mixiユーザー(id:125571)

2015年05月28日02:33

254 view

新聞にレンブラントの使った和紙のことが書いてあった



この間カフェーかどこかで暇つぶしに新聞を眺めていたらレンブラントが使った紙のことが書いてあったのでそれに目を留めた。

オランダの大衆紙ADの文化欄だったから他の高級紙とは違い詳しいことはほとんど出ておらず一般的なおざなりなものながらその意図はどこにあるのか少々測り兼ねながらも次のように読んだのだった。

2015年 5月 18日 (アムステルダム発)
日蘭両国の研究者が共同してレンブラントが使った東洋伝来の紙の由来を調査していたものがこのたび結論を出した。 1647年ごろから晩年の1665年まではレンブラントは銅版画印刷のために主として和紙を使っていた。 時には和紙に筆で描くこともあった。 アムステルダムのレンブラントハウス美術館では来る6月12日からこれらの作品を展示する。 レンブラントが和紙を使用していたことは既に知られていたけれどその紙が日本のどこで作られたものか、どのようにして彼の手にはいることになったのかについては知られていなかった。 研究者たちは今回それが福井県の越前からのものであることを明らかにした。 それにこの地方は日本で一番最初に紙が作られたところでもあることとされている。


以上のような簡単な記事であって高級紙であればもっと詳しくレンブラントやその他の画家たちが当時使っていた紙、材料、技法、インクなどとその長短、和紙の性質などを述べることに紙面を使っているだろうし当然中国も含めた東洋からの紙の輸入状況にも筆が行ったはずなのだがなにせ大衆紙であり多分「レンブラント」と「日本」の組み合わせだけで記事になると考えたのだろう。 大衆紙ではそれ以上書いても誰も読まない。 それだけのことではないか。 それは「ゴッホ」と「浮世絵」の組み合わせで記事にするのとは基本的には変わらない。 異国趣味今なお健在の証であって、それはそれぞれの作家たちのものとしてではなく一般読者の異国趣味に迎合するものなのだ。 けれどその異国趣味も最近は少し捩じれた形となってこちらの若者たちのアニメ・コスプレの方向に向かっているという現象とも異端としては符合している。

レンブラントが生まれ育った町にもう20年以上住んでいる。 紙の原産地はともかく17世紀にそれがここに来た経路、手順には興味がなくもない。 そのためには態々アムステルダムまで出向かねばならないのだろうか。 レンブラントハウスには35年前に一度行ったことがあるけれど落ち着かないところだ、と思った印象があるだけだ。 このあいだプロヴァンスを徒歩旅行した時にゴッホが晩年に住んだサンレミの近くを歩いたけれど別に行きたいとも思わずそのままにしたのだがその代りたまたまポール・セザンヌゆかりのエクスアンプロヴァンスの街に三泊しセザンヌの生まれたうち、結婚して落ち着いたうち、父親の銀行の場所、セザンヌ家の屋敷、終の住所などを暇にあかせて歩いたのだが考えてみれば一人の作家のそういう軌跡を歩いたのは日頃生活する町にレンブラントの生家や父親の風車、行った学校、絵の先生の家などがあってそういうところを通るたびにああ、ここを嘗てアムステルダムに出るまでレンブラントが歩き回っていたのだな、と日頃思ったりすることからセザンヌ巡りとなったのだろうと思う。 セザンヌの絵を特に注意して観たという記憶もないし、どちらかというとマチスやマネのほうに興味が向かうのだがオランダの町では溌剌とした子供から青年までのレンブラントのイメージがあったものがプロヴァンスの街ではちょっとした変人で自分の芸術、世の中と格闘するセザンヌの姿がイメージされたのだった。

それにその町のグラネット美術館で観た一枚のレンブラントの自画像にも思うことがあった。 それはまた別の機会に記そうと思う。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年05月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31