「生きることだけを考えよう。それが信仰だ。」(ベンジャミン・ディズレーリ、イギリスの首相)
ディズレーリは首相になるまで七転八起の人生を送った。ユダヤ人の血を引いていたことで、代議士に立候補するが、支持を得られなかった。
特にユダヤ人に対する差別が凄まじかった当時のイギリスでは「このシャイロック」とか「ユダ公」と滅茶苦茶に野次られたのである。
しかし彼は諦めない。
正攻法でダメならば、搦め手から・・・と言った具合に今度は社交界に進出する。伊達なカッコウで、当時のイギリスの貴婦人たちから好感をもたれるようになった。所謂「マダム・キラー」である。
そうやって、支持を段々と取りつけていった。
彼は文才があった。彼女たちに話しかけることで、小説のネタも仕入れた。
しかしその後も落選し続けたが、4回目で何とか受かった。
こういう生き方をしてきたので、非常に人間臭い。だがそれ以上に人間臭い人物がディズレーリの近くにいた。
彼を支持してきた人物として、ライオネル・ロスチャイルドという大財閥の
当主が居た。彼がそうである。
ディズレーリは「ユダヤ人でも当選可能」という法案を下院で可決させた。ライオネルはシティの選挙区から立候補する。
保守党の既得権にぶらさがった政治家たちは、「ユダ公をこれ以上政界に入れるな」と形振り構わぬ妨害に出る。上院ではこの法案を否決してしまった。しかし頑固なライオネルは再度自由党で立候補し、当選を果たす。が、またしても上院はこれを拒否。
ライオネルは宣誓式にユダヤ人形式に『旧約聖書』で宣誓を行いたいと申し出る。
これもまた上院は拒否。
彼はそれでもめげずに立候補し続け、当選し続けた。
保守党の方針に逆らってでもディズレーリはライオネルを支持し続けた。法案は10回否決されたが、11回目でやっと「ユダヤ人でも被選挙権を有する」とされた。
ディズレーリは党の方針に逆らい続け、それでも法案を成立させたことで、一目置かれ、政界の実力者になっていく。大蔵大臣を経て、1866年、首相になった。アイルランド問題があって、直ぐにグラッドストーン内閣になってしまうが、その後再び首相に返り咲いた。
この時も「マダム・キラー」ぶりは健在だった。
何と暇さえあれば人妻で孫もいるブラッドフォード卿夫人にラブレターを書いていたというぐらいだから、イギリスの「紳士」の流儀とは程遠い。
それを知って政敵・グラッドストーンは
「あなたは縛り首になるか、性病で亡くなるか、どちらかだ。」
と非難した。
するとディズレーリも
「私が縛り首になるときは、あなたの考えを受け容れるときです。性病に罹って亡くなるときは、あなたの情婦を抱いたときでしょう。」
と持ち前のジョークでやんわりとやり返している。
ディズレーリは人の持つ欲望を決して否定しなかった。今の世に生きる我々には想像を絶する差別が当時あった。にも拘わらず、彼は主体性を発揮した。彼の逞しい生き方は大いに参考になるのではないだろうか。
彼がそんな生き方を出来たのは、ユダヤ人という差別のどん底に遭ったからというのもあろうが、常に「今」、「此処」に集中しきったからだろう。虚心坦懐の果てに、人生とは生き続けることだ、人生とはプロセスであって、到達ではない、プロセス、その全てが人生だ、と悟ったからだと思う。
そもそも寿命は約束されていないのである。ならば確実に出来ることは何か、そこに集中したのである。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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