まずこの映画の上映時間が、オールシネマオンラインでは97分とあります。今回NHKで放送したバージョンは91分で、imdbの表記も91分。公開年のキネマ旬報のメートル数が2482メートルでしたから、公開時も91分のようです。「1」の手書き文字を「7」と読み間違えた単純な誤記でしょう。
監督はアレキサンダー(アレクサンダー?)・マッケンドリック。このあとアメリカで「成功の甘き香り」(日本公開は「マダムと泥棒」より少し早い)を作り、「ナバロンの要塞」の監督に決定しますが、脚本のカール・フォアマンともめたとかで、J・リー・トンプソンに交代します。トンプソンはロケ地に向かう飛行機の中で脚本を読んだと語っていました。
マッケンドリックは、スコットランド人の両親の元、アメリカはボストンで生まれました。すぐにスコットランドに戻り、以後ずっとイギリスに住んでいたようです。脚本のウィリアム・ローズは、アメリカ人ですが第二次大戦で兵士としてイギリスにわたり、そのまま定住してしまいました。撮影のオットー・ヘラーはチェコ生まれで、戦前からイギリスに住んで活躍したようです。終戦前後にイギリス国民となったらしい。「真紅の海賊」「リチャード三世」そして「国際諜報局」と、その撮影技術は高く評価されています。
この映画の画面サイズは放送では4:3のテレビサイズに思えたのですが、もともとが1.37のアカデミー・アパチャーのようですね。市販のブルーレイと同じ素材のようです。やはり映画を放送するときは、できるだけオリジナルに近い状態で見せてほしいから、この配慮はうれしい。
と、物語を後回しにしてトリビアから語り始めたのは、この「マダムと泥棒」がコーエン兄弟の「レディ・キラーズ」の元ネタであることを、僕の日記の読者は先刻ご承知だからです。現金輸送車から6万ポンド(戦後の新円レートでは6000万円超)を強奪しようと計画した5人の男たちが、弦楽五重奏が趣味だとふれこみ、大家が老婦人の二階を借りるという展開です。
とにかくコーエン兄弟のリメイクは忘れて、この映画をご覧ください。誇張した色使いと、いかにもイギリス的な雰囲気の中で、シニカルな犯罪劇が展開します。まるでマンガを見てるみたい、と思ったら、アレキサンダー・マッケンドリックは最初、短編アニメをたくさん作っていたらしい。今回のアレック・ギネスの扮装など、まさにマンガですね。タッチは違うけど、方向性はロナルド・サールあたりと近い。
5人の悪党どもが、老婦人の“正しいことをして生きる”という論理に反論しきれないという展開が、僕には“戦後10年の社会”を感じさせました。戦争で人殺しをやってきた人間たちが、殺してきたからこそ老婦人を殺せない。そんな設定がとてもいいと感じました。戦後70年を経て、安保法案を成立させてしまった我々は、そのツケをどういう形で払うことになっても、責任を感じなければいけない。感じるだけじゃダメだという説はもっともですが、これは償いようがないことなので、とりあえず責任を感じるという言い方しかできないのです。
今この映画を見る若い人たちの中に、5人組が悪党ではなく善人に見えるのではないかと危惧しています。つまり、かつての悪党はどんな悪党でも“人間”だった。悪党であっても“相手を人間だと思う”という常識があった。しかし昨今、自分の命は大事だという認識を、他者に対しては考えない犯罪が増えています。そういう意味で社会常識が通用しない今、この映画を“現代人”がどう見るのか、僕にはとても興味があります。
もうひとつ付け加えておくと、オールシネマ・オンラインに次のような記述があります。いわく“P・セラーズとH・ロムの顔合わせはその後「ピンク・パンサー」シリーズへと引き継がれてゆくのだが、この作品がなかったらあの傑作シリーズも生まれていなかったに違いない”。この映画を褒めるのに、ブレイク・エドワーズらの手になる泥臭いシリーズを持ち出すなっての。人気シリーズだからいい映画だというのなら、日本映画史の最高峰は「男はつらいよ」かい?
ハーバート・ロム(写真3左)の名前を知らない人は、ヘップバーンの「戦争と平和」のナポレオンや、「エル・シド」の異教徒の王、「スパルタカス」でスパルタカスに船を提供する商人を思い出してください。あるいは「生きていた男」の刑事役も。老婦人役のケイティー・ジョンソンって、いろんな映画で見ている気がしましたけど、僕はほとんど知らない映画ばかり。このウィルバーフォース夫人役が、とても印象的だったのですね。
とにかく、この映画を見ていない人はぜひご覧ください。あなたが“ドブに捨てている時間をかき集めて”91分を創り出せば、あなたの人生に大きな光明となるはずです。
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