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2016年06月16日21:18

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本を売りに行く

 今日は午前中から雨だと思っていたら、正午前には晴れ間が出てきた。
 それなら処分本が詰まった目障りな段ボールはさっさと片付けたいので、クルマに載っけてブックオフへ行くことにした。
 大きな段ボール2箱、本の冊数はかぞえてないが文庫や新書を多く入れたので、百数十冊くらいか。
 ブックオフのカウンターに預けて待つこと15分で値段が出た。1050円だった。レシートには内訳が書かれている。5円とか10円とか60円とか。
 これまで何度か売っているので売るとこんなものだということはわかっている。
 自分が売った本が100円本として並んでいるのも何度か見た。
 資源ゴミに出すよりはましなので1050円を受け取り、そのお金でまた本を買ってしまったのだった。
 曇天の平日というのに道が混んでいる。とりわけ目立ったのが宅配便のトラックとコンビニ名が書かれた配送トラックだ。鎌倉の道路はほぼすべてが片道一車線なので、たとえば宅配便が道路に駐まっていると、対向車線がひっきりなしにクルマが走っている限り、後続車はただ待つより仕方ない。コンビニのトラックは通常駐車場に入るのだが、満車の場合は道路に駐車せざるを得ない。こんな田舎町でもコンビニは異常なくらいにあって、反比例して地元の商店は廃業だ。そんなにコンビニが望ましいのか? かねてより私は反コンビニ主義者なので、宅配便もコンビニトラックも目障りでしかない。公営バスも渋滞を招くという点では同じだが、住民や観光客の足として絶対に必要な交通手段ゆえ、敵意は持たない。こんな風に書くということは、内心舌打ちしていることに他ならないわけだが。
 お客様は神様です、と国民的な大歌手が言ったことで、消費者はつけあがった。お客様はありがたい存在です、というのはどんな社会でも成立するだろうが、客が神様ほど偉いなんて構図はおかしい。ちょっと昔、AKBのフツーに毛が生えた程度のタレントを「神」などともてはやした風潮があったが、それと同じくらいにばかばかしい。
 日本の消費者は、世界的に見ても一種異様だろう。何様のつもりだ、と思う。
 ユニセフから定期的に送られてくる緊急寄付募集のリーフレットを見ていると、一日5リットルで生活しているような暮らしが地球上の一方にあり、他方では湯水のように水を使用する国民がいる。蛇口から湧き水のように出て来る水道水は、半端ない電力を消費して各戸に届けられているのだが、そんなことはほとんどの国民が意識しない。っておかしくないか。24時間、パンや総菜や煙草やビールを買える、というサービス・システムっておかしくないか。我々は神様なんて存在ではなく、ただのつけあがっただけの国民だと思う。少なくとも私は、ただのごくつぶしでしかないので、でくのぼうに見合ったサービスでいい。少し控えめな贅沢をこの先もずっと続けたいが、それが贅沢であるという意識を持って確信犯的に贅沢をチョイスしたい。
 マズゾエはとうとう辞任したか、と安堵した。もう何年もの間、異常な「血祭り」がマスコミと国民一体となって毎月のように熱狂していることにうんざりしている。マスゾエ騒動が一件落着したら、また次の「生贄」が出てきて、同じことの繰り返しになるのはわかっているのだが、私は熱狂できない。
 先週末、NHKのプロデューサーと話をしていて、嫌気が差した話題があった。
 領収書の扱いが、出来の悪い役所のようになっているらしい。テキトーな処理が許されない。駅の売店でお茶を3本買って、ディレクターやアシスタントに渡したいと考える。かつてだと領収書はもらわなかった。なんだかんだ自腹で1500円くらい使ったから、友人との私的な待ち合わせで利用した喫茶店の領収書で相殺する、というのが「マナー」だとされてきた。NHKでは、手書きの領収書は原則禁止だ、ということを聞いて、「昔だったら個人タクシーで3250円なんて領収書をもらって、それを仲間の珈琲代にしたもんだ」「そうそう、そういう時代がずっとあったのにね」などと言い合った。マスゾエの例とはやや違ってくるが、小さな不正ではある。こういうおおらかさがない時代性を国民が望んでいるのだとしたら、私は反日分子だ。冷たい紅茶のミニペットボトル2本=244円也の領収書を駅の売店でもらうビンボー臭さが耐えられない。
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