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2015年09月11日10:44

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娯楽の王者だった日本映画が、衰退へとたどり始めた時代を実感させる娯楽時代劇。伊藤大輔監督「弁天小僧」(1958)。

僕は市川雷蔵という俳優さんに、特別な思いを持っていません。どちらかというと勝新太郎のほうが、まだ僕には“好み”でしょう。ということで、「炎上」「ぼんち」は市川崑作品として見ているし、「ある殺し屋」「陸軍中野学校」も、それぞれの監督に惹かれて見ました。今回は、たまたまNHK−BSでハイビジョン放送していたから録画してあっただけ。宮川一夫の本を読んだことから、では見てみるかとなりました。

僕はまた、歌舞伎について全く知りませんから、白浪五人男といわれてもピンときません。せいぜい幼い中村勘九郎(先年亡くなった勘三郎のことです)が、同年代の歌舞伎界の子供たちと舞台に立ち、その5人が白浪五人男だったということを覚えている程度。それでも「弁天小僧」と言われると、“知らざぁ言って聞かせやしょう。弁天小僧菊之助たぁ、俺のことだ”というセリフは知ってます。落語などで耳にしたのでしょう。

という程度の人間が、「弁天小僧」という映画を見ても大して面白かろうはずがない。でも1958年ごろには、まだ歌舞伎の知識が一般常識として通っていたわけです。だからこそ落語のネタにも利用されていた。そして日本の映画人口が10億人を超え、日本人がほぼ毎月1回は映画を見ているという時代でした。そんな時代の、11月末に公開されたこの「弁天小僧」は、市川雷蔵と勝新太郎が共演しているほか、脇に田崎潤、河津清三郎、黒川弥太郎、中村鴈治郎らを配しています。大映のプログラム・ピクチャーの中でも力が入っていたと思われます。

とはいえ、このころすでに観客は東映に奪われ、大映はかなり厳しい状況でした。そもそも画質のいいビスタビジョンを選択した大映が、地方劇場の設備などを考えて、大映スコープというシネスコサイズに変更しているあたり、大映が目指したのとは違う方向へ日本映画が流れていきます。

そんな背景を考えさせたのは、この「弁天小僧」の構成でした。つまり僕が唯一知っている啖呵を切る場面が、映画の中では空想の芝居仕立てになっている。これは、歌舞伎の常識がない客(僕のこと)でも“歌舞伎で有名な出し物ですからね”ということを分からせて、芝居ならではのセリフ回しを“正当化”している、と僕には感じられたのです。

今僕は、桂米朝が落語について書いた本を読んでいます。そこに過去の落語家について触れているのですが、柳家金語楼が一世を風靡した昭和初期の新作「兵隊」について、とても興味深い記述がありました。つまり米朝が回想している1980年ごろには、すでに兵隊の新兵検査というものが、かなりの人々に通じなくなっていた。そして金語楼が演じて人気だったころには、検閲がとても厳しかったのです。そこで金語楼は、検閲官が文句のつけようのない文言を並べながら、言葉づかい、表情、しぐさなどで、文言とは逆の“兵隊にとられる辛さ”を表現していたのだそうです。それが1980年代には、歴史的価値以外には全く“意味”の無い存在となっていた。

米朝はしかし、その歴史を忘れたくないとし、時代と共に消えてしまうかもしれない新作落語がないと、古典落語も消えてしまうと警告を発しています。東映時代劇が、明るく楽しい勧善懲悪のドラマを繰り返し、大衆の心をつかんだとはいえ、それは黒澤明の「用心棒」の登場で木っ端みじんとなります。そしてヤクザ映画へと突き進んだ(ヤクザ映画は好きですよ)。そんな時代の流れを実感します。

ということでこの「弁天小僧」は、1958年という時代ならではの日本映画状況を端的に表した娯楽作だったと感じました。今見るとセットに金がかかっているし(使いまわしだとしても、ね)、ゴージャスな画面作りと、それらを支えるスタッフ力が感じられます。だからといって、昔を懐かしむだけではだめ。今は今ならではの作品を生み出さないといけないと思うのです。実際、それをやろうとしている人は大勢いるし。
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