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2015年03月31日10:09

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人生意気に感ず「ヒューストンの映画祭。天田研石さんと楫取。西片貝のドラマ」

◇29日、萩原ゆうじの事務所で桜井監督と会った。映画・「楫取素彦物語」がヒューストンの国際映画祭で入賞した。受賞式にはアメリカへ行く。その打ち合わせ等を行った。4月4日からは1か月、萩の映画館で上映される。選挙戦の先に私が進む別の世界が見えてきた。選挙戦はその前に立ちはだかる敵城である。勝利して輝く世界に飛び込みたい。
◇29日、天田研石先生の受賞祝賀会に出た。県功労者賞と高崎市文化賞を受賞された。私は祝辞の中で楫取と書について話した。「楫取は書の達人で、多胡碑の書の価値を認め世に広めました。明治は日本が国際化を進めた時代です。行き過ぎた欧米化を憂えた楫取は日本の伝統文化を守ることに力を入れました。書もその一つだったでしょう。今日、国際化が加速していますが、明治の時に似て日本の伝統文化がおろそかにされる傾向があります。楫取に学ぶことは大きいでしょう」実は、研石さんから祝辞で楫取に触れて欲しいと言われていた。
◇会場で、奈良市の古梅園の取締役・竹住氏から面白い資料を頂いた。古梅園に伝わる吉田松陰の墨型。四行の漢詩が彫られている。その一行には、死地を踏む経験をしなければ善き武士となることは出来ない(不蹈死地不能成善士)とある。墨型の文字を見詰めると松陰や楫取の姿が甦る。書道界には日本の歴史が静かに巡っているのである。
◇昨日、鳥取町と西片貝町で萩原ゆうじの集会を行った。計画から実行まで中3日、やればできることを実感した。西片貝は私の後援会発祥の地。「このまちには、皆さんとつくった数々のドラマがあります」私の言葉に力が入る。人々の視線が応える。学習塾、妻の死、再婚。会場には昔の塾生の顔があちこちに見えた。〈松下村塾のような塾だった〉そんな思いが甦る。母親を失った時、長女ゆりは小学5年生。「しっかり生きて」と細い声。母と最期の別れをした後、ゆりは日赤のエレベーターの中で私に抱きついた。「皆さん、私を育ててくれた熱い思いを萩原ゆうじ君に寄せて下さい」と訴えた。
 続いてゆうじ君がマイクを握る。30歳の若者と会場の人々と、どこまで心の交流が出来たか分からない。しかし、勇気を失っている若者の世界から躍り出たゆうじ君を称える拍手は大きく響いた。声援を背にゆうじ君は次の会場に向けて飛び出していった。(読者に感謝)

☆私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む。

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