昨夜は寝ることに失敗した。午前零時を回ったところで入眠剤を服み、そのままソファーの上で「サイゾー」誌を読み続けていると、薬効のピーク時を過ぎてしまい、午前2時を過ぎてもまだ眠れない。やむなく錠剤を半分噛みちぎってグレープジュースで流し込み、ようやく寝ることが出来た。睡眠薬を服用後、へんに面白い雑誌やYouTube動画を見るものではない、と反省。
睡眠薬の増量によって朝はすこぶる体調悪い。土いじりもする気なし。
横浜銀行から電話が掛かってきて、定期が2回満期になったので一度記帳がてらお越しください、と言われ、訪ねる気分になった。
今日は図書館に本の返却で行かなければいけないので、帰りに寄る心づもり。
自転車で図書館へ行き、行き掛けの駄賃とばかりに雑誌コーナーで「本の雑誌」6月号を読む。特集は「人の本は汚すな! 本の読み方四十八手!?」で、この半年、明治や大正の古本を恐る恐る読んでいるため、共感出来た。「手に取って読め」というタイトルで見開きの寄稿があったが、明治や大正の古書ともなると、手に取って読むことが出来ない。背表紙は傷んでいるし、綴じている糸が半ば切れていて、本の重量が掛かるとページがばらばらになってしまう。本の持ち方四十八手のイラスト図解があったが、本当に本を大切にする気持ちがあるなら、表紙をわしづかみするような読み方なんて到底承服出来ないのではないか。
本の開き方は90度まで、という主張を強く訴えているかたもいた。彼は本を読む前、必ず手を洗い、読書中はお菓子などゼッタイに食べないと言っていた。私も同じで、本を180度広げることはしないし、物は食べない。が、他方、本を大切にするというのはこういう次元じゃなくて、線を引っ張ったり書き込んだり、ページの端っこを折ったりメモをしたりしながらしっかりと内容を頭に入れるということではないか。ポテトチップスを食べたがゆえ、ところどころ脂か指紋が本に付いたとしても、当人がよければそれでよし。
でも私はパソコンの、とりわけキーボードが汚れているのが嫌いなので、お菓子を持った手でパソコンを触らないし、月に1回は濡らしたティッシュで汚れを拭いている。
図書館で読む雑誌はほぼ決まっていて「本の雑誌」と「現代思想」と「ナンバー」と「AERA」、あとは気が向いたら文芸誌くらい。もっとも文芸誌は新刊扱いが終わってから借りて読む。図書館で文芸誌を読むことが出来る読書人は偉い。私には無理だ。
「現代思想」のバックナンバー(2月号)をその場で20分ほど立ち読みをした。 特集が「老後崩壊 -下流老人・老老格差・孤独死」で、普段は俗世界から浮いたような内容ゆえに興味津々だったが、週刊誌や新書の閾を超えるような論はなかった。そもそも「現代思想」とか同社の看板誌「ユリイカ」の読者なんて、自分の経済状態が下流であろうが孤独死確実な境遇であろうが、頭の中は終生桃源郷状態なのだから、経済的な貧困を超克する精神世界を描いてもらいたい。AERAの今週号が「日本には恋愛が足りない」特集で、古今東西の恋愛映画&恋愛小説をたくさん紹介していたが、老人になっても読むに足る教養主義的恋愛小説を紹介しろよ、と言いたくなった。ちなみにAERAの記事はメモを取りたくなったので、椅子に座って目を通した。「自由が丘で」「いつか読書する日」「ビフォア・サンライズ」という映画、「夜を抱いて」「コレラの時代の愛」という長編小説。
図書館を出て横浜銀行。しばし待たされた後、電話を寄越した行員と会う。定期はそのまま継続。
うちに戻ってラズリと少し散歩。しのぎやすい天気だこと。
また自転車に乗りたくなったので、珈琲を飲んでから逗子までサイクリングした。
帰りにブックオフへ寄って、一冊だけ本をジャケ買いした。
装幀が美しい本だ。ページが550ページ近くある長編で、本らしい本。
『さよならのアルゴリズム』(ローリー・フランケル著)。
帯も含めすべて明朝体だ。モリサワのリュウミン?
突然訪れる
最愛の人の死ーー
せめて最後にもう一度
「愛してる」と伝えることができたなら……
永遠の絆と喪失を
テーマに描く、
ヒューマン・ストーリー
装幀と帯の文言に於いて、無人島に持って行きたいような本だ。なんとなくだが、思いっきり退屈そう。
帰宅後、アマゾンのレビューをチェックしてみたら、投稿者はゼロだった(苦笑)。
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