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2015年11月26日13:03

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久しぶりに人に会った



一昨日鬱陶しい空に虹がかかった写真を載せたのだが今日も鬱陶しい写真を載せることになった。 天気は相変わらず冷たい霙交じりの雨が降っては止む、止んでは降るという日が続く。 この何週間かメールや電話でやり取りをしていた友人と昼飯を喰うとの約束を実行することになり4時間ほど寝て朝の10時に目覚ましをかけておいたものが煩く鳴るので仕方なく起きて窓の外を見れば冷たいものが降っていた。 

友人と行っても職場の同僚で、29年前にこの町で働くことになったときハーグの外れにある彼の隣の家が空いていて、入口に続く間が前には店だったようでそこが家人のアトリエのスペースともなり願ったり叶ったりだったので結局そこに北の町グロニンゲンから越してきて5年住み、そこで子供2人が生まれ、それから今のうちに引っ越してきたのだった。 だからこの同僚とは毎朝駅まで5分ほど歩き、12分電車に乗って職場のある町の駅につき、そこから職場まで10分ほど歩く、帰りは同じようにして駅まで戻ってキオスクの缶ビールを飲みながら帰る、というようなことを5年繰り返していたものだから自然と家族づきあいとなり韓国人の彼の奥さんからはピアノも習っていた。 

学生時代自分で教育学部の電話ボックスのようなピアノ練習場に行って我流でバイエルの54番ほどまで進んでいたものがそれから12,3年経ってから同じ教本で初めからやり始めたのだがあるとき彼らが離婚しそれ以来彼女には時々会うけれどピアノのレッスンは止めたままそのままになっている。 その時ピアノの先生である彼女からちゃんとした指使いを習いゆっくり初めから始めて56か57番で終わったのだった。 そのために買った当時まだ出始めの数少ないピアノタッチのキーボード、ヤマハ・クラヴィノヴァを買ったのだが宝の持ち腐れで、子供たちがまだ小学校の低学年のころ近所のバッハをこよなく愛する老人のレッスンをそれぞれ2年づつほど受けさせていたのだけれど娘は多少は音楽に興味があるものの息子は聴くだけで結局彼らもピアノには触れることもなくなりこのピアノは今も居間の隅にそのままある。 

ユダヤ系のこの友人は朝鮮仏教の研究者で自分と同い年だけれど性格がかなり違う。 自分はがさつであり、ある程度体力もあって力も強いのだがこの男は物心ついてからは頭痛に悩まされ続けていて様々なことをやっていた。 耳たぶに極細の針を何本も射してピアスのようにしていたり薬物を使わずヨガや瞑想で何とかしようとしていたけれど結局今は2種類ほどの薬を服用して凌いでいるようだ。 けれども完全には消えないとのことで、頭痛など経験したことのない能天気な自分には今でもそのことがわからない。 兎に角自分と比べるとこの男は随分デリケートなのだ。 最近は体力も衰えてきたのか昼間でもベッドに横になることが多いとも聞いた。

ビチョビチョ霙交じりの雨の中ポンチョを被って家を出て元の職場に来たら彼はまだコンピューターに細かい活字を打ち込んでいた。  自分より半年ほど先に引退したけれどヴォランティアで人手の足りない職場を助けているのだ。 1週間に2回午前中だけ来て、1週間に2回彼が済む近所の移民の子弟に数学とオランダ語をヴォランティアとして教えて、1か月に2度ほど14か月ほどになる初孫の世話をするというのがルーティーンらしい。 1時間ほどそこでいろいろと駄弁ってから近くのカフェーでランチにした。 風邪気味の彼はスープにオープンサンド、自分はこのあいだリンブルグで飲んだブラント・ビールに百姓風ハムエッグだった。 これで2時間ほどそこにいた。 我々は別段何を話すということもないのだが話はあちこち飛んだりどうでもいいことが多い。 寂れたトルコの観光地のホテルで1月か2月に1週間何もしないでブラブラ・ゴロゴロと読書したり音楽を聴いたりして過ごすのに一緒に行く約束をしていたのが8月にトルコの政情、ISのテロが始まり急遽そういう場所は危ないとキャンセルしたのだが、そんな風に我々は二人でいてもそれぞれ勝手に同じ部屋で寝起きできる仲なのだ。 そのプランが駄目になって少々残念な気がしたけれど格安のチケットだったから季節的にも今日のような空模様が続くと思われる何もないところだからキャンセルになっても別段失望はしなかった。  自分は出来ればアウトドアで歩き回りたい質なのだけれどこの男はからっきしそういうことには興味がないし体力がない。

そんな男なのだけれど骨のあるところもある。 彼の父親は世界的にトップクラスのコンセルトヘボー・オーケストラの第一ヴァイオリン、コンサートマスターで有名人、日本やアジアの国でもコンクールがあるたびに審査員として世界中を飛び回っていてオランダでは70歳以上の人には知らない人がいないほどのヴァイオリニストだった。 その子供だから小さい時からヴァイオリンを習わされたものの親のプレシャーは尋常ではなく結局訳の分からぬ朝鮮仏教研究というところにいってしまったのだが、若い時には理想があり70年代初頭スペインのフランコ政権に反対してデモに加わり、それが荒れてスペイン官憲に逮捕され何日か拘留されたのだがそれが新聞沙汰になり、出た記事が「あのxxの息子がスペインで拘留」で、自分は結局xxの息子でしかないのだとがっくりきた、と面白おかしく話していたことと自分はヴァイオリンには縁がなかったけれど息子は地元オーケストラのヴァイオリン弾きだからまあそれでもいいかとその頭痛持ちのアムネスティー・インターナショナルのメンバーが話していたのを思い出した。

カフェーから出るとまた雨が降っていて職場前に停めてあったそれぞれの自転車のところに戻るまでの距離が短いので濡れるまま歩いた。 この頃の空は降ったり止んだり猫の眼のように変わる。 彼は帰宅して寝床に潜ると言い自分はポンチョを被りスーパーに廻って晩の食材を買った。 何も思いつかなかったからスパゲティにしようと思った。 そこで彼のことを思い出した。 まだ彼の息子が幼稚園児かそれぐらいの時、お母さん、死なないで、もし死ぬと僕、お父さんの不味いマカロニばかりたべないといけないからお母さん死なないで、と言ったということだ。 彼はどうしようもないほど料理ができないようだ。 

スーパーを出てポツポツと止み始めた午後2時の薄暗い中、公園を抜け濠端を通って帰ってきた。 裏の物置に自転車を入れるとき暫しの間雲間に隙間が出来た空を見上げていたら冬の入道雲が崩れて時雨か氷雨かが降りてくるような雲が見えた。 こういうのが出てくれば本格的な冬空になるけれど、これでもあたりが全て薄暗く雲の形さえ見えないようなどんよりした空よりはまだ気が晴れるような気がする。。
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