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2015年07月17日09:23

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プロヴァンスを歩く(12)Signes  から Belgentier まで 16kmをタクシーで移動




2015年 5月 9日

前日下りの斜面で転倒したヤープは右の踝と左膝を捻挫しこれから何日か静養を強いられることになる。 一夜明けてホテル前の薬局に皆で出かけ足のマメ保護のためのプラスターを買ったりヤープは自分が買ったのと同じような膝に付けるサポーターを買い何とか歩けるとは言うもののストックに頼る歩行となる。 考えてみれば自分は初めから問題のある膝を抱えての徒歩旅行でありここで他の連中がウオーキング用の足のマメを保護するバンドエイドを買っているのをみて今回この旅行のために買ったシューズは完璧だったことにほっとした。 数年前のチロル・アルプスを歩いた時に作ったマメで医者から五日は何もするなと言われて一人キャンプで過ごしたことを考えると毎日歩いて次の宿舎に行くためには靴には問題がなかったことが多少の救いになっていることを自覚した。 薬局を出るときハリーがおどけて65と70の爺達が左膝に同じサポーターをつけて杖をついているところを撮られ苦笑したのだが、その後相談の結果我々3人も今日は歩かずヤープと一緒に雇ったハイヤーで16km離れた Belgentier  という村まで一緒に行くことにした。 次の宿舎はその村はずれにある今はそこに住んでいて敷地を売りたくても売れない昔のヒッピーが経営していた子供農園につながる古い農家を改造した建物で、ベルギー系フランス人の50がらみの男が我々を迎えてくれた。 ヒッピーらしくガラクタが詰まった納屋の前には自慢のイギリス、ノートンのアンティークバイクが置いてあり上から下まで当時の服を着て妙なゴーグルでちょっと出かけてくるといいながらクランクを踏んでエンジンをかけ出ていくような男だった。 ヤープと気が合うのか我々が休んでいる間も納屋でごちょごちょ話しているようだった。 離れは大きなキッチンも冷蔵庫も、また広くゆったりとした浴室からは裏の広大な林とその男の中途半端な40年代からのプジョーの何台かのかなり整備されたステーションワゴンにトラックが眺められ、それに続く味のある寝室が二つ付いた農家の離れは涼しく快適だった。 ここまで来るのにオバサン運転手のハイヤーは山の谷を縫ってこの村まで来たのだがこの村は由緒があるのか小さいながらもちょっとしたした観光地のようでちゃんとしたレストランやカフェーがいくつもあるけれどどこも垢抜けせず地方色が一杯だった。

小川に沿った村の中心にはほんの3つか4つの店を出した青空マーケットがあってそこで昼食にする鶏の丸焼き、ラディッシュを一束買いパン屋でパンとケーキをそれぞれ好きなものを一つづつ選びカフェーで赤ワインを一本買って農園に戻り昼飯にしたのだった。 典型的なピクニックの形だ。 もう20年近く前に2度目に行ったモンサンミッシェルの駐車場で地元の家族が全く同じものを喰っていたのを思い出した。 あの時は朝の駐車場はまだ霧が出ていてモンサンミッシェルは隠れていたのだがそのとき急に雲が切れ陽が差して伽藍の尖塔の先についている黄金色ミカエル像が輝き奇跡のような光景だった。 子供たちはまだ小さかったけれど今でもあの光景は鮮明に覚えている。 2年ほど前に息子が友人たちとそこを訪れた時にはもう海の中の廊下を駐車場まで行けず観光客の車は全て陸の駐車場に置いてシャトルバスでモンサンミッシェルに行くシステムになっていたそうだ。 黄金のミカエル像と車のボンネットに新聞紙に包んだ鶏の丸焼きを広げてラベルなしの赤ワイン壜と無骨なパンで食事にしていた地元の人間の光景は忘れられるものではない。 そんなことを今日は歩かず昼間からワインを飲んでいるその献立を見て思い出したのだった。

食事を済ませ外は大分温度が上がってきたので皆それぞれの部屋に下がって昼寝をした。 他の者がまだ眠っている間に陽の強い裏庭に続く老朽化したこども農園の敷地を歩いた。 木々に囲まれて静かな佇まいながらあちこちには動物がいたであろう柵がいくつも見られるもののそこには雑草が生い茂っていた。 けれど広い敷地にはたくさんの木が茂り中でもオリーブ、無花果にはたくさん実が生っていて家庭菜園しては大きいあちこちの畑をみていると自宅で消費するいじょうに十分な作物がみられる。 さすが陽の光が十分な南ヨーロッパだと納得する。 そして離れからこの敷地に入るところにある広場には大きなセントバーナードの老犬が一匹木陰に寝そべっていて、敷地に入ってくる人間を見るとのっそり起き上がり一声、二声吠えてからこちらにゆっくり歩いてきた。 方膝を曲げて坐ってこちらに来る牛のような老犬を待ち、静かにしているとこちらの差し出した手の匂いを嗅いで安心したのかそのまま元の場所に戻って元のように寝そべった。 それからは近くを通ってももう目を開けようともせず広い敷地には自分とその犬だけだった。 焼けるような日差しの中、真夏だった。 敷地をあるいていると木陰が続いているのでぶらぶら歩いていられるけれど今日このような空の下を13kg背中に背負って16kmも歩くのは不可能のように思えてハイヤーでここに来たのは正解だったように思う。 あとで聞いたらその犬にはガンの腫瘍がのどの辺りに大きなこぶのようにできていて手遅れだからそのままにしている、今のところ苦しそうにもしていないのでそのままにしているけれどそのうち痛みがでてくると獣医のところに行くことになる、とその男は言った。 それはもう30年も前に我々の犬とおなじような経緯だ。 結局我々の犬はバカンスで出かけたノルマンディーの獣医のところで注射をしてもらい人里離れた森に埋めてきたのだった。 

7時に予約していた村のレストラン、 Le Moulin du Gapeau  に出かけた。 メニューは詩人、小説家などの名前を冠したしゃれたコースもありそんなメニューは旨かった。 けれど難点はかなり広いレストランに3組しかいなのにそれぞれが出てくるまで時間がかかったことだ。 2時間半かかっている。 食事を早々に済ませてその店を出、とっぷりと暮れた村の道を宿舎にとぼとぼとランプの灯を頼りに戻った。 ヤープはもう1日ここに残りその後は多分大きな町の病院で治療を受けることになるだろう、そこから1日に何度か電話連絡をして我々にルートの指示をすることになっている。 ハリーがヤープのリーダー役を受けて先達となる。 今まで何年もヤープとあちこち行っているのでなんとか分かるけれど自分には方向感覚がないのだと言った。 やれやれ。
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