったが。

 信玄は一体どうしようとしたのだろうか?

 それを解くカギを捜しに、諏訪方面に向かう事にした。

 諏訪は2015年の2月に一度雪深い中、車で訪れている。諏訪大社上社前宮で参拝し、一度小淵沢方面に向かい、南に折れる。高遠(現・長野県伊那市)に向かう。建福寺というお寺。ここは諏訪御寮人(すわごりょうにん、以下、諏訪姫と略す)のお墓がある。側聞したところでは彼女は屈葬(注・体育座りのような姿勢で柩に納められた)だという。江戸時代までは座棺が主流だったが、それは庶民の話。戦国の側室が果たしてこのような葬られ方をしたのだろうか?異様だというのであれば、彼女が神仏に救いを求めているような気がしてならない。

 諏訪姫の父・諏訪頼重は大祝(おおはふり)という最高位の神官だった。サイキックパワーも当然備えており、死を怖がっていない。1541(天文10)年、父・信虎を駿河に追放した武田晴信(信玄)は諏訪郡への侵攻を開始し、頼重を打ち破り、翌年、甲府に連行し、自刃に追い込んでいる。これはかなり厳しい措置だった。生け捕りにしたのだから、活かせばいいではないか。しかし、自刃させている。この時、彼は

 「何人たりとも、武田の血を引く者は許さぬ・・・。」

 と凄まじい怨念を抱いて亡くなったという。

 その怨念が通じたか、1567(永禄10)年、信玄の嫡男・義信が奇しくもこの地で自刃している(実質は「暗殺刑」みたいな感じだっただろう)。

 当然、サイキックパワーを持った父だから、娘も巫女の家系である。もしそうならば、諏訪姫を娶った理由も解けてくる。巫女は男と通じ、子どもを産めば、その神の加護を得られなくなる。力の強い巫女が処女なのは古今東西一緒だ。

 下司のカングリで諏訪姫が美女だったからとか、信玄が女好きだったからとかそんな浅い考えで諏訪姫を信玄は娶ったのではない。勿論、美女だったと思われるが。

 信玄は密教の秘法を使ったのかもしれない。諏訪湖に水葬されることで、諏訪大明神になろうとしていたのではないだろうか?そうすれば、なぜ諏訪姫を娶ったのかも分かる。自分が密教の奥儀を究めた人だったからこそ、優秀な巫女は要らないのだ。だから娶ることでそのサイキックパワーを潰した。更に大祝は自分1人で十分、そう思っていたからこそ、父を惨殺したのである。

 信玄の秘法、家臣達がしなかったため、信玄の秘法は失敗したことが『甲陽軍鑑』では読める。では果たして、それをしたことで、武田が天下を統一出来ただろうか?

 それは分からない。

 但し、信玄は元々守護大名だから、足利幕府の焼き直しに終わった可能性が濃厚である。このあたり、謎は謎のままにしておいた方が面白そうだ。

 ただ姓名診断をしているので、分かるが、自己の野望の為に無理な結婚をする(諏訪姫)、実子をないがしろにするか、死においやる(義信)、こういうことをした家系は息子、孫の代が泣くことになる(勝頼)。概ねふんだくられ、あざけられるだけで一生を終えることになろう。しかも長寿になれない。

 因果応報は何時の世も同じだ。

 名門・武田家も例外ではなかった。

 武田勝頼は天目山の戦いで一族が滅びた。個人的には彼は凡将ではなかったと考えているが、長篠の戦いで、諏訪ゆかりの優秀な人材を喪ってからは、自滅するしか無かったのだろう。武田家でも、果たしてどれだけ彼が三条の方と顔を合わせたかは知らないが、彼女から見たら勝頼は汚らしい子どもだ、脇腹の子、そういう目で白眼視されていたことは容易に想像できる。勿論三条の方は信玄のそんな密教の意味など知らないだろうし。また頼重が信玄によって誅殺される真際、何をしたのか気になる。何しろ死を恐れていない大神官ともいえる大祝だ。想像をたくましくすれば、こちらも自らの命と引き換えに武田家を祟るべく呪いを掛けたかもしれない・・・。

 去年の2月に諏訪大社の四つの宮に行った時は雪に埋もれていたが、緑が生い茂り、大自然の力が漲っているのを霊感が(多分ない)自分にも感じる。ここに参拝出来たことのお礼と、悪い気を外して頂けるように参拝した。

■低速車による高速道路の追い越し車線の居座りはおかしいぞ

 ドライブガイドも兼ねているこのコーナー、ちょっとドライブで遭遇したことを・・・。

 最近高速道路の巡航速度が遅くなったと感じるのは自分だけだろうか?

