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2015年11月24日12:25

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冬日(ふゆび)



生活を少しは昼型に変えないと、と昨夜は2時ごろ床に入った。 けれど日頃は朝の5時、6時なのだから眠れない。 だから寝床で何か読んだり、タブレットであれこれ見ていればやはりそれにも疲れて眠くなるのが5時、6時だった。 だからその計画も計画倒れで何にもならなかった。 12時を廻って起き出して、そうだ、溜まった紙と壜を車で棄てに行かねば、そうするとそのついでに空になったビールのケースもスーパーに持っていってそのついでに車でしなければならない重い、嵩の高い、たくさん一度に買うような物を今日から4日分の食材をも含めて買わねば、これが今日の仕事だ、とえっちらおっちら溜まったそんなものを車に積んでいつもの集積所に持って行った。 この数週間はこの辺りは道路工事をしていたのですんなりと車で行けなかったのが今はもうちゃんと元の通りになっていた。 

けれど、ちょっと待てよ、この前こうやって捨てに来たのは日本に帰省する前だから10月の初めだ。 帰ってきたのが22日だからこの前からもう1か月半ほどになる。 1か月半にしては棄てる量は少なくはないけれどそれにしても、、、と思った。 2週間分は自分の帰省中に家人が少しづつ自転車で運んではここに持ってきていたのだろう。 自分は基本的にはビールの小瓶24本入りのケースが空になるとここに来るということだからそれを補充するために2kmほど離れたスーパーに行くのでそのついでに溜まったものを車でここに、、、、というのがルーティーンだ。 自分の性格としてもう一杯一杯になってこれ以上はというまで動かないし、だからこんなふうにして車でスーパーに行く。 日頃の毎日の食材は自転車でブラブラ町のスーパーに行くのだからしれているし、それに子供たちが家を出て所帯が還暦を越えた夫婦二人だけのものとなるともう車で買い出しをすることも殆どなく、それにそうなるとガソリンを補充する回数もめっきり減っている。

月曜3時のスーパーは空いていると思ったけれど2か所ある駐車場は満杯だった。 近くの路上も一杯、だから100m近くあるような住宅のそばに停めて空のケースを下げてスーパーに入った。 カートに食材、みかん30個ほど入った袋、40玉ほどのトイレットペーパー、ビールのケースに安ワイン何本か、牛乳2本、などなどカート8分目ほど満たしてスーパーを出て50mほど行ったらカートが動かなくなった。 車輪に何かが挟まったのか、歩道の細かい枯れ枝か何かかと見てみると4つある車輪で一つがプラスチックの赤い何か重しのようなものが自由にクルクル回れるようになっているところに付いていてそれが廻らず引っかかっているのだ。 カート自体が重いから無理にそれを押したら他のが動くけれどこの一つが強力なブレーキの役を果たしていて車まであと2、30mまで来ているのだから無理やり力任せに押してなんとか荷物を車に収めた。 それまでに小雨が降り始めていたので惨めな天気でこれか、と腐っていたのだが、空のカートを戻しに赤いブロックのついた車輪を持ち上げて妙な格好だが楽に引っ張って行くとブロックされたと思われる辺りで急に軽くなってそのブロックが解けたようであとの50mほどは何の問題もなく押していけた。 妙だな、と思っていたら、そうだ、あれはスーパーから半径50mほど出ると信号でブロックされるシステムだったのだと気づいた。 今まで妙な赤いものが一つだけついているから何なのかと思っていたけれど何の問題もなかったからそのままにしていたのだけれどそういえば初めの頃、まだコインを入れてチェーンを外し使った後はもとに戻のにチェーンをかけるとコインがもどってくるのが普通になる前は人は勝手に家に押して帰る、あちこちに放ったらかしにするということがあって少しはそういうことも少なくなったもののまだそれでも戻さずスーパーにしては数が減るのは堪らず何かの方策をと採ったのがこの方式だったのだ。 

これはある距離まで来るとロックがかかるのだ。 けれど、まてよ、もし本気で持って帰ろうとしたりプロの仕業として盗むのならそんなことをしても持って帰るのが何の造作がないように思うのだがどうだろうか。 こんなもの、盗もうと思えば別段何ともないのだが、、、。  そんな無駄なことをするより半径50m以上の駐車場を作れば完備したらいいのにと腹を立て、それだとしたら50m以上の距離があるショッピング・モール駐車場のカートもこのようになっているのだろうか、何か納得のいかないと思いをしながら自分の50ユーロセントを取り出して踵を返した。

車に戻ろうとして歩道を歩いているとき見上げると雨は一時止んで暗いところに西日が射してそれがアパートに当たって辺りが妙なコントラストの色を出しているのに気が付いた。 その時昔、高校、大学と写真部の時に、特に大学時代にデイスカッション材料にしていた写真雑誌の、アサヒカメラ、カメラ毎日、日本カメラ、写真批評、雑誌太陽等々に出ていた写真の何枚かを思い出した。 通俗の写真でなく当時新しい写真の波が多く掲載されていたカメラ毎日などに一般投稿かプロかの作品でカラー、モノクロ写真では今見る風景のようなものがあったような気がする。 けれどそれらは自分には殆ど何の感興を催すものではなかったように思う。 これが何なのだ、個人のセンチメントか何かなのだろう、とそれらを見ても美しいとは思わなかった。 そのことを今思い出したのは雨が一時的に上がった周りで見るそこに触発されたのだろうと思う。 辺りが薄暗く鬱陶しい中で光が当たったアパートがそこだけ妙に光って、背景の、薄暗く、青か茶色かが薄く混ざった黒雲に対照されて妙な気持ちになったからだろうと思う。 美しいとか美しくないとかは別として光が突然見せる瞬間の不思議な色だった。 冷たい冬の霙が降るような一瞬の光でそんな色は印刷されたりデジタル化されても元のものにはかなわない、と思うもののカメラを腰から抜いて1枚撮る。 家に帰ってコンピューターで再生しようとするけれど相変わらずその時の感興からはほど遠いものとなりウンザリするけれどその時架かっていた150度ほどの虹の弧があったのが救いとそれを切り取って日記に張り付けた。

1か月半前の大阪ではオランダの夏を経験し11月初めでは20℃ほどになるリンブルグでオランダの盛夏ではない夏日の中を歩いて家に戻れば徐々に薄暗く鬱陶しくなり、特にこの2,3日は寒くなりこれから冬日(ふゆび)になると天気予報は言う。 この何年も日本とオランダの天気予報を毎日見ていて温度差はあれ気温の動きが何か符合しているような気がする。 もちろん地球上の北半球で反対側ではあるから気圧団の押し競まんじゅう的動きの結果がこうなるのかもしれないけれど今日の日本ではもう初雪はとうに済んではいたけれど北海道で急に零下10℃を越すようなものになっていると聞いた。 こちらでは日中の最高気温が12,3℃だったところが今日は6℃だったらしい。 けれど最低気温が5℃ならほとんど昼夜には差がない。  冷たかった筈だ。 この2日ほど自転車で走ると体感気温はそれから2,3℃は下がるから皮の手袋をしなければ耐えられなかった理由が分かる。 そしてこれが明日の最高気温が4℃だと言われると明日、もし晴れたら表に出ようとも思うけれどこのままだったら家の中で相変わらず蟄居してうろうろ1日過ごすことになるだろう。 2日分ぐらいの喰い物は重いカートを押して買って来てある。 
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