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2015年07月26日13:02

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百年に一度の嵐だった



熱帯、温帯ではハリケーン、タイフーンのような暴風雨が今の時期にはそろそろ始まっているけれどそれに比べられるような自然の猛威のないヨーロッパではストームもしくはストルムと呼ばれる嵐がある。 大阪の南部で第二室戸台風を経験したものにはこの35年オランダに住んで脅威を感じたことは無いものの洪水の危機は海を干拓してきて絶えず水と戦うオランダでは歴史以来今も、特に地球温暖化が進み太平洋の島がこれから何十年かでいくつも水没するというような状況下では、ここオランダで1953年のゼーランド州が水没し何千人もが命を落としたことを自らの経験を隣の婆さんから聞いて親戚兄弟が濁流に飲み込まれ村が水没し見渡す限りの海になるとい事がどんなものか聞かされてからはどこに行ってもそれを気にしないではいられない。 けれど舅がポルダーの水位監視員だったからその働きを見てきていると世界に冠たるその水の処理・制御技術には自分の家があるところが標準水位かそれ以下であってもその何重にも守られている今のシステムにはある程度の信頼を置いている。 けれど時々起る嵐だ。 なるほど来るとは聞いていたけれど10時に目を覚ましてみるとかなりのものだった。 これからもっとひどくなると言われていたからどれくらいになるのか楽しみだった。 子供のころからこういうスペクタクルがあると心が騒ぐ。

朝食とちょっと早い昼食を兼ねてこの半年ほど続けている同じものを腹に入れ仕事場に出かける。 来週の水曜に家人と息子の運転するフィアットに乗って40分ほど走ればフックヴァンホランドからケンブリッジに向けてロンドン北西の港町ハリッジには一晩で着くフェリーに乗る1週間の休暇に出る。 初めは行かないと言っていた娘も後から飛行機で我々に追いついて知人のパーティーに参加すると言い昨日の晩往復のチケット代15000円ほどをせびられた。 それはそれとして今日の嵐が当日でなくてよかった。 空、海、陸の交通が遮断される何時間かがあったらしいと知ったのは嵐が収まって太陽まで顔を出した午後8時のニュース時だった。 本来なら遮断されていたその時間にそれも嵐の一番ひどかった町に姑を乗せて叔父の通夜に行くはずだったからだ。 通夜というのは普通夜なのだが縁者であるのと高齢者の内輪だけの都合のいい時になるから姑の妹の婿である叔父の別れには普通の通夜はあっても姉妹とその付き添いには午後ということになる。 自分は今月末までにこの29年職務を続けてきた事務所を片づけなければならずケンブリッジ行の日程を計算すると今日と月曜しか時間がないので残念ながら叔父との別れが出来なく結局家人が彼女の二人の妹と嵐の中をその町に向かったのだった。 

土日の週末は普通は休みであっても歴史的記念物である職場のある建物は管理棟にでかけてガードマンから鍵を借りて中に入ることが出来るけれど今の夏休み期間では官庁も日曜は締め切りのところも多くここも例外ではない。 だから十分すぎる準備時間がいつでもいいと嵩を括って放っておいたら今日尻に火がついたというのがいつものパターンで、だから普通ならそんな嵐の中をわざわざ出かけなければいいものをノコノコ自転車で出かけなければならない羽目になったのだった。 なるほど家を出ると風がすさまじく15m以上もある街路樹が物凄い音を立てて揺れ動き路上には小枝が散乱している。 前庭のこの20年でドングリから伸びて、放っておいたら今は先が15mほどにもなっている木は揺れてもいない。 北西の強風が家に遮られて何ともない。 けれど隣との間のカーポート2つ分の棟が切れた隙間からはその風が廊下を通るようにして木蓮の木を右に左に揺さぶっている。  この風ではドングリの木は倒れないとみて安心して職場に向かった。 その方向に向かうには殆ど一年中北西の風の向かい風なのだが今日は特別だった。 向うから来る自転車は漕いでいなくともこちらに驚くようなスピードで来る。 こちらはと言うと7段ギヤの一番低いところで走ることになり方向が変わったり何かの陰になるとシフトを上げることになるのだが何かが飛んでこないか落ちてこないかそれを見る必要があるのだが細かい雨を避けるのにポンチョを被っていているととなかなか上の方は見えないから難儀なものだ。 何とか人のいない管理棟に来てガードマンから鍵をもらい自分の建物にいくと幾ら休みでも一人ぐらいは何かをしに入っている人間がいるのだがさすが今日は誰もいない。 曇り空の下、古い建物は薄暗く30年近く居るとどこに何が有るか暗闇でも分かるので苦労はないけれど辺りの物音、轟々と鳴り響く風の音には辟易する。 結局そこに11時から4時半までいて書類、書籍の整理を済ませ外に出れば小雨は続いているものの風は殆ど収まっていた。 いつものスーパーに寄ると日頃の土曜にはその時間では混雑するのに今日はガラガラだった。 

帰宅して久々の肉体労働だったので疲れジンの元になったオランダのジェネーヴァを飲みながらネットで日本のニュースを見たり撮った写真を操作していると1時間ほど居眠っていた。 いつの間にか帰宅していた家人が晩飯ができたと言うので下に降り、食卓で叔父さん、叔母さんの様子を聴きながら血の滴るようなビフテキを喰った。 肺が悪くその関連で心臓発作を起こし病院に担ぎ込まれ半日ほどで逝った。 85歳、叔母さんは75ぐらいだろう。 オランダのほぼ国策製鉄所に技術者として働きその製鉄所は叔父が定年してから大分経ってイギリス資本に下っていた。 そこから少し離れた町の外れの高層アパートに住んでいたようで家人はその妹たちもそこを訪れるのは初めてだった。 運河や牧草地が広がっていて牛が草を食んでいるのがよく見えるところだけれど今日は大風でそのスペクタクルを見たようだ。 叔母も叔父も今姑が住む近くの酪農農家で育っているからそのような住まいに落ち着けて嬉しいと言っていたらしい。 叔父は月曜に亡くなって以来今の時期、棺には冷房装置が付けられているものの体にそろそろ青い斑点が出来始めたので今日を最後に棺を閉じると叔母は決めたようだ。 火曜の葬儀には行くこともなくこちらからカードを出してまたそのうちに叔母に会うことになるのだろうけれど不幸中の幸いは長患いにならなかったことだと言っていたそうだ。 姑にしてみれば二つ年下の義弟がこれで、また心安くしていた隣人が昨日亡くなっているから憂鬱になっても仕方がないのだがその気配も見せず淡々と日々を送っているように外からは見えるからそれも周りがバタバタと逝く様子に驚いてその感慨の中にいるのだろう。

女三人で一番下の妹が飛ばす車に乗っていて怖かったと家人が言ったのはニュースで通ってきたところが写ったからだ。 そこを通った時はまだ交通が遮断されていなくて帰りにそこを通った時には風が大分収まっていたので開いていてそのあたりの人は必要が無い限り外に出ないでくれという警告があったから空いていたのだとニュースを見て後で分かったらしい。 猛烈に風と雨が吹き付け揺れる車で高速を走っていてワイパーも狂ったように右に左に動く高速でも前が見えず、車線変更をしたくなくとも繰り替えしていて事故がなかったのだから無謀運転の妹には参ると言っていたのだけれどそれもそんな警告も知らず走っていた道路に殆ど車がなかったことも幸いしていたのだろう。 天気予報ではこの100年以上こういう嵐はなかった、と言った。
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