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2015年05月24日04:16

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マセラッティ男




うちから旧市内に向かうと濠の近くに比較的裕福な人たちが住む一角がある。 屋敷町と呼んでいいのかわからないけれどその上の豪邸となると林の中にポツポツと距離をもって門構えがありそこから車が奥に入り屋敷が見え隠れするという一帯が普通なのだが大抵そういうところは町から距離をおいてある。 ここはまちなかの家で敷地は庭も含めて十分ありガレージのスペースは設けられていても大抵ここの住人は路上に駐車をしていて富豪とまではいかない裕福さだ。 人は家の構えや車でそのうちの収入を観る傾向にあるし、それは人の服装や持ち物を見て生活状態を観察するようなものでもある。  けれども当然家が小さく収入が潤沢でなくとも高価な車に乗る人たちもいるからなんでもかんでもそうだというわけにはいかないものの家の構えからはそこに住みそれに対応する生活水準をみれば自ずとその収入が想像できるのも理由のあることだ。 ここはベンツはすくないものの北欧のボルボ、サーブ、ドイツのBMWにアウディ、ポルシェといったところが並んでいる。 その他の住宅地に見られる日本車はここでは見られない。  自分の住む通りはこれらの車種を除いたヨーロッパ車、日本車が見られ家並からも同様にこの地区との収入格差がはっきりしていることが分かる。  当然不動産価格もこことは比べ物にならない。 

今回南仏、プロヴァンスの徒歩旅行であちこちの不動産屋のショーウインドウに貼られている物件を興味本位に眺めてその家の構えと値段をオランダの自分が住む辺りのものと比べてみることがあった。 市街の物件ではそのアパート、一軒家、プールつきの一軒家などそれぞれの値段はあまり変化はないものの田舎になると30%ほど安いようなこともみられるけれどその物件の場所、環境を考えると設備、家の構えはよくとも町から遠く職場、学校、社会福祉の諸施設からも遠いというようなこともあり値段それ自体だけではなかなか判断しがたいものがある。 つまり物件の値段が安くとも諸事情を勘案すれば必ずしも安くはない、というところか。  だからバカンス用の家とか町を捨てた世捨て人的な住み方をするような人たちにはそんな田舎の農家を改造したような一軒家は人気があるようで、 フランス人だけではなく他の国の人たちにもプロヴァンスのそんな一軒家は人気がある。 そんな家は徒歩旅行で田舎を歩いていてもそれと分かる。 町の人間、裕福な人間の住み方というものが屋敷の隅々まで現れているように感じるものだ。 地元のそこで生活している人たちとは違う空気と色をもっている。 そしてそういう屋敷に出はいりする車もそれに合ったような種類のものが殆どで地味なものとして上に書いたような車が出はいりする。 日本車はない。 2台目の主婦用のものとしては日本車が登場するかもしれない。 

自分は車には興味がない。 子供のころからプロペラ機には興味があったけれど他のものがスーパーカーだレーシングカーだといっていたのにも興味がなかったしイタリア人の義兄がF1レースを観にベルギーやモナコにでかけると聞いても一向に興味が湧かない。 車は使うけれど実用性があって壊れず高くなければそれでいい。 燃費ぐらいは気になるけれど馬力や速度は限られた道を走るのだからどれでもいいようなものだと思う。 けれど今まで還暦をすぎるまで生きてきて世の中にはどんな車があるのかぐらいは分かる。 一般車と高級車があることは分かるしジャガーやフェラーリ、アストンマーチンやベントレーぐらいならみれば分かる。 けれどマセラッティは知らなかった。 それくらいの知識であって車に興味がないのだからそんなものだろう。 

何年か前大学生の息子が将来金持ちになって車を持つならマセラッティがいい、と言っているのを聞いて初めてその名前を意識した。 息子が中学校に入ったころ将来金持ちになりたいから経済を勉強したいと言った。 父親が安月給の公務員だかららしい。 同級生には会社役員の子供たちがいて中には運転手付きの車で毎日屋敷から送り迎えされてくるものも例外的ではあってもいるような学校だった。 ポルシェかジャガーなら知っているけれどマセラッテは知らなかった。 それが裕福な家庭で立派な家に住む人間がもつ高級な車なのだという。 ポルシェやジャガーにフェラーリはありふれている、シックではないのだそうだ。 そのときはそのまま聞き流してマセラッティがどんな車か見当もつかず別段どんな車かとも知りたくもなかった。 そんな息子も大学を卒業して会計士になり会社から与えられた小さなフィアットに乗って毎日走り回っている。 将来マセラッティにのれるかどうか、多分そうはならないのではないかと想像する。

毎年屋敷町の一角に垣根の植え込みの上に大きくて美しい木蓮が見えるうちがありこの間何気なくそこに停められている車をみると maserati というロゴが見え、ああ、これがあのマセラッティかと思い一枚写真に収めた。 なるほど少しは他の車とは違うのが分かるけれど取り立てて目立つようでもなくこれが町を走っていても自分の目には多分入らないだろうと思ったのだがここでマセラッティに拘るもう一つのことがある。 これがなければ自分にはどうでもいい車だったのだ。 けれどある人たちにとってはどうしても手に入れたいと渇望する欲望の対象になるものであるということをテレビの画面で見てマセラッティが記憶の中に入り込んだからだ。 それには息子が言ったこととも多少の関係がある。

政治・行政のなかで様々な腐敗・汚職が時折スキャンダルとなって吹き出ることがある。 何年か前公共福祉に関連して住宅公団運営の上で放漫経営が指摘され理事が公聴会に召喚された。 その中で公費を不正に乱費し公金で高級車を自家用に買ったということが指摘され還暦を越した風采の上がらない禿で太った男がニュースに現れて問い詰められた。 それがマセラッティだったのだ。 委員長になぜマセラッティなのだと問い詰められて、小さい時からの夢だった、どうしても欲しかった、と涙ながらに語ったのに少々普通でないものを感じたのだが、だからわざわざニュースに出たのだろうしその後大きな政治スキャンダルで公聴会に引っ張られた例としてこの場面が何回も登場することになったのだろう。。

腐敗、公金横領など有り触れたことであるし会社役員、政府高官が飲み食いや接待に金を使う、身分に不相応の高級車を乗り回すというようなことも今までに何度もあってそんなことは我々には今更不思議でもないのだが、ここでの映像でこれがオランダの視聴者には「マセラッティ男」として印象つけられたことは確かだ。 面白いと思ったのはベンツだったり特注BMWというような車も高級車であり、そういうものを乗り回していても特に問題はなかったのだろうしそれが公用車であっても不思議ではない。 逆にランボルギーニだマクラーレンだというとその高級官僚なり組織の理事であるその男のセンスに皆呆れるし、そんなある種小心者に見えるその男のライフスタイルに合わないことが自分自身でも分かっているのではないか。 だからそこで自分がこうあらまほしきステイタス・シンボルとしてマセラッティが登場するのだろう。 それにしても聴聞会で子供の時からの夢だったというのには感心した。 つまり車そのものだけではなく将来の収入に応じたライフスタイルの中で当然豪邸を持つものとしてそこに対応するバランスの取れた自家用車としてのマセラッティを夢見ていたことになるのではないか。 こどもの夢がランボルギーニだとすると大人の夢がマセラッティなのではないのだろうか。 自分にはそんな夢はないから分からないけれどそんな気がする。 公金横領で特注ベンツだったとすると事件になってもニュースにはならなかったしそれならこの風采のあがらない男は誰の記憶にも残らなかっただろうものの大人の夢を代表するものとしてそれを不正に手に入れようとしたから皆の印象に残ったのだろうと思う。
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