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2016年05月27日13:03

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10日留守にしている間に随分庭に花が咲きだした



昨日大阪からスキポール空港に到着し、そこでのパスポートコントロールが込み合ったからそこを通り抜けるのに時間がかかりベルトコンベヤーのところで荷物を拾って地下の駅に降り、そこに停まっている電車に乗れば20分で自分の町の駅まで着いた。 駅前からタクシーに乗った。 ベンツの高級車ではあったけれど運転手は50がらみの太った男で背広にネクタイのちゃんとしたタクシー会社の服装ではなくよれよれの皮のジャンパーを着ていた。 自分の住所の通りの名前を言ってそこまでどの通りを通って行くのかを指図した。 23.5kgのスーツケースをその男は重いと文句を言いながらトランクに押し込みノソノソと運転席に戻り後ろに乗ってくれとドアを開けた。 走り出すとバカンスかい、それとも商用かいと訊くので家族の用事で日本に行ってきたというと自分はアルメニア人だと少々怪しいオランダ語で答えた。 道が少しだけ混んでいるのにイライラし水曜には今までこんなことはなかった、と言う。 信号のところで若い女が自転車で前を横切ろうとするのに中指を立ててアルメニア語ではなく稚拙なオランダ語で罵倒した。 オランダに来て何年になると訊くので36年だと応えると自分は21年だとその男はだみ声で言った。 

狭い通りに入ったのでそれを避けるのに初めに短くて速い通りを指示してあったのに信号で待っている時に左折をしないで直進しようとするので曲がれと言った。 信号がたとえ青でもその前に続く渋滞の列を見れば左折して初めに言った通りに入るのが賢明なのは明白で、もう一度曲がれと強くいうと渋々それに従って難なく渋滞を逃れた。 濠に沿った道に来るまで、あんたが指示するから来たまでで本来は濠の外側をあんたの通りに行くのが一番近くて速いというので、妙だな、あんたはこの町で何年タクシーの運転をしているのか訊くと9年だと言う。 濠の外側にあるここからは町の反対側になる職場で29年働いたけれど駅からはだれもそんなところを通らない、このルートの倍以上は距離がある、というとそんなことはない誰もそうするというので、この29年駅から家まで30回以上タクシーに乗っているけど誰もが自分が言ったルートを通る、それが一番短くて速いから自然に覚えてるしタクシーを使わなくとも自転車でも同じルートを通る、というとそれはお前の意見で本当じゃない、とほざく。 そうこうしているうちに家に着きこの男がトランクからスーツケースを降ろすのを待って金を払った。 半年ほど前に乗った時より3ユーロ(約400円)ほど高くなっていた。 だから普通ならチップを含めて払うのだがそれはしなかった。 こういうのを雲助タクシーという。 

誰もいない家に鍵を使って入りスーツケースを開けて中身を分類し洗濯物を分類し日本でもらったもの、買ったものをテーブルに並べて空のスーツケースを天井裏に戻した。 4時になったところなのでスーパーに出かけて夕食の準備でもと冷蔵庫を開けると鉄なべに肉の煮ものが作られていて炊飯器の内なべに2合ほどの米が入っていた。 だから買い物をする必要もなく裏庭に出て13時間ほど前には大阪の30℃だったところから今は18℃の陽射しと空気の中で10日の間に随分と庭の様子が変わったのに気が付いた。

むやみやたらとあちこちに白いオダマキが咲いている。 この前ここにオダマキの初物を見て記したときにオランダ語のアーケレイが出てきたけれどオダマキが出てこなくて結局去年の日記をみて思い出したのだがそのとき次に見た時にオダマキが出るかどうか、、、と記した。 それからまだそんなに経っていないのに出てこなかった。 けれど「静や静、静の、、、、」と言ってやっとオダマキが出てきたのだった。 

ネギ坊主がいくつも紫色の玉をねぎの先に乗せているし石楠花も咲き始めている。 そのほかにもいろいろ赤白の花があちこちに見られ前庭の薔薇が盛りを過ぎて濃いピンクの大輪を見せている。 椿は完全に済んでいるし10日前にはまだ盛りになっていなかった今年初めての藤が全ての花を済ませていて花が付いていたところが棒状の串のようになって残っている。

10日前にはなかったのがアヤメだ。 9株ほどがほぼ並んで出ている。 紫というより濃い青というほうが合っているように見える。 これをみるとイリスという言葉が出る。 アヤメではない。 アヤメというとカキツバタという言葉が並んで出てきてどちらがどちらかわからなくなりイリスを牽いてこれがアヤメだと分かった。 湿地に咲く方がカキツバタであるらしいからアヤメで合っている。  イリスと覚えているのは叔父のおかげだ。 自分は小学校5年のころから高校の2年生までほぼ毎週日曜日の昼叔父の元に通わされ生け花を習わされた。 叔父は池坊の末流の師範で、受験があるからと理由を付けて止めた時には自分は師範代になっておりオランダに来るときには喰うに困れば向うで生け花でも教えて食い扶持にすればいいと家元から大きな看板と英語で書かれた免状をもらったけれどそれらは今でも自室にはあっても一度もそれで稼いだこともなければ人に自分は生け花をしたとは言ったことがない。 あちこちの野原や山を歩くにつけ自分の好きな角度から花を見ることはあるけれど触れたいとは思わない。 叔父もそのようで自宅の庭には様々な花を植えてはいるけれどほとんど手入れはしていない。 今はもう80になる母の弟ではあるけれど当時はまだ若い30前の叔父がこれはイリスだと言いながら茎を水切りし水盤の剣山にこの花を挿した記憶がアヤメを押しのけたのだと思う。 

今回いつもと同じ土産を持って帰国の翌日叔父叔母を訪ね日頃の礼を言い老母の様子を尋ねた。 この二人がいなければ自分は何もできなかったしもっと頻繁に帰国しなければならなかっただろう。 安心して去年の定年までオランダで仕事を続けられたのは彼らのおかげでもある。  アルツハイマーの母は叔父叔母など施設に来たこともないと自分に言うし彼らには自分は毎週電話をしているのにもかかわらず自分から電話などかかってこないと言っている。 叔父叔母は2週間に一度は母のところに出かけて事務に関わる書類や様々な請求書・領収書をもってきてまとめてあり、それに目を通し手術の経過、入院費用などの説明を受けた。 叔父叔母にはそれぞれ軽くない持病をかかえている。

朝9時に訪れると叔母はどこかでもらった鯛の頭を幾つか煮ていた。 叔父から一渡り話を聴いていると煮あがったといい、誰も飲まないので溜まっていた貰いものの冷酒を出してきてそれで鯛の頭の肉をほじくり出し口にして朝から美味い酒を飲んだ。 母方の家系では男は酒は飲めないのだが父方は飲む。 自分は強くないけれど酒は好きなので叔父叔母の家では料理用の酒をこのようにしてくすねる。 叔父の家に行くときは裏口から入って冬でなければそこの台所のテーブルでものを喰ったり話をしたりする。 だから庭は見ていない。 イリスは咲いていたのだろうか、そもそも前栽にはイリスが植わっていたのだろうか知る由もない。 秋にまた行くことになるのだけれどそのときにはイリスのことなど忘れているに決まっている。
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