mixiユーザー(id:6486105)

2016年05月24日21:44

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体調を崩した

 昨晩から調子が悪い。歯が痛み出し、微熱があって、動くのが億劫だ。単なる体調不良なのか、風邪を引いたのだろうか。
 今日、渋谷でピアノを中心としたコンサートがあって行くつもりだった。が、どう発奮しようと渋谷まで出る空元気は起こらない、と朝の時点で諦めた。これで少しは気が楽になったのか、それとも抗生物質が効いたのか、昼を過ぎた頃からようやく家の中をうろうろするくらいの気力が湧いた。
 詩人の蔵書に書き込まれたメモとアンダーラインを購入した古本に書き写す。ただ写すだけなら子どもでも出来るのだが、鉛筆と濃い紺インクの万年筆と赤鉛筆が使われていて、保存状態が悪いゆえに鉛筆のアンダーラインなのか万年筆のそれなのか、よく見ないと判別出来ない。さらに版面の外にあるメモがかすれていたり旧字の省略形であったりカタカナとひらがながその時々の気分で使われていたりで、詩人の心情に寄り添わないと意味がとれないし字がわからない。
 90年あたりまで、原稿(の大半)は手書きだったので、読み難い字を読むのはわりと得意だ。という自己暗示を掛け、詩人が残した原稿やメモはすべて読んだという自負心を敢えて強く持って、自分の能力を最大限に発揮させるのだが、頭が悪い人間が無理矢理勉強するのと同様で異様に疲れる。1時間集中すると、頭の中は真っ白になる。脳は鍛えたら鍛えるほど活性化して惚けないと言われているが、本当かな。頭の中に白い靄がかかったような状態になると、疲弊した脳細胞がそのまま壊死していきそうな気がする。
 夕方、ソファーに寝っ転がって、藤原智美の『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』を斜め読みした。この手の本は一気におしまいまで読んでおしまい、というのがふさわしい。雑誌風タイトルの新書も基本的には最初から最後までページをめくって目を通し、その主張なりキモなりをいくつか掴めたらそれでよろし。本書の主張は、書き言葉の時代から話し言葉の時代へ、書き言葉文化が滅びて思考が拡散化ないし短絡化する、という当たり前の内容で、しかし著者はグーテンベルクの印刷革命やヨーロッパの個人主義といった歴史を敷衍して持論を展開し、それなりに説得力のある構成だった。パラドキシカルだが、この手の本を読むひとは書き言葉をそれなりに大切にしているひとで、情報源はほぼネットだけというひとが読めばそれなりの啓蒙書になるのにその手のひとはこんな本なんてまず読まない。
 私もTwitterを始めようかな(笑)。
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