階段を上ろうと目の前をみると、あれ、小さな子供が留守の間に来ていたのかな、こんな指人形のダックがあるぞ、と思いそれを手に取った。
自分でも玩具の類は好きだから子供たちが小さい時からいろいろと買ってきては一緒に遊んだ。 大きくなるにつれてメカやレゴなどになっていったり勝手に絵本や宿題、ということになって行くのだけれど3つ4つのころには一緒に遊ぶには指人形が単純ながら効果的だった。 オランダの子どもだからそのころにはテレビを見る時間は食事前の幼児番組ぐらいだけだったのではないか。 食事が済むと風呂で遊ばせたり自分も一緒に入って遊んだりした。 ことに子供がまだ小さい時の風呂入れは疲れる。 面白いことは面白いのだがこちらにも予定があり、時間と競っているときは風呂の汗の上に急ぐ汗も加わる。 母親がおらず子供たちを自分一人で何とかしなければならない時は大変だ。
風呂から出た子供たちをそれぞれ各自の部屋に母親が連れていきベッドに入るように塩梅したあと自分も洗って出てくると母親が一緒に遊んだり絵本を読んだりしているなら言うことはない。 その反対のこともある。 幼稚園に行く頃までかその先でも何かの折にこんな指人形で遊ぶのは面白い。 馬鹿なアヒルであったり可哀想なアヒルであったりしてこんな布切れがダックになる。
そんなことを想っていてよく見るとこれは娘が靴下をクルリとひっくり返して放り投げてあったのだ。 なんということだ、この間アンティークの囮の野鴨を逃したからその連想で靴下がダックに見えるとは、、、、、。
ログインしてコメントを確認・投稿する