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2015年05月27日02:41

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プロヴァンスを歩く(5)3日目 その2 Jouques村に 泊まる



(1)より続く

3日目 Beaumont de Pertuis から Jouques 村 まで 22km  

長いミラボー橋を渡りそのまま左側の崖を登り始めた。 ほとんど道しるべもないような岩登りのような急なところだ。 土がほとんどなく石灰岩の岩の崖を縫うようにして100mか150mほどの標高差を登る。 不思議なことに膝の痛みは何もなく他のメンバーよりも素早く上り下りすることができたのが驚きだった。 崖登りは登りだけではなく鎖を伝って降りるようなところもあり橋からみれば何の変哲もない立ち木に覆われた崖なのだがこれを越して上の平地に出るまで1時間半以上かけた。 途中で2時前にもなり川や橋をだいぶ向うに見渡す崖の頂上付近で昼食にした。 崖登りの際に平地で感じる膝の痛みがないのに嬉しくなって鼻唄がでるほどだったのだがそれもそのうち痛みが一層増すことになる。

崖を越して平らなところに出ると今までの苦労は何だったのだろうかとも思うけれどここは山ではないのだ。 そこからは林が続き自動車道とも時々交差し次のGR9ルートまでその舗装道を歩くようななだらかな平地を歩くと膝が痛んだ。 このころになるとストックを2本使って左足をかばうようにして歩いていた。 当然他からは20−30m以上遅れて歩く。 時々は前を行くものたちはこちらを眺めて立ち止まるようなことをするけれどこちらは歩を急がすこともできず距離は縮まらなかった。 そのころ目的地の Jouques村まで7−8kmだっただろうか。 なだらかな山とも丘ともつかぬ林の中を歩いていて先頭がショートカットしようと道のない辺りに入り込みそのうちに獣道ほどの線もなくなり、地図を改めて見てから1kmほど戻ることにして自動車道の端を歩いていた時にはこの旅行で最悪の状態だった。 毎日朝ベッドから起き上がるときに痛みがあり、それでも無理やりそれを無視して歩を始めるとなんとか歩けるような状態であり二日で歩いた40kmで膝の状態はその2週間前よりもひどくなっていた。 奇妙なことに急な坂の上り下りには何ともないのだ。 この日の午後はこの旅行で一番なだらかな道が多かったからこのようになったのだろう。 

平地に下り、ブドウ畑が広がる向うに丘がありその頂上辺りに村の建物が集まっている集落が Jouques村 だった。 歩くのが辛くゆっくりした足取りでそこを目指した。 麓に地方道が交差するところがあり、そこから村の中心まではかなりの坂を上らなければならない。 先に上に行っていた3人は坂の途中にあるカフェーのテラスに座って自分を待っていた。 そこにスタスタ足早にやって来た自分に皆驚いていたようだった。 一日の終わりに22km歩いて誰もの足が重いところに一日ずっと一行から20mも30mも遅れていて坂の下までではもう70−80m遅れて歩いていたものがまだこれから10kmでも歩けるようなテンポで上がってきたのだから。  実際、登り坂がこのように続けばもう5kmぐらいなら歩けたかもしれない。 痛みがない、ということはそんなものなのだ。  そこを乗り越えると丘の上に出てそこからは平らだった。 村といってもかなり裕福な様子がうかがえるのは19世紀あたりからの3,4階建ての建物が連なって続き、町の中心、丘の上は長方形の草地に沿って街路樹が植えられ大戦の記念碑があり、道に沿って駐車でき、店が少しと3,4軒のバーやレストランがあるだけなのだけれど町並みが道路に沿って出来ていて周りが見えないから丘の上とは思えない。 もっとも、これも平らなオランダに住んでいる人間の感想であって他の土地では普通のことなのではあるからこれはとるに足りないことでもある。 ここに来た時には町並みに沿って坂を上ってきたことを忘れていた。 

この日のB&Bは瀟洒な家だった。 そこの主人は住宅雑誌の内装をかなり意識しているような婦人だった。 道に面して頭を突き出して口から水を吐き出しその下には4本の管から水がチョロチョロ流れている石の噴水がありその後ろに家があった。 インターホーンを押して到着をしたことを告げると大きな鉄の扉がゆっくり開いた。 二階のシャワー、トイレがついている部屋にヤープとハリーが、我々夫婦は大きな長方形の草地の広場が細長く向う側に続いて見える窓と裏庭のプールが見渡せる窓が二方にある部屋に収まった。 我々の部屋にはシャワーもトイレもついてはいなかったけれど部屋の向かいにトイレとゆったりとしたシャワーがある扉があってそこを与えられた。 我々の他にはだれもそこを使わないということだった。 大きな洗面台で汗でぐっしょり濡れたポロシャツを洗ってハンガーにかけておいたら4時間で乾いた。 シャワーの窓からは通りが見えた。 斜め向かいの部屋には40半ばのオランダ人の夫婦がこの日宿泊していてオランダからサイクリングでこのあたりを周っているのだというのを翌日の朝食のテーブルで聞いた。

