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2016年05月03日21:43

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私が好きな中華

 中華を食べに半島の先っぽへ行った。通い始めて7年だ。
 店主の彼と知り合ったのは、胃潰瘍で緊急入院した病院だった。病室は違ったが、彼はひどい腱鞘炎で入院していた。中華鍋を振り続けた「勤続疲労」が蓄積し、ついには腕の上げ下げもかなわないほどに腕が痛んだ。
 入院友だちになったのは煙草が原因だった。院内は当然のことながら禁煙で、その病院では建物の側壁に一箇所、喫煙所が設けられていた。規則がゆるいことで知られた病院なので、医師は極力本数を控えるようにと胃潰瘍を病む私に注意をしたが、禁煙を命じられないことをいいことに、一日7〜8回は外に出て喫煙していた。
 彼も同じ程度、吸っていた。だから喫煙所で毎日2度3度と会い、そのたびに話し込んだ。途中からは喫煙後も入院階の長椅子に場所を移して話をすることもあった。
 私が先に退院した。彼は私より1カ月くらいあとまで入院していたので、職場復帰をしたあとに彼を見舞いに行ったこともあった。その時、腕が思うように振れないことに絶望するあまり、「どうしてこんなことになってしまったんだろう」「振り返ってみたら大した金も残せていないオレは敗残者だ」と彼は声を詰まらせた。
「きっとよくなる。退院して中華料理屋を再スタート出来るさ」と励まし、「店が再開したら必ず行くよ」と約束をした。
 その約束から2カ月後、初めて彼の店に行って、料理を食べた。
 その味に心底驚いた。小さい頃自分が食べていた中華の味だった。店内の壁にキング・クリムゾンの『宮殿』のレコードジャケットが飾られていたことから、歳の差はほぼないことを確信した。クリムゾンを指し示して「なんだ、音楽の話もすればよかった」と彼に言うと、彼も笑った。「好きなんだ?」
 酢豚のタレは30年ほど前から必ずといっていいほどケチャップが入れられている。これは一流店でも町の中華屋でも同じだ。が、私が生まれ育った昭和30年代は、ケチャップ味ではなかった、母の作る酢豚も、南京町で食べた酢豚も。
 これに限らず彼の料理は昭和の王道的な調味で、ひと味で私は彼に敬意を抱いた。今どき珍しいほどに頑固な味付けだ。
 ビンボーなくせに商売っ気がない性格も、一所懸命に店伝統の味を守り続ける姿勢も、あるいはバンドを組むほどに音楽が好きな趣味性に対しても、好ましい。
 彼の店に行く途中、海軍カレーや海軍バーガーの店の前に行列が出来ていた。いずれも30分待って食べるような代物じゃない。が、観光客やネット民は流行処に敏感で、「リア充」を求める傾向が強いので、ゴールデンウィークに海軍カレーを食べた、という「記号」を心に刻みたい、という気持ちもわかる。流行る店は流行る社会的方程式の上に成り立っている。
 今日は、特別料理を作ってもらった。
 本当に感謝している。今月中に簡単な礼状を書こう。
 
 夕方、ラズリの散歩で再度、街に出た。いつものショップに行くと、店主とNHKのディレクターが所在なげに店の前にいたので、その中に加わった。
 ディレクターがリュックの中を探り、ラズリ用に買った無添加クッキーを取り出した。
「あげてもいい?」と言うので、「もちろんだ」と私が尻尾を振った。
「クッキーを指で挟んで口の中に持って行っても、指は咬まずクッキーだけを食べる技術が彼女にはあるんだ」と言ったら、その通り彼は指で掴んだクッキーをラズリの口の中に入れた。
「賢い犬だな」とラズリを褒めてくれた。
 犬のしつけはおやつを与えながら教えるんだってね、と彼が言うから、「そうなんだけど、私はおやつで釣る方法はとらないし、最低源のしつけ以外したくないんだ」と答えた。
「ああ、よかった。実は食欲を利用した条件反射みたいなしつけって、ペットをバカにしているようなしつけ法だなと思っていた」と彼は言う。
 主に本の話を30分くらいしてから、帰路に着いた。うちに戻って、松家仁之の『沈むフランシス』を持ってふたたび店に戻り、ディレクターに「さっき話題にした本だ、よかったらあげる」と手渡しした。今日はお節介をしたい気分だったから。

 
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