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2015年12月29日21:35

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作家が好きと作品が好きはイコールではない

 天気も快晴なら気持ちも快晴。めでたしめでたし。
 朝食前の散歩は若干苦痛が伴うのだが、今日は歯の鈍痛を除いて気分がいいために40分ほど歩くことができた。
 3枚ばかり年賀状を書く。うち1通は大学の友人宛で、先日の演劇公演について感じたことを長々と綴った。こうなると年賀状というより手紙だ。
 その後庭にラズリを放してひなたぼっこ。図書館で借りた星野智幸の『呪文』が昨夜の時点で残り30ページになっていたので、玄関前に座り込んで読んだ。陽差しが当たっていると暖かい。
 帯には桐野夏生氏大絶賛という推薦があって「この本に書かれているのは、現代日本の悪夢である」と書かれている。悪意とファシズムが蔓延した日本の貧困情況がテーマで、平素からネットの愚昧さに辟易している私ゆえ共感を持って読めるだろう、なんて気持ちで読み始めたのだが、意に反してつまらなかった。星野氏の文学観や社会批評に心酔しているにもかかわらずだ。悪意をデフォルメして面白おかしく読ませたかったのだろうが、私は乗りが悪いタイプなので終始しらけた気分だった。往々にしてあることだが、その作家が好きというのと作品が好きというのは一致しない。私は村上春樹という作家が好きで尊敬している。が、『海辺のカフカ』で作品のスタイルの根本に倦んでしまった。が、この作品あたりから村上春樹は国民的作家となり、同作品もそれこそ大絶賛の嵐状態だった。一般誌までもが『海辺のカフカ』特集を組み、舞台のモチーフとなった図書館の写真を掲載したり主人公の台詞を時系列で並べたりして、作品の内容を解読していた。そうなると自分が鈍感であるような気になり、少し凹んだりもしたのだった。
 星野氏は一貫してファシズムに抗している。ときどきは彼のTwitterに書き込みをしたくなって自分もTwitterを始めよう、と考えたりもするくらい、信頼を寄せている。が、どうしても作品に共感できない。最後まで読んだのは彼が好きだからという理由だけだ。
 午後3時、年賀状3通を出しがてらふたたび散歩。今日初めて「来年もいいお年を!」などとご近所のかたに挨拶をする。口に出してから、1年の終わりと1年の始まりはただの境だけであるということだけで非連続しているわけではないじゃないか、という懐疑心も生じたが、こういうのが乗りの悪さに繋がっているのだろう。いいじゃないか、みんなに従えっていれば。 
 明日明後日は映画でも観るか。マイナーな映画配給サイトに登録していて、試しに見たい映画の有無を確かめたら有料(540円)であった。Amazonならそれより108円安かった(笑)。HD画質なのでちょい高なんだろう。古いMacBookなので、それでなくとも画質が悪いため、きれいな映像を選ぼう。
 夜、珍しくボクシング中継を観た。気持ちに余裕ができたのだろう。
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