 いや、単に遅くなったのであればそれで良い。高速道路は走りやすいといっても、安全とは別の話で、高速な分だけ壁に激突すれば被害が大きいのも事実だからだ。しかしそのゆっくり走りたいと思う人の一部がこの日、困ったなと思う現象を引き起こしているのを見てしまった。

 一台の袖ヶ浦ナンバーの観光バスが延々と追い越し車線に居座り、後続の速いクルマが数珠つなぎになって来ても頑として譲らなかった。大型二種を持っている「プロ」のバスの運転手までもがこういうことを平気の平左でやる。仕舞には直近の後続車(練馬ナンバーのアウディA1だった)が、走行車線が開いたのを機に一気に抜き去ってしまった。バスの運転手にはクルマの知識が無かったのだろうか?小さいクルマだから居座って大丈夫だと馬鹿にしていたのだろうか?いや、クルマの事に詳しい「プロ」の彼らが気づかないはずがない。アウディA1はターボがついている。ヴィッツとほぼ同サイズながら122馬力の1.4Lのターボエンジンがつき、最高時速は205km/hも出る。ガタイの重い観光バスなど相手にならないことは分かっていたはずだ。

・・・だとすれば故意に居座っていたとしか考えにくい。

 このアウディのドライバーは故意にやられたと観光バスに相当頭に来たのだろう、追い越し車線に入って抜き去る時に合図を出さなかったし、追い越した車間距離は鼻面スレスレだったに違いない。報復に観光バスにかなりの急ブレーキを踏ませると、一気に視界から遠ざかった。このアウディのドライバーも勿論悪いが、自分は観光バスの方にも責があるように思える。週末の高速道路の追い越し車線はどこも込んでいる。本来このような現象は起きないはずだ。低速で追い越し車線に平気で居座るクルマが多すぎるからこういうことが起きるのである。このアウディのドライバーのようにしびれを切らして左から抜いて行く人が出れば事故のリスクも高まる。我々だって歩いていて早足の人が近づいてきたら、避けて通してあげるだろう。これと同じ話のはずなのに、それが出来ないとしたら、最早更なる厳格な交通法に改正するしかない。既に厳密には2km以上連続して追い越し車線に居座るのはスピード違反で無くても、検挙の対象なのだが。

 ドイツのように密告制にでもするか?ドライブレコーダーのSDカードを警察に持って行って通報するとごほうびに「賞金」が貰えるようにするとか(交通弱者面した傍若無人の自転車は確実に減るだろうが)。

 近い将来、こんな会話が出ないことを祈るばかりだ。

「やあ、Aさん、こんなところで何をしているの?」

「ああ。ビデオを回して交差点の様子を撮影しているのさ。ここは信号無視のクルマや原付が多いからね。賞金稼ぎにはうってつけという訳さ。」

 何とも暮らしにくい社会になるに違いないが、こういう悪質なドライバーが野放図に増えれば止むを得ないかもしれない。ただでさえこの国の官僚は民草がちょっとでも危なっかしいことをすると、規制の強化を繰り返してきた経緯がある。

 本来高速道路でも原則左で、追い越す時だけ右側を使うだけだ。前後左右、気を使って流れを乱さないように走るのは交通社会の一員の義務であって、車格は関係ないはずだ。ドイツではナチスの時代の名残として密告制が交通社会でも残っているようだが、個人的には日本では密告制などまっぴらである。いつまでも気持ち良く乗り続けられる社会であるためにひとりひとりが心がけたいものである。

 信州の旅、まだまだ続きます。

 (続く)


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