見上げると北の空に西日が当たって雲が光っていた。 冬にも入道雲が出ることは承知しているけれど入道雲は歳時記にあるように夏なのだからそこは同じ形にしても見るときの感慨は違う。
夏には額に汗してああ、蒸すなと眺めるか一日の終わりに雲に西日が当たるのを見てやっと一日が終わったというような気分なのだ。それが冬には見上げるとああ、青空に入道雲が出ているな、というぐらいでこれならまだ夕立は来ないだろうと漫然と行き過ぎたり立ち止まってしばらく眺めるという風なのだ。 自分は夏に入道雲が崩れているというのをあまり眺めたような記憶は無い。 崩れたらもう風が吹いて来て辺りが暗くなりどこかに避難しなければとセカセカ移動すようなもので、冬にはああ崩れている、あの辺りでは時雨なのだなあ、それにしても結晶した水が簾のように降りてあれは雨なのか霰なのか、と立ち止まってみるような種類のものだ。
けれど写真になれば夏の写真も冬の写真も変わりがないのだからそれはただそれを眺めている周りの気温の違いでしかないのではないか、というようなことをも想いながら自転車をぶらぶら漕いで暖冬の家路に着く。
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