今日は聖書より、
よく聞くお話を紹介します。
マタイによる福音書5章1〜12
イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」
マザー・テレサはよくこの言葉を引用していました。
貧しい人々の中にキリストがいると。
『病人や貧しい人のお世話をする時、私達はキリストの苦しんでいる体のお世話をしているのです。
貧しい人々に奉仕している時、私達は神に使えているのだと確信していることなのです』と。
医療福祉の仕事につくものには必ず習う教えですので、私も忘れず基本に戻りたいと思います。
余談ですが、キリストの墓が日本にあるという説をご存じですか?
イエスはエルサレムのゴルゴダの丘で処刑されましたが、それは弟のイスキリが身代わりになったという説です。
イエスはエルサレムを脱出するとシベリアを横断して、船で青森県八戸に上陸し、新郷村にたどり着き、日本人を妻とし、天寿をまっとうしたという。
その証拠がいくつもあり、新郷村の旧名は戸来村という地名で、ヘブライ語でユダヤ人という意味だそうだ。
また、この地方の歌にナニャドヤラという歌があるが、このヘブライ語でユダヤ民族の神の名を唱えて戦う進軍歌というのです。
青森県水戸郡新郷村大字戸来(へらい)の丘に二つの盛り土があり、一つはイエスの墓、
もう一つは弟のイスキリの墓と伝えられている。
真意は定かではない。インドにも同じような墓があります。
来月青森に行くので、
調べてみたい好奇心があります。
余談でした、イエス様
失礼しました。
合掌
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