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2016年02月19日07:09

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Glen Campbell: I'll Be Me (2014) ;観た映画、 Feb. '16



Glen Campbell: I'll Be Me   (2014)



116分

アメリカ映画・ドキュメンタリー

監督:James Keach

出演:グレン・キャンベル

   キャンベルを巡る家族、ショービジネス界の人々



オランダ国営テレビの文化・芸術番組で本作・ドキュメンタリーを観た。  日本では60を越した我々の年代には今でもファンがいる筈のアメリカのカントリー歌手、グレン・キャンベルを巡るドキュメンタリーである。 日本のネットでは殆ど本作を牽くことができなかったから劇場、テレビを問わず未公開・未放映だったのだろうと想像する。 下に牽くサイトに「それは感動的な風景だ」と題して短い記述があった。

http://onnakentei.exblog.jp/22525855/

ウィキペディア; グレン・キャンベルの項

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB

自分が本作を観ようと思ったのは2点、キャンベルを60年代から聴いていて自分はビートルズ世代ではあるけれどフォーク、カントリーにも興味があり、カントリーはアメリカ白人の一種の演歌でありロックの時代には古い保守的なものとして都市・都市近郊の若者には聴かれなかったもののそこでは広い荒野・自然の中で生きる男女の機微を歌うロマンであり、白人中高年には古きよきアメリカ精神を謳うナッシュビルを中心とする音楽だったのだが当時新しいタイプのカントリーとしてでてきたキャンベルに惹かれた。 彼の歌う題材と従来の定型を残しつつも新しい時代のカントリーという音楽性を感じ、例えば曲の転調やコード進行などで40年以上前に簡単なコードだけでギターを弾いていた若い自分が惹かれたのだろう。 例えば当時、映画館で観た、ニューヨークに出てきた田舎者のカウボーイがどぶネズミのように都会で蠢くダスティン・ホフマンと出会う「真夜中のカウボーイ(1969)」でアンジェリーナ・ジョリーの父親ジョン・ヴォイトが演じる田舎者カウボーイの背後に流れていた曲に近似するものとしても記憶された。

もう一つは本作のタイトル、 I'll Be Me 「自分は自分であり続けよう、なり(自然、あるがままの)自分になろう、自分はそうであるだろう」というように幾つかに意味が取れるその内容は、輝かしいキャリアを持つ歌手が5年前、70代の半ばでアルツハイマーを発症していることが分かりこの何年かでいよいよ舞台から降りて歌手生命を終えようとするそのプロセスを辿ったドキュメンタリーであること、例えば本作の中で歌われる 「I'm Not Gonna Miss You」 は、自分はこのような病気の中で記憶が薄れ自分が誰か分からなくなる中であくまで自分でいる、それが自分であり続けること、普通は別れに際しては恋しくもあり哀しくもあるけれど自分のように記憶が無くなれば自分は誰も恋しく思わない、哀しくもない、というようなアルツハイマーの中での自己の存在が怪しくなり困惑する中で想いを綴った歌詞を持つ曲をこの「アメリカ演歌歌手」であるキャンベルは自分の存在を聴衆に歌で晒し本人最後のツアーの舞台で歌う。 現代エンターテイナーの生き方を見せるものであり、殊にアルツハイマーが進んでいる齢90に近い自分の母のその病状を看てきていることとも対照され身につまされる。 

自分は50年代60年代に幼少期を過ごした世代で殊に50年代に小学生だった少年にはテレビで放映されるチャンバラ物に混じってアメリカの西部劇、戦争もの、ポップ音楽に影響されている。 その中で四角い顎がしゃくれ気味だった西部劇シリーズの「ライフルマン」、チャック・コーナー似のグレン・キャンベルは西部に縁の多いカントリー歌手で新時代のカウボーイでもあって広大な土地の電信・電話線をトラックを運転しつつ修理に廻る「Wichita Lineman」や「恋はフェニックス(By the Time I Get to Phoenix) 」には聴き入ったものだ。 上記のニューヨークの偽カウボーイに関連してキラキラした衣装に身を包みカントリーを歌う自分を含めた芸人を偽カウボーイとして題材に謳った「Rhinestone Cowboy」「Gentle on My Mind」などは我々世代の懐メロでもある。

数々のグラミー賞に輝き映画出演のキャリアを顧みるとスーパー・スターだったことは挿入される嘗ての映像に現れており、病との関係で言えば現代の音楽界のスターたちが経験した身内のアルツハイマー経験を語るところに本作がドキュメントたる所以もあり、舞台に立ち音楽活動を続けることがアルツハイマーの進行にブレーキをかける作用をしているとの医師の言にも納得させるところがあるものの舞台上で曲の順序が混乱したりそんな生の述懐を述べるところに接すると痛ましい気持ちが湧くものの本人が望むことだと周りが盛り立てる様子には周りの助力の大変さも感じさせそれは巡業中の大型バスの中でのやり取りからも、又ミュージシャン殿堂入りした式典の翌日何のためのものだったのかも分からない、妻の名前も言われないと分からない状態であっても示された歌詞を辿って舞台に立つ姿を観る我々は上記のサイトで「感動的」と形容された印象を共有するのだし、嘗ての若々しく伸びのある、またギターでも聴かせるキャンベルが現在は施設に入っているとの情報に接すると医療の世界で癌治療が健闘している現在、世界に顕在化してきたアルツハイマー病をキャンベルの周りが生にその姿をカミングアウトさせたところに家族が彼の名前をこういう形で残したいという思いも見えもするようだ。  

アルツハイマー病という若年からでも発症する様な、内面的自己存在を揺るがせる病理を解明し予防、抗退行治療、更には回復の試みまで始められるかというような中で我々は当分自分が自分のままで生き続けることの意味を考えさせられるそんなドキュメンタリーである。
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