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2016年04月05日10:03

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雄牛のヘルマン (1990−2004)



この土曜日にこれまた招待券を貰って出かけた地元の生物科学博物館ともいうべき Naturalis で地球上の生物の歴史をそのものたちの化石や標本をみて時間を過ごした。 何年か前この博物館がアメリカ・オレゴン州で発掘されたティラノザウルス、T-Rex の発掘・運搬費用が2000万ほど足りないというので募金を募っていて土曜のマーケットで実物大の模型を見た時自分もそれに一口乗りそのお披露目の折にはこの博物館に招待されるという証書を貰ったのだがその日は義弟の誕生日だったからそれをそのままプレゼントとしたのだがその化石はまだここには届いていなかった。 ここに初めて来たのはまだ子供たちが小さい時だったから15年ほど前だったかもしれない。 

17世紀にヨーロッパにペストが流行した時に隔離病棟として町の外に水濠に囲まれて築かれた城のような建物がここの入口となって濠を越して隣に建てられた近代的な巨大な博物館のビルにかけ橋を通じて渡るようになっている。 20年ほど前にこの町の歴史建造物を見学して回った時ににはこの隔離病棟「ペスト・ハウス」はガランとしていてそれまで10年ほど住んでいた不法占拠グループを排除してそこを芸術家たちのアトリエとして新しいプロジェクトが始まるまで安く貸し出していたのだった。 その後国立生物科学博物館が企画されて2000年代に開館したのだった。 ペストハウスのことをいうと日本では幸いなことにヨーロッパほどの大流行はなかったけれど14世紀ごろペストで1億人が死亡していると言われている。 だからこのこともあって欧米では「ハツカネズミ・マウス」は可愛がられるけれど「ドブネズミ・ラット」はことごとく忌み嫌われている。 ちなみにこの建物は1600年代に建てられたもので自分が29年間勤めていた自室のある建物はそのころから続く旧兵舎で旧市内にあったからその規模は半分ほどだったけれど正方形の中庭を囲むレンガの3階建てはほぼ相似形だ。 

係り員の説明では建物を渡る通路に置いてある樹脂製の2頭の犀以外は全て本物だということだった。 動物園ではないので当然命は既にない。 学芸員というか研究員というような人たちも大きな空間で仕事をしておりカメラとマイクでそのプロセスと適宜見物客に見せたり説明したりしている。 恐竜の化石を修復し保存・展示できるようにしている人、珍しい鳥が死んでいるのが見つかったのでそれを解剖して剥製にする人、その人は途中で電話が入りゼーランドでクジラが迷い込み危なそうだと聞かされ一年で一回か二回するクジラ解体の準備をしなければならないかもしれないと言ったけれどそれは後に外海に誘い出して事なきを得たということもライブで入る。 夜のニュースではその外洋に連れ出す作業が見られた。 カマキリを中心とした膨大な数の昆虫標本を修復してデーター化する人がいてそのそばにはその人の可愛がっていた犬が足に顎を載せて寝ておりその前には水を入れた皿が置いてあったけれどそれも彼の犬を剥製にしたものだった。 以前大阪の海遊館で観たような大きなものではなかったものの日本から贈られたと書いてあるカニの標本もあった。 生きたままオランダの水族館に寄贈されたのだがその後何年か経って死んでからここで標本にされて並んでいる。 変わった動植物が死ねばここに来て標本になる。

先日アムステルダム国立美術・博物館で観たデルフト焼きの牛のことを書いた。 ここは科学博物館でもあるから未来の生物科学の部署に一際大きい牛の剥製が展示されていた。 それが世界初の遺伝子組み換え牛ヘルマンだった。 そういえば遺伝子組み換え動物でイギリスで羊が出来たのが初めではなかったか。 その後何年かして牛で世界初だったのがこのヘルマンだった。 いつのことだったのだろうか。 1990年に生まれて2004年に死亡と書いてある。 先ず1980年代の末、1154個の細胞の遺伝子の部分が人間の遺伝子の部分と組み替えられてこのプロセスで981個の細胞が生き延びた。  最終的に操作された129個の細胞が牝牛に持ち込まれ21頭の牝牛が妊娠、妊娠中若しくは出産後も含めて5頭が死ぬ。 残りの生まれた牛の中で遺伝子操作が確認されたのがこのヘルマン一頭だった、と説明にある。 人間の遺伝子が用いられたのは人間の飲料に適したミルクを牝牛が生産するためだったらしい。

イギリスで遺伝子操作された羊、ドリーが生まれた時の論争やアメリカで小麦、トウモロコシ類の遺伝子操作が大企業モンサントによって行われそれが世界規模のスケールで自然破壊の悪魔の操作だと議論されたのもその頃のことだ。 それからそれらの話がどうなったか詳らかではない。 時代は生化(科)学に湧いていたようだ。 日本はその頃、発酵なり醸造なるの分野でノウハウがあるともいわれていた。 それに遺伝子操作は高度な操作であるからそれが成功するならそれは自然ではなく人工であるからそうなるとそれが特許となり莫大な利益を生む可能性もあるという意味でも単純な遺伝子操作といってもその影響は大きい。  時代はメンデルの法則の時代からSFの実現化の時代に入っている。 だからそのパイオニアとしてここにヘルマンがいるのだ。

遺伝子組み換えの技術は進むとしても一旦それで操作された生物がその後どのような影響をもたらすかは未知の部分も大きくヘルマンは生まれたものの繁殖については国会の議論の末1992年に今ハーグの市長をしている当時農相だった Jozias Artsen が法案を通過させヘルマンの精子で生涯55頭が生を受けることになり目的の通り生まれて来たメス牛は理論的には目的の要素は現実化されたが実際的には実用化できないような量でただ科学の試みに貢献しただけだった。 法案の通り96年に屠殺されるはずだったけれど助命の嘆願が多く結局去勢されて生き続けた。 1999年にヘルマンを生産した畜産会社が経営不振でヘルマン屠殺の案が出、屠殺後 Naturalis に献体されることになっていたけれど養育費の義援金があり2004年まで飼育された。 けれど変形性膝関節症が確認されその痛みを容認するのは(非人間的)であるとのことから安楽死となった。 法の決まりで皮だけは残され他は全て焼却処分された。 そして2008年以降ヘルマンはここにその姿を残している、と書かれている。 そしてそのモニターにはヘルマンの誕生から死後までその生涯の折々にメディアに登場した様々の議論を動画で示していた。 そこでは2008年にここに剥製となって登場するにあたってテレビのトークショーで話されていることが面白いと思った。 ヘルマンは雄だから結局遺伝子が残されていくのは精子が媒介するわけでペニスや睾丸はどうしたのかという問いに、法で生きている時に去勢されているから問題はないのだけれどペニスは焼却、睾丸は既にないのだから皮の陰嚢だけが残り、結果としてプラスチックの睾丸が陰嚢の中に縫い込まれておりこれでヘルマンは「本物」のオスになっている、という説明にはヘルマンの下を覗いて丸いのを眺めて笑った。 尚、種付け牛としては14年というのは珍しいくらいの長寿らしい。
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