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2016年05月31日10:19

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’16春の日本帰省旅(3) 電車の中で


前回に続いてまた乗り物の話になる。

自分の宿から母の住む施設までバス、電車を使って通う。 大阪南部を並行に走る南海本線と阪和線に挟まれた界隈が自分の生まれ育った地域だ。 この二つの線はこのあたりでは2−3kmの幅をもって大阪から和歌山まで走っていて車や自転車をもたないものにはこれら海側と山側の線を繋ぐ公共交通手段はバスになる。 タクシーという手もあるけれど定年公務員にはできるだけタクシーは避ける。 近年車に対する依存度が増しそれにつれてバスの廃線、統合、間引き運転が進み自分が片一方からもう一方の線にバスで行こうとすると便がしょっちゅうあるということはない。 朝夕の通勤・通学時には1時間に2−3本はあるけれどその間は1本で夜の7時になれば最終便となると言った具合だ。 交通の便を考えて自分の宿は両方を使えるような電車のターミナル駅の近くで歩いても5分以内のところに取るようにしている。 電車に関しては関西空港が出来てからは随分便利になった。 嘗ての田舎の駅が空港へのアクセスの要地となって殆どの電車が嘗ては田舎の駅だったところに停車して両線をバスを使わずともつなげるようになったのだが距離に比してその料金が人の足元を見るような高いものになるので自分は歩くかバスで繋ぐのを好む。 日頃歩くことに慣れているのと自分の見知った土地をゆっくり歩くのを好むからだ。 これが毎日だったら流石に飽きて自転車かバイクにするに違いない。 幾ら田舎だと言ってももう町の体裁になっているから車だと駐車することに煩わされるから車は避ける。 それにこの歳ではヨーロッパの左ハンドルから急にイギリス流の右ハンドルに変わると戸惑うし、ことに交差点や狭い道が怖いから緊急時でない限りは日本では運転しないし出来ない。 36年前に交換した日本の免許証は今オランダのどこにあるのか分からないこととそれ以来持っているオランダの免許証それ自体はEC圏内では使えるけれど日本では使えず、わざわざ金を出して国際免許証を発行してもらうのも面倒なので日本ではもう車に乗ることはないだろうと思う。 

バスに比べると電車、列車が好きだ。 オランダでは空きがあると席に座るようにするけれど日本だと出来るだけ立つようにしている。 人を観察できるからだ。 この何年も日本の電車の中にいる殆どが手に持った携帯に見入りカチャカチャやっているのを眺めて異様だと思っていたのがオランダでも徐々に偶に乗る電車の中で若者・中年の間にそれが広がっているのをみて携帯の威力を感じる。 昔に比べて新聞・雑誌・本を読む人が減り電車内の光景が変わったと思う。 これが日本語力が落ちたと言われることと幾分か繋がっているのだろう。 受け身で纏まった言葉を処理する作業から積極的にではあるけれど限られた語彙、スペースの中で短く自分の言葉を発信するというものに変わっているのは確かなのだが、それなら直接吐息を感じるようでもある直接会話でやるのが自然なのだろうが車内では禁止されている、マナーモードにせよ、と始終アナウンスがある。 何ともおせっかいなものだ。 滞在中空港で借りて来た携帯はそのままにしてあり何度か車内にかかってきた電話には短く低い声で返事をして済ませそれらは周りに迷惑をかけているとは思えないし日頃車内では通勤電車でなければ知らない周りと話すこともあってその中に通話が入っても齟齬はない。 時には喧しい人がいて周りにその人の人となり、家族からペットのことまでを地域放送局よろしく発信するのをラジオ代わりに聴き、よっぽどのことがなければ周りの人間も笑いを押し殺して聴くなり、喧しければそのうち本人もそれを察してか気まずくスゴスゴと興味深い個人情報の御開陳を閉じるのだがそこには押し付けはない。 迷惑だと感じれば精々短めの皮肉とも聞こえる冗談がどこからか挟まれ、話が同情に値すると隣人が思ったのならば済んでから先ほどの解説なりその続きが始まるという具合だ。 日常のコミュニケーション能力を磨けといわれて大分なる。 中国人やラテン民族のコミュニケーション能力まで望むとは言わないものの日本の電車内を眺めていると隣人とのコミュニケーションの無さというか静かに携帯をじっと望み込む人ばかりなのに少々危惧を抱く。 学校帰りの学生や子供たちが群れて笑いあったり冗談で押し合ったりしているのを見るとほっとする。

