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2015年07月12日14:17

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同じことを繰り返すのは、、、、、



何時頃からなのだろうか、自分の気性が徐々に変わってきたと自覚したのは。 子供のころから辛抱がなかった。 大阪の百姓である祖父はよく荷車を牽くことに喩えて「心棒(辛抱)は鉄・カネ(金)じゃ」といっていたそうだ。 日頃の労働では辛抱が肝心、ということなのだろうが、それはよく言われる商いは飽きないだ、というのと同じ種類の謂いだろう。 祖父は今埋立地に空港のある村からほぼ25kmほどもある堺まで早朝に自宅の畑から採れた作物を一杯載せた荷車を一人牽いて出かけそれを売り空の車に運べるだけのものを買って戻ってきた明治の百姓だ。 そんな屈強な百姓の孫である自分は一人っ子で、家庭は裕福ではないながらも欲しいものは概ね与えられてきて経済的に不自由を感じたことはない。 それは戦後10年ほど経った子供の思いながら祖父、母は戦後の貧乏を経験しているからそれを孫、それも一人っ子に味わわせたくないという気持ちも十分働いた結果だったのだろう。 それに一人っ子だから物心つくころまでは他人・他の子どもと比べるということをしたことがない。 法事などで沢山子供たちが集まる中、等分にお菓子を与えられそれを目の前に置いてモソモソ喰っている間にすばしこい親戚の子どもたちに掠め取られていても別段何も言わない子供でもあったようで生存のための競争というようなことには疎いようだった。

言われたことは分かるようで頭は悪くはない子であったけれど辛抱が足りなく、だから困難に直面すると折れやすく逃げようとする。 やらないでおく、迂回する、そのようにして成人した。 大きな目標をたててそれに向かって地道に努力し成功してその達成感を味わった、というような経験はない。 同じことを繰り返すということには、他人からはそう見えても本人はそう思っていないなかった節がある。 たとえば自分の道楽であるジャズについてはこの40年ほど飽きずに聴いているけれど同じことを繰り返していると思ったことはない、と思っている。 日々同じことだと他人には見えても本人にはそうではなくただ興味に引っ張られてここに至っているだけだ。 だから自分の興味のあることには何年、何十年と「同じこと」を繰り返すことが出来るようだ。 ただ本人にはそれは同じことの繰り返しだとは全く思っていないのだから「同じことの繰り返し」という範疇には入っていない。 年金生活に入った今、30年以上勤めた仕事にしても最後の数年間はもういい、と思うことはあっても本業には日々愉しみがあった。

同じことの繰り返し、というのを自覚しだしたのは結婚後かなり経って子供も出来、義務で続けていた家事が終わりないルーティーンだと思い始めた頃からだろうと思う。 例えば家事で必須の食器の洗い物だ。 洗い物それ自体には何の問題もない。 けれど同じ食器を使い、それを汚し、洗い、棚に戻し、またそれを使うことによって汚し、洗い、、、、、という日常を自覚したときにそれを続けている自分に堪らないとも思い、けれどこれは続けるのだという意思をもち、これで少しは大人になったと思った。 子供のころからこういうことをやらされていなかったから分からなかったのだ。  そのとき初めて「心棒は鉄じゃ」という「辛抱は金」を外した意味が分かったような気になった。 この時自分は金は生きる上で必要ではあるけれども辛抱してでもカネを得なければならない状態にはなく、カネもうけには自分は向いていないというのを貿易会社の商社員のときに自覚しだからオランダに来たという事情はあるし、結局営利にかかわる職業には就かなかった。 

食器洗いの例はほんの些細なものではあるだろうがそれまで能天気に生きてきたことを自覚させられる出来事だった。 それ以来食器洗いは意味のあるルーティーンとなり自分のこどもたちにも小さい時からそれを課した。 子供たちがある頃から食器洗い機を買おうと言い出したのにも関わらず頑固にそれを拒否した。 カネはあるのにというのを聞き流し首を縦に振らなかった。 だから皆もう買おうというのを諦め日々のルーティーンを続けそのうち子供たちがそれを言われなくともやるようになり彼らの日常のルーティーンとなり家を出て生活をするようになり徐々に自活するようになったときには我が家についに食器洗い機が入った。 その時には子供たちの下宿には既に食器洗い機はあった。 そういうことが時代の移り変わりなのだろう。 同じことの繰り返しの退屈さ、それをどのように克服するかが人生の課題の一つなのだろう。 それを子供の時に習わなかったことが幸か不幸か分からない。

そんなことを夜中に濃いミルクティーを淹れようと開けた箱に並ぶティーバッグを見て、よく飽きずに年がら年中同じことを繰り返すものだと想ったのだった。 尤もこれは愉しみであり食器洗いのルーティーンとは決定的に違うのではないかとも思う。
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