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2016年04月07日09:51

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『無苦庵記の言の葉』

「生きるまで生きたらば、死ぬるでもあろうかと思う。」(『無苦庵記』)

 口語訳は別に要らないだろう。字の如くである。この一言を見ただけでは、悲痛に聞こえるが、発したのは、『無苦庵記』という随想録を書いた戦国時代きっての「傾き者」の前田慶次(まえだ けいじ)である。

 慶次は富貴とか出世という点では運が無い人のように思える。彼は織田信長の重臣、滝川一益の一族の子として生まれるが、尾張(今の愛知県濃尾平野と
知多半島をあわせた部分)の荒子城主・前田利久に後継ぎがいないので、養子に出された。利久の姪と慶次は結婚する。しかし信長の偏愛によって、彼は運命を翻弄されることになる。あろうことか、槍の又佐こと、前田利家を荒子城主にして、利久親子と姪を追い出してしまったのである。慶次は実家の滝川一益を頼り、転々として、苦労させられることになる。

 そんな不遇な状態だった彼が漸く落ちつける場を得たのが、信長横死だった。清洲会議で秀吉に実家の一益が事実上秀吉に屈伏したことで、前田家に戻ることが出来た。

 その後、ご存じの通り、琵琶湖北部の賤ヶ岳一帯で、柴田勝家と羽柴秀吉が激突。前田利家は勝家との義理を取るか、秀吉との友情を取るかで苦悩し、最後は友情を取り、この戦いの帰趨を決めた。それもあって、豊臣政権の重鎮になっていく。

 だがこの利家にとって、傾き者の慶次は厄介者だった。

 秀吉が天下人になり、ある日諸大名を招き、酒宴を催した。

 宴もたけなわになった頃、末席から猿面を被った男が余興をと称して、踊り始めた。男は扇を巧みに操り、満座の前で、猿が踊るようなしぐさで踊り出した。

 諸大名は色を失った。


 秀吉が猿に似ていることは誰でも知っている。まるでその男は揶揄するかのようではないか。誰もが秀吉の怒りを予想した。ところが・・・。

 満座が弾けるような大笑いをしたのは当の秀吉だった。何と腹を抱えて笑っているではないか。

 調子に乗ったこの男は、宇喜多秀家(後の五大老)の膝にひょいと腰掛けて、覗きこむ。伊達政宗、徳川家康のところに行って、同じことをする。最後に面を取り、主人・利家にニヤッと笑った。利家は激怒し、

 「おのれ、おぬしはわしに恥をかかせる気か!」

 と斬りかかろうとした。

 「まあまあ、又佐殿。わしはこの余興、面白かったと思うぞ。」

 秀吉が間に入り、ことなきを得た。

 だが、慶次はこんな思いだったのではないか。

 「ふん。天下人なんて、所詮人ではないか。水呑百姓の身にも、大名にも、ひとしく死は訪れるのさ。ならば生きているうちにやりたいことをやり、言いたい事を言った方がいいではないか。」

 しかし彼は奇行で人を驚かすだけの人物ではなく、茶、能楽、太鼓、連歌、囲碁、将棋の達人で、そしていざ戦闘となれば、武勇も長けていた。

 秀吉が病死し、愈々徳川家康が天下取りに動き出した。以前大河ドラマの「利家とまつ」で演じられていた通り、秀吉が最も頼りにしていた前田利家も翌年亡くなる。息子利長は到底家康に抗しがたく、母親のまつを江戸に人質に出すことで、屈服してしまう。慶次は前田家を去り、会津の上杉景勝に仕えた。「直江状」にて徹底抗戦を表明した上杉に惚れたからだという。

 会津征伐に家康は東軍の大名12万人を動員し、小山(今の栃木県小山市)に陣を張った。要害に籠り迎え撃つ上杉軍は4万人。東軍の大軍が駐留している中、「石田三成決起」の知らせが届くと、東軍は引き揚げた。

 関ヶ原の戦いというが、現実には、全国規模でほぼ同時に戦いは行なわれていたのである。九州では黒田如水と加藤清正が島津忠恒と戦っていたし、東北でも、東軍が引き揚げた後も、伊達政宗、最上義光と上杉景勝が戦っていた。慶次は東北戦線で槍を振るって、寄せ手の最上軍を長谷堂の戦いで食い止め、直江兼続の窮地を救った。

 ところが関ヶ原の戦いは意外にも短期で蹴りがついてしまった。家康は天下人になった。上杉景勝、直江兼続の根回しで、お家取りつぶしだけは済んだ。が、それでも会津若松120万石から、米沢30万石へ大減封になってしまったのである。

 その気になれば慶次は去ることも出来たはずだ。が、そうはしなった。その時に彼は

 「この度の戦で、諸大名の腹のうちがよう分かった。仕えるに足るのは、上杉どののみだ。」

 家康に阿ることなく、直江状を始め、正々堂々、毅然とした態度を貫いた上杉家に好感を持ったようだ。最後まで「傾き者」らしい人である。

 最晩年、彼は米沢郊外の堂森というところで庵を結び、近くでわき出す清水で茶を点てて、悠々自適の生活を送ったという。

 彼は出世だとか、富貴には縁の無い人物には違いない。しかしそれでも現代でも人気を保っているのは、他人と異なる価値観を持ち、筋を貫き通したからだろう。人は堪えがたい試練に直面すると、皮肉れる人と、一皮むけて吹っ切れる、二通りの人がいる。出来れば彼のように後者でありたいものである。

 最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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