40年ほど前には毎日40分ほど満員電車に揺られて大阪市内の弱小貿易会社まで往復した。 同じ時間に乗ると同じ人たちが同じところにいてそのうち顔を憶えるようになる。 あるときあるところでふとそれらの人に出会うと、あ、この人を知っている、名前は、、、、と思い出そうとして思い出せず、そのうち、話したこともなくまた名前も知らないのに気付いて苦笑するようなこともあった。  今はラッシュアワーには恐ろしくて乗らない。 女性専用車まであってそんな車両が目の前に来て疎らな乗客の中に男がいて奇妙にも思うのだがそもそも女性専用車両があること自体が奇妙なのだ。 今回夕方のラッシュアワーもすぎて堺から泉佐野に行くつもりで座ったら居眠りをしてしまい気が付いたら終点の和歌山だった。 それで戻りの空いた列車に坐れば自分の駅をまた通り越して岸和田に来ていた。 そうなるとちょっと駅前のジャズ喫茶にと思ったけれど終電車に近いので諦めて再度和歌山行きに乗り今度は座らず立っていたので自分の駅に降り立った。 これが今まで南海線で乗り越した一番大きなスウィングだった。 終電車に乗り遅れて歩いた一番の距離は一昨年の年末にそのジャズ喫茶から自分のホテルまで歩いた3時間、12kmだった。

母の施設に行く電車には座らない。 大抵朝の10時前後、午後6時ごろに乗ることになることと山脈の襞、谷に出入りするのに駅自体が曲がっているところに行ったりそこから来たりするのには混むことはない。 朝乗り換え駅で8両の車両を前4つが関西空港行、あとの4両が和歌山行と切り離すのをそのジョイントが昔と随分変わって簡単になったものだと感心しながら運転手、車掌に点検の係員、駅員などが働いているところを見、空港に行く車両が離れて行ったあと駅員の発車のホイッスルを聞いてから和歌山行にはいると一番前になる。 小さい頃電車ごっこをして皆なりたがるのが運転手だったけれどそんな夢を叶えたのが村の小学校・中学校の同級生だ。 もう長らく会っていないが彼も思えばもう定年の歳だ。 彼が運転している電車に乗りたいと思ったけれどそんな機会はなかった。 あったけれどこちらはすし詰めの車両に押し込まれていて見ていなかったのかもしれないし通勤の駅ではどういう訳か一番前の車両に乗っていなかったし来る電車の運転手を注意して視ることなどなかったのだから無理もない。

各駅停車で4つめが降りる駅なのだが二つ目で7つぐらい、5つぐらいの娘を連れた40前と見える夫婦が入ってきた。 地味な風だから40前と見えるのだが実際には30すぎかもしれない。 子供たちはすぐさま正面に駈けて行き目の前の景色に魅入っている。 下の娘は運転席に入るドアのノブをガチャガチヤやって開かないのを確かめるとそれを握り、上の娘は下の娘を挟み込み抱えるように両手を広げて金属製のパイプを掴んでそれぞれの世界に浸り込む。 山が左に見え古い田園風景が広がり小山の間を縫うとすぐそばには古い墓場が竹藪の中にあって子供の眼には高画質ワイド画面の中にいるように見えるのかもしれない。 嘗て自分が育ったところもこういう風景が続いていたのだが今は嘗ての田畑には倉庫や住宅、道路沿いにはレストランや様々な種類の大型量販店が並びこのような田園風景はもはや記憶の中にしかない。 遠くには和泉山脈を望みその前方にはよく登った300mほどの小山も見えるから自分にはあのルートを通ってあそこに出て、、、、とそこから見える景色も想像するのだがそれでもかなりの高さまで住宅が押し寄せているのが電車からみえるのでそこからの景色には住宅、建物の密度が記憶のものより数段上がっているものと想像できて多分もうそこに登ることもないと思われることから今ではその違いを確かめる術もない。

父親は運転手のすぐ後ろに立って景色と運転手の操作に見入る。 コンパクトになった運転席のメカニズムと信号に来るたびの点検作業、前に架かった駅順の時刻表など運転手になるための操作手順を学習している風でもある。 運転席は子供と男の興味を惹くものらしい。 母親はドアにもたれて子供たちをぼんやりと眺めていた。 


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