今日は休みですので、のんびり聖書を読んでいます。
『姦通(かんつう)現場で捕らえられた女』
律法学者とパリサイ人が姦通の現場で捕まえた女を連れて来ました。
モーセはこういう女を、石を投げて殺せと命じています。
彼らはイエスを試すために、あなたはどう考えますかと聞かれた。
イエスは「あなたがたのうちで、罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
彼らはそれを聞くと、年長者からひとりひとり出て行き、イエスひとりが残されました。
イエスは「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。
今からは決して罪を犯してはなりません。」
と言われた。
(ヨハネ8・1)
イエスは人はみんな誰でも罪を犯すものだ。
しかし、また何度も同じ罪を犯すこともあるだろう。
しかし、「罪の内に死んではいけない。
許しを得て生きなさい。」
と述べています。
罪の多い私には救われる言葉だと思いました。
イエスはエルサレムで処刑される直前に、
弟子たちと最後の晩餐をしました。
夕食の時、イエスは弟子たちの足を洗うエピソードがあります。
『洗足物語』です。
彼は「立ち上がって、上着を脱ぎ手ぬぐいをとって腰に巻き、
それから水をたらいに入れて、弟子たちの
足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた」
(ヨハネ4・5)
イエスの手は「神の手」として弟子たちを洗い清めたのでした。
イエスの足を洗うという意味は、
日本的には悪い事から足を洗うことの意味とは違い、
洗われる人と特別な関係を結ぶ
「救いの縁結び」の
意味があったのです。
聖書より、人は誰もが罪人であるという話しと、
洗足と縁結びについて
お話ししましま。
私もあなたの足を
洗いにまいります。
合掌
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