夕食はヤープがどこからか仕入れてきた情報でクレオール料理のレストランがあるからそこに行くことにした。 我々が宿泊しているところから100mもなかった。 Aux Deau Saveurs という名前で住所は 63 Boulevard de la République、13490 Jouques である。 わざわざ住所を書くのはグーグルマップスに住所を入れるとその場所が表示され、そこにストリートビューの人形をドラッグすると赤を基調とした小さなレストランが見えるからである。 表の10ほど小さなテーブルのあるテラスには胸と尻の大きい娘の給仕が写っているからでもある。 この通りを駐車スペースを左に見て進むと右側に赤いプラスチックの椅子とパラソルが立つセンターという名のバーがありそのそばにバスの停留所がある。 そこを通り過ぎ左の緑地が終わる辺り左側に噴水が見えその後ろに鉄の扉が見える。 外出するときにはリモコンを与えられそれで開け閉めして出はいりする仰々しいものなのだ。 

クレオール料理のレストランに収まると表で涼んでいたでっぷり太った老婆がメニューをもってきて注文を訊きヤープはワインを、我々夫婦は炭酸水、ハリーはアルコール抜きのビールを注文してないといわれコーラライトを頼んだ。  これが夕食の大体のパターンだった。 前菜に妻はメロンに生ハムを乗せたもの、他の3人はスモークサーモンとサラダ、これにはシャドネーが欲しかったけれどこの旅が終わるまで我慢することとしてスモークといっても脂が乗った魚を喰った。 家人は家鴨の胸肉のグリルとクスクス、他の者はカリブ海風鶏の煮込みだった。 毎日頭を突き合わせて4人で食事するのだがほとんど毎日注文するものがバラバラであるのにこの日は男は注文が皆同じ、というのは可笑しかった。 食後はデザートは摂らずに自分は紅茶、あとはコーヒーという、これもパターンになっていた。 食後周りを歩くこともせずそのまま宿舎まで150mほどもどり次の日に備えた。 9時半就寝。

翌朝もう一組のオランダ人夫婦も朝食のテーブルに就き情報交換のあと9時にここを出た。 自分は一人バスで エクスアンプロヴァンスに向かい、あとの3人は20km歩いて Vauvenargues を経てエクスアンプロヴァンスのホテルで合流することになっていた。 夕食のテーブルで自分の体調のことが討議され都合のいいことにこれから3日間はエクスアンプロヴァンスの街で連泊することになるのでそこでひとまず休養してその後の様子を見ることにしたのだった。 自分でもこのままではとてもこれから10日もこの旅を続けることは無理だと自覚していたからでもあるし歩けなければそのままどこかこのあたりを一人ゆっくり周り最終日にマルセーユで合流しオランダに戻ることが現実可能性大だろうと平らで殆ど車が通らない地方道D11号線の端を痛い足を引きずりながら歩きながら考えてもいたこととも符合する結論でもある。

宿舎の前で家人、ヤープ、ハリーの一行と別れ、一人杖を突きながらそこから100mもないガラス張りのバスの停留所までとぼとぼと歩きそこに座って9時15分のバスを待ちつつ前の草地と水の出ないもう一つの噴水を眺めていると小柄な老婆が話しかけてきた。 こっちはフランス語はできないと、それぐらいは言えるから答えそれに英語だったらできる、と加えるとたどたどしい英語で、自分は昔小学校の先生だったから英語はできる、小さな学校だった、と言って黙った。 そこで、この前の草地は芝生でもないし雑草が生えたままになっているから何のためにあるのか、と訊いても答えは返って来なかった。 そうしていると汚れた作業服を着た若者が材木を担いで歩いて来て老婆に笑顔で笑いかけ老婆の方もそちらの方に行って抱擁・キスのあと喋りはじめる。 昔の教え子かもしれないし同じ村人かもしれないけれどこの老婆の反応は面白いものだった。 はきはきと颯爽として足取りも軽く履いているものはナイキ・エアーというもので微笑ましくもあった。 さすが村の小さな小学校の先生だった人だ。 そのときバスが前を通り過ぎるとこちらにフランス語で何か言ってそのあと、戻ってくると英語で言った。 じきに方向を変えて戻ってきたバスに乗ると老婆はそのあと3つほど行った村で降りた。 ここが終点でエクスアンプロバンスまで1時間ほどバスに乗った。 乗るときに終点までの料金に見当がつかず50ユーロを渡すとオララー、と驚くのでそれじゃあ、と20ユーロを渡すとまあいいか、と言うような顔で後ろに座れと指さすので20ユーロを少し超えているのだなと思った。 降りるとき呼び止められ小銭ばかりでずっしり12ユーロ75セント渡されたのにはびっくりした。 途中乗ったり下りたりした人たちが払った小銭なのだ。 考えてみれば本来なら鉄道路線があってもいいようなところがバス路線となり公共料金としてであるからそんなものだろうかとも思うけれどだから沢山の中高生が利用できるのだろう。 このあたりの中高生の通学距離はかなりのものだ。 
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