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2015年03月28日07:56

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日本帰省旅 '15春(1) 再出発・インチョン空港まで




慌ただしく先週水曜日の夜スキポール空港を出発した。 もともとは昼前にスキポール空港を出発、昼過ぎにパリのシャルル・ドゴール空港で乗り換えてこれら二つのエアー・フランス機で関西空港に木曜の朝着くはずが霧のためスキポールでパリ行きの便を昼過ぎまで待たされ、挙句の果てがキャンセルとなり、結局夜9時半のソウル・インチョン空港経由で関空行きのKLM便ということに変更され、だから6時間も待ち時間が有れば一旦帰宅してスーパーで買い物をし、食事を作りそれを済ませた後またスキポール空港にもどることになったのだがそこまでは前回に書いた。

スーツケースは既に空港内の保管倉庫に行っているので今度またスキポールに行く、というか戻ってくるのは身軽だった。 けれど通関のオランダ出国パスポート検査はもう一度同じことをしなければならずその時またパスポートを出すとオランダの滞在許可証の提示を必ず求められ、そこではまた係官から必ず何年住んでいるのかどこに住んでいるのかなどオランダ語で簡単な分かっていることを訊かれるのだが、今日ここで二回目だというと表情も変えずにぶっきらぼうにそうか、と言ってパスポートと搭乗券をこちらに戻す。 日本でもここでも笑顔を見せる係官を見たことがない。 その後ろでもう一度ボディーチェックの際にまたそのことを言うと係りのおばさん検査員がへえそうだったの、でもこの時間だったら混んでないからよかったじゃないの、と言ってにっこり笑いヨーロッパ圏外行きのゲートを指さされた。 朝入ってきたウイングは免税店が並んで華やかだったのがこちらは工事中でごみごみしていて何か昔の大阪駅の土産物屋が並んでいる薄汚く薄暗い感じの仮住まい店舗のようだった。 朝、土産物用に買ってあったちょっとした赤ワイン二本は家に持ち帰ったから再度ここで同じものをまた二本買って今度は本当の土産物にした。 もう一度同じものを免税で買えたのは朝のチケットが変更になって新しいチケットになったからだろうと思ったけれどそうでもないようでそれは出国だからだそうだ。 一週間後オランダに帰国した際またオランダ出発のときに買った免税店の前を通ったのでスコッチを一本買おうとしたらこれは入国の搭乗券チケットだからだめだと言われた。

パリ行がキャンセルになりそれでパリから日本に行くはずだった人があまりいるとは思えなかったのは変更のカウンターにぞろぞろと多くの他の便の乗客たちとならんでいるときに日本人と思われるような人が見えなかったからだ。 インチョン行のKLM機に乗り込むとほぼ満席で元々この便で日本に行く日本人もいたもののやはり韓国人が多く自分の隣も30前と思しき韓国人女性二人組だった。 ネットで予約したときに自分で席を選ぶのに経験的に通路側の席を選んであった。 けれど変更後のチケットの席は窓側で発券のときにこんな場合だから好きな座席を選べない、と混雑し雰囲気も幾分か殺伐な変更カウンターのオバサン係り員にそう言われていたから仕方がなく来たのだけれど隣の女性に英語でどこに行ってきたのかどこまで帰るのか訊いてもイタリア、というぐらいではかばかしい返事が返って来ず、もしよければ窓側の席を譲りますよ、と言っても返事はなかった。 分からないのか変わるのが嫌なのかそれが分からなかった。 昼にパリから飛んで関空に向かうのならそのうち夜になって外は見えないのだけれどこの場合はすぐ夜が明けて見晴らしが利くのだけれどいずれにせよヨーロッパ時間では夜だからそのうち一斉に窓を閉めて暗くし睡眠の体制に入るということを考えているのだろうかとも思ったけれど多分そこまでは考えていないのだろうし変わるのが嫌なのだろう、それにヨーロッパ疲れが出て彼女らはほぼ沈没寸前なのだろうとも取った。

晩飯にスパゲッティを作って喰っておいたからそろそろ寝酒を飲んで寝てしまおうと多めのスコッチを頼んでそれをちびちびやりながら目の前の画面で映画を見ていたところそのうち居眠りをしてしまい映画が2時間弱として気が付いたらその映画が終わっていたから1時間かそれ以上居眠っていたのだろう。 2時間以上だったかもしれない。 冷たいジュースか何かをもらおうと後ろの乗務員のキッチンまでノコノコ歩いて行く途中に一つか二つ自分の前に食事のトレーを置いた席が見えたのでトイレの前に立って待っている日本人らしい人に尋ねると少し前に暖かい食事を済ませたというので自分はそれには起こされなかったのだということに気が付いた。 別段腹も空いていなかったので何ともなかったがどんなものが出たのかぐらいは知りたかったけれどエコノミー・クラスの食事では飛ばされても大して惜しくはないと思った。 腹が減ればそのうちカップ麺か握り飯を頼めばいいだけの話だ。 結局そのあとトイレに行ったり足腰を伸ばすために歩き回ったりするのに寝ている韓国女性たちを起こして窓際の席から通路に出たのは2度ほどだった。 起こされるのはいいけれど人を起こすのが嫌だから通路側を選ぶのだけれど通路側の席を取れなかったのだからこの場合は仕方がない。 

韓国に来るはずではなかったの来てしまった。 この前韓国に来たのはもう23,4年前だったろうか、それは息子と二人里帰りしたときだった。 息子は3つぐらいだっただろうか、スーパーマンの格好をさせて青い上下に赤いパンツ、赤いマントをひらひらさせて赤い長靴姿で通路をあちこち走りまわっていた。 年末の便だったのにも関わらず空いていた。 あちこちで3席の間の肘掛を上にあげて横になっている人たちもいて自分たちもそんな風だった。 3席に自分と幼児の息子と二人というような具合でゆったりとしてその時はたまたま知り合いの大使館員も息子と同い年の娘と一緒に博多に帰省するところだというのと一緒になり、子供たちを一緒にどこかで遊ばせておいて我々はグラスを交わしては駄弁るというようななかなかのんびりしたものだった。 息子はスーパーマンの格好をしているので人は面白がりあちこちで遊んでもらってもいた。 あんなゆったりとした空の旅はその後したことはない。 その大韓航空機は金浦空港に着き、我々はそれから1時間ほどで伊丹空港に向けて飛んだけれど博多には6時間ほど待たなければ飛ばないのだという二人と別れたときには6時間というのはきついなあと思った。 そのときおとなしく色鉛筆で塗り絵をしていた幼女は今は女医になりスーパーマンの息子は会計士になっている。 あれから23,4年経った今、あのときの金浦空港の様子は何一つ覚えていない。 子供がいるから今のようにのんびりときょろきょろしながら歩きもできずただ通路の指示に従って子供に注意しつつ移動しただけなのだろう。 ただそれまで何回か往復している印象では金浦空港が新しかったのを覚えている。 それに直行便ではなく冷戦中であったからロシア上空を飛べずアラスカのアンカレッジ経由だったのだ。 息子をスーパーマンにしたのは家人の知恵で、だだっ広いアンカレッジの待合室で迷子になった時にはスーパーマンだったら誰にでもすぐ見つけられるから、という理由だった。 そんなことをこれまた新しいインチョン空港の広い待合室でコリアン・エアーの飛行機が発着するのを見ながら思い出していた。

今回初めの予定通り短くパリまで飛んで余力があるところで関空までの10時間ほど乗り、朝着くのとスキポールから韓国のインチョンまで10時間ちょっと乗って午後4時前に着き7時まで待って関空に夜9時前に着くのとではどちらがいいか選べるとするならば自分は朝着く方を採る。 関空に朝着いて爽やかに昼前から一日の行動が始められるからだ。 こんな夕なずむところで目の前に日本が見えながら3時間も待たされるのはちょっとたまらないと思ったものの博多に行くのに金浦空港で6時間待った知り合いや今日スキポールでまだ6時間以上待たなければいけない人々のことに比べると大したことはないと思い返し、空いた腹に何か入れようと小さなキオスクでカレーライスにビールのセットを頼んだら金属の箸がついたうどんがついてきた。 代金を払うのに示された値段がどのくらいになるのか皆目見当がつかず取敢えず20ユーロ札を出したら釣りはウォンでしか駄目だと言われたけれどそんなものをもらっても空港外にでるでなし、また近々韓国に来る予定もなく、こんなコインばかりをユーロや円に換金することもできないのでどこかのキオスクでちゃちなキーホルダーか何かを買うしかないだろうと思った。 ハイネケンの水のようなビールで不味いカレー、貧しいうどんを腹に入れたあと暫く行きかうコリアン・エアーの飛行機を見ていた